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第101話・さんすうのもんだい

 日が落ちて、また夜がやってきた。人間がどんな思惑を持ってどんな争いを起こそうと、夜は必ず訪れる。夜が来なければ次の朝はやって来ない。明日というものを届けるために夜は存在する。


 そして人々は明日を迎えるために夜を過ごす。ラクラが明日以降の未来を考えながら本部の廊下を歩いていると、奥の方から近付いてくる人影を見つけた。その人影は何やらぶつぶつと呪文のような言葉をつぶやきつつ、うつむいて何やらしきりに指を動かしている。


「コサメさん、どうしました? 下を向きながら歩いていたら危ないですよ」


「あ、ラクラおねーちゃん。ちょうどよかった!」


 コサメは指を動かすのを中断し、ラクラを見上げた。その全身から石鹸の臭いが漂っている。海から帰ってきた後、風呂で潮風のベタつきを洗い流してきたところらしい。


「あのね、テンセイからさんすうのもんだい出されたの」


「算数の問題? あらあら、ちゃんとお勉強もされてるみたいですね」


 ラクラは腰を屈め、目線の高さをコサメに合わせる。そして微笑みながら青い髪をなでた。本来なら、コサメは学校に行って色々な知識を得なければならない年齢だ。そのことを改めて認識し、何の気はなしに尋ねてみた。


「ちなみに、どんな問題でした?」


「んっとねぇ……」


 ――ある村に、八十四人の村人が住んでいました。そこに、一人の旅人が訪れてきました。旅人がやってきてから二年後、村に一人の赤ちゃんが生まれました。


「ここまではわかったよ。四に、一と一をたして、六人。八十がついて八十六人」


 ――赤ちゃんが生まれてすぐ、新たに三人の人間が村を訪れてきました。


「これもわかるの。三をたして、八十九人。でもこのあとがわからないの」


 ――そして、八十二人の村人がいなくなってしまいました。


「え?」


「大きいすうじが二つも出てきたら、わかんなくなっちゃった」


 ラクラは間の抜けた声をあげてしまった。無論、コサメと違って、二桁同士の引き算という計算の難易度があがったことに対してではない。問題の文章があまりに唐突だからだ。いなくなったとは、どういう意味なのか?


「それで、まだもんだいはつづくんだよ」


 ――その後に、また一人の村人がいなくなりました。そして三人の人間と一人の旅人が村から出て行きました。さぁ、残っているのは何人?


(いなくなった……出て行った……。二つの表現を使ったということは、同じ意味を差しているわけではない……?)


「テンセイが、わかるか? ってきいたから、わからない、ってこたえたの。そしたら、ラクラおねーちゃんにきいてみなさい。っていわれた」


「私に? テンセイさんが?」


「うん」


 ラクラの直感が何かを訴えかけてきた。ただコサメに算数の勉強をさせたいだけなら、何もこんな面倒で不自然な問題にしなくてもいいはずだ。しかも、ラクラがテンセイから話を聞き出そうとした矢先に、わざわざラクラに答えを聞くように指示している。


(村人がいなくなった……。テンセイさんとコサメさんが住んでいたという、中央海の島にある村のことですか? だとしたら、一人の旅人と二人の人間とは誰のことでしょうか?)


「おねーちゃん? こたえわかる?」


 急に難しい表情で考えだしたラクラの顔を、コサメが見つめている。ラクラは表情を変え、声を明るくした。


「そうですね。コサメさん、ちょっとヒントを教えましょうか」


「なに?」


「六ひく六、はいくつですか?」


「んと、ゼロ」


「そうです。同じ数字を引いたらゼロになりますね? それでは八十ひく八十は……」


「んーと、おんなじすうじだから、ゼロ? あ!」


 コサメの目が輝いた。


「八十から八十をひいたらゼロだから、八十九ひく八十二は、八ひく二といっしょ?」


「そうです」


「じゃあ、七だ!」


 さらに一人の村人がいなくなり、残りは六人。そして最後に四人が出て行ったので、結局残ったのは二人。コサメはまたたくまに答えを導き出した。


「やった、わかった!」


「はい。よく出来ました。理解が早いですね」


 ラクラはもう一度コサメの頭をなでる。はたから見れば、まさに学校の児童と教師。微笑ましい光景に映るだろう。


「ありがとう。ラクラおねーちゃん」


「どういたしまして。さ、もうそろそろおやすみの時間ですよ。歯は磨かれました?」


「うん!」


「それでは、また明日」


「おやすみ〜」


 満面の笑みをたたえ、コサメは自分の部屋へと戻って行った。始終テンセイにくっついている印象があるが、寝るときは一人でも寝れるようになっていた。激動の旅がそうさせたのかもしれないが、成長といえば成長だ。まだ入浴などは女性軍人に手伝ってもらっているが。


「おやすみなさい」


 心なしか身長が伸びたコサメの背中へ、ラクラは就寝のあいさつを送る。


 そして心を切り替えた。テンセイがコサメに出した問題。それが、ラクラにはとても不自然で謎めいたもののように感じられるのだ。


(これは……もしかしてメッセージ? 私はテンセイさんから彼の過去を聞こうとしている。テンセイさんは出来ることなら話したくない。ですが、今の現状を考えると完全な沈黙も出来ない。だからこうして……)


「トゥエム」


「はっ……」


 不意に背後から声をかけられ、脊髄に緊張が走った。別に後ろめたいことを考えていたわけではないが、内容が人の秘密に関することだけに罪悪感のようなものがあった。振り返ると、コサメが去って行った方向からヤコウが近づいてくるところであった。


「どうかしたのか? こんなところに立ち止って」


「いいえ、何も……」


 ここまで話してようやく気付いたが、ヤコウはスーツケースを持っていた。これから外出するように見える。


「お出かけですか?」


「しばらく南支部を空けていたからな。幹部がいつまでも持ち場を放っておくわけにはいかないだろう。一旦南支部へ戻って様子を見てくる。一通り雑務を済ませたらまた本部に戻ってくるつもりだ。それじゃあ、急ぐからこれで」


 ヤコウはすぐに行ってしまった。これからのラクラの役割については改めて確認するまでもない、とでも言うように。

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