第181話・壁の向こうへ
光の土台を踏み、二人の男が対峙する。胸の内に燃える闘志の炎は蝶の光よりも強く輝き、それでいて心臓の鼓動は羽ばたきよりも静かに保たれている。数秒の後に、どちらかの闘志が消滅する。互いに相手を生き残しておくメリットはない。完全なる”殺害”だけが勝利の条件なのだ。
「あの女が蝶を使うなら、お前はそれに紛れて糸を張る蜘蛛だな。上品そうに振る舞ってはいるが中身は小汚い奴だ」
リークウェルが挑発する。……挑発半分、本音の怒りが半分だ。リークウェルという男は、自身への屈辱よりも仲間を傷つけられることで怒りを感じるタイプであった。そしてアドニスの策に気づいていながらユタを守れなかった自分への怒りでもある。
「害虫はさっさと駆除させてもらう。オレにはこの後巨人対峙の仕事が待ってるんでな」
「ならば貴方は、我らの道を阻む野良犬。吠える口をこの手で閉ざして差しあげましょう」
森の中から一匹の虫が現れ、習性で光る蝶に吸い寄せられていった。何かの意思か、それとも偶然か、虫は蝶の群れの中をフラフラと舞い、やがてリークウェルとアドニスの中間地点にまで飛来してきた。そして、力尽きるように蝶に触れる。脚が、羽が、胴が、蝶の光に切り刻まれて消滅する。
それが合図となった。命果てるまでの戦いに相応しい鐘であった。
「ハッ!」
アドニスの指と、リークウェルの足が同時に動く。糸が蝶に絡み、鉄輪が飛ぶ。蝶を蹴って進むリークウェルに上下左右から鉄輪が襲いかかる。
(リークウェルが私を攻撃する手段はただ一つ! 両手がふさがっているのなら足で蹴りを放つしかないッ! 周囲が蝶に覆われているこの状況では、ほんの少し足を踏み外しただけでも致命傷になる。私をここから蹴り落とすことがリークウェルの狙い!)
接近戦に持ち込まれてしまっては、スピードでアドニスは劣っている。しかし相手の攻撃手段が特定できているならば防御は容易い。蝶を足場にした戦闘では一日の長もある。
飛来する鉄輪を、リークウェルは的確にかわしていく。だがさすがに限度がある。移動を制限され、サーベルで弾くことも出来ないとあらば、フェニックスの恩恵を持ってしても全ての鉄輪を回避することは出来ない。目で見切っても肉体の動作が追い付かない。
「ぐっ……」
右腕に鉄輪が命中し、回転の力で肉を削ぎ食い込む。アドニスの狙いは正確だった。脚、背中へと次々に鉄輪が突き刺さる。だが全て急所は外している。鉄輪が当たる瞬間に身をよじってダメージを最小に抑えているのだ。
(まったくしぶとい……。少しは怯むか苦しむかすればいいものを。ですが、それで良いのです。そのままあと四歩、前に出れば……)
一歩、二歩。リークウェルの足は蝶を踏んで進んで来る。そしてアドニスがカウントを取りはじめてから三歩目に大きく跳躍した。水平に足を浮かせるのではなく、放物線を描くような跳躍だ。
(むっ)
次の蝶に飛び移るだけなら高く跳ぶ必要はない。無暗に跳んではかえって鉄輪を回避しにくくなる。一見逆効果な跳躍の真の意味を、アドニスは理解した。
(これまで見破りますか。まぁ、それも予測していましたけれど)
リークウェルの足が何かを踏みつけ、さらに前方の蝶へ飛び移った。第三者の目には、リークウェルが何もない空間を踏んだように見えるだろう。空気を踏みつける能力はない。踏んだのはワイヤーだ。アドニスが蝶に紛れるよう張り巡らせた細く鋭いワイヤー。リークウェルの軌道上にピンと張り、そのまま直進してくれば首を切断していた。
「小細工が通用しないことは散々思い知らされました! ですが、それならば絶対的な力で対抗するだけです!」
アドニスの叫びに呼応し、蝶が動きだした。リークウェルを攻撃するには緩慢すぎる速度だが、壁を築くには十分であった。アドニスの肉体を中心に、蝶たちが壁を形成していく。壁と言うよりも箱だ。わずかな隙間こそあるものの、全方向からの攻撃を防御するように壁がアドニスを取り囲んでいる。
「これで貴方は私を攻撃できません。しかしこちらからは攻撃可能! そして少しずつですが私の攻撃でもダメージを与えられることはわかりました!」
壁の隙間から鉄輪が放たれ、蝶に紛れて一度姿を消し、予測できない方向から現れてはリークウェルを斬り裂く。
「……クッ」
今度は肩に突き刺さった。距離が詰まるほどにアドニスの狙いも精密になっていく。蝶の壁で直接視認することは出来なくとも、配置した鉄輪の鏡で常に標的の位置を把握している。このペースではユタが復活する前に決着がつく。当然アフディテも蝶の壁で身を守っており、先にそちらを叩くことは不可能だ。
身を斬られながらも、リークウェルはついにたどり着いた。だがアドニスは少しも焦らない。
「ようやく到達しましたか。ですがこの壁がある限り私を攻撃することは……っ!」
「その壁がある限り、お前はどこにも逃げられない。お前なら必ずそうすると思ったよ」
「なに?」
アドニスは鏡を見る。鏡に映るリークウェルは、左足でしっかりと蝶を踏み、右足を振り上げていた。
(まさか。いや、攻撃をするのなら足で蹴り、ということはわかっていた。しかしそもそもこの状況では攻撃は不可能。蝶に囲まれているのだから、ここに蹴りを打ち込めば脚が削がれるのは自明。蹴りを放つわけがない。そんなわけが)
鏡の像は止まらない。振り上げた足は地面と水平に、外から内へ回る蹴りを放った。それはすぐに鏡を通さず肉眼で確認出来た。蝶の壁を破り、足が侵入してきたからだ。蝶に削り取られ一瞬にして木の枝のように細くなり、それでもかろうじて一本に繋がっている足が。
「蝶に触れれば削られる。触れない部分は残る」
蝶の壁には鉄輪を通すための隙間があった。その隙間の分だけ足が残っている。
ボロボロになった足が飛んできたところでダメージはたかが知れている。だが、リークウェルは靴の爪先が残るように計算して蹴りを放っていた。
「これはッ! まさか、自ら足を裂いてまで……」
アドニスの言葉は止まった。以前テンセイの目元を切った爪先の鈎針が、アドニスの首に突き刺さったからだ。




