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閑話 幸せの定義、幸せのありか3:迷子の幼児

 パチパチと炭が燃える音が聞こえる。


 話を一旦やめて、ぼんやり光る炭の色に見蕩れていると、夏織が頭を抱えているのに気がついた。


「……仲が悪い……」


 どうやら、当時のあたしたちの関係がよほど意外だったらしい。


「こんなもんよ。東雲とナナシは古くからの馴染みだったみたいだけれど、あたしは顔見知り程度だったし。あやかしが顔を合わせれば一悶着あるものだわ」


 ――仲良くする理由も、必要もない。


 別に喧嘩別れしたってなんの支障もないのだから、お互いに気を遣い合う必要なんて欠片もないのだ。あやかしは元々日陰の存在だ。気性が荒いものや、根性が捻くれた者が多い。いがみ合うのは必然なのだ。


「それにしたって……今と全然違うじゃないのよ……」

「別になにも変わってないわよ? あたしが寛容になってあげてるだけ」

「わー。それはにゃあさんの日々の努力に感謝……」


 脱力していた夏織だが、次の瞬間には勢いよく顔を上げた。どうも聞きたいことがあるらしい。食い入るように私を見つめている。


「そう言えば、私の名前!」

「名前がどうしたのよ」

「どこで知ったの! 三歳くらいなら、自分の名前は言えるでしょうけど、漢字とかまでは無理だよね!? 適当に当て字したの? それとも……」


 夏織はグッと顔を近づけると、興奮気味に言った。


「私の親から聞いたの!?」

「違うわ」


 ざっくりと切り捨てると、彼女は途端に脱力した。

 前脚の毛繕いをしながら、淡々と話を進める。


「あんたの肌着に名前が書いてあったの。ナナシが見つけたのよ。ご丁寧に漢字にふりがなをつけてあった」

「そっか……」


 夏織はがっくりと肩を落とすと、あたしに話の続きを促した。


 毛繕いした前脚で顔を洗いながら、続きを話し始める。

 確か、そう……。あたしは翌日から現し世の猫の知り合いに声を掛けて回ったのだ。

 行方不明になっている、村本夏織という子どもを捜してほしいと。


 初めはすぐに見つかるだろうと高をくくっていた。幼い子どもがいなくなるなんて、普通に考えて大騒ぎになっていると思ったからだ。しかし……。


「全然見つからなくって途方に暮れたわ。台風の影響で野良猫もかなり減ってたしね。遠近あたりに言えば、すぐに警察の行方不明者リストの中から捜せたかもしれないけれど、当時のあたしはあの河童の存在すら知らなかったし」


 そこは東雲たちも迂闊だったと思う。あたしなんかじゃなく現し世に詳しい他のあやかしを頼っていたら、あんなに時間はかからなかっただろう。


 ――……そうだ。もっと早くあの人に出会っていたら。


 あたしの決断は変わっていたかもしれないのだ。


 少しの間、沈黙が落ちた。ハッとして顔を上げると、夏織はどこか不安そうな顔でこちらを見つめていた。あたしは慌てて表情を取り繕うと、話を再開した。


「方々探し回ってるうちに、夏が過ぎて、秋が来た。夏織のママなんて、もういないんじゃないかって疑い始めた頃だった……」


* * *

 

 夏の暑さが遠ざかり、赤紫色に幽世の空が染まると、秋の冷たい風が吹き込んでくる。カラカラと道ばたで落ち葉が乾いた音を立てるのを聞きながら、現し世でのママ捜しに疲れ果てて帰ってきたあたしは、貸本屋の居間に入るなり顔を顰めた。


「びええええええ!」


 相変わらずの大きな泣き声。


 まるで、相手が不快になるように計算し尽くされたみたいな大音量に、あたしは思わず踵を返した。けれど、その瞬間に首根っこを掴まれてうんざりする。


「いいとこに! 助かった、猫。ちょっとこっち来い!」


 それは奇妙な恰好をした東雲だった。どちらかというと渋みがある顔なのに、その頭にはクマちゃん柄の三角巾。揃いの布地のエプロンのど真ん中には、間抜けな顔をしたパッチワークのクマの顔がドドンと鎮座していた。


「染まったわね……」


 思わずため息と共に零すと、東雲は一瞬真顔になって「やめろ」と地獄の官吏みたいな低い声を出した。それがどうにも面白くてクスクス笑っていると、ストンとある場所に降ろされる。あたしはそこがどこなのか理解した瞬間、笑いを引っ込めて顔を引き攣らせた。


「にゃあちゃん!」


 それは食事中の夏織の真っ正面だった。

 子ども用の小さな机で、昼食のスパゲティを食べていたらしい。口の周りは臓物を食べ散らかした獣みたいな有様で、この間ナナシが厳選したのだと自慢していたワンピースは、殺人事件の証拠品みたいになっている。


 いつの間にやら泣き止んでいた夏織は、ニコニコと笑みを浮かべてあたしの方へと手を伸ばした。どうやら頭を撫でようとしているようだ。


「やめて。汚れた手で触らないで! それに、にゃあってなによ。勝手に名前をつけないで。それにちゃんはやめて。年上を敬いなさいよ、せめてさん付けにして!」

「にゃあちゃ……にゃあさん」

「上手よ。いい子ね」


 あたしが褒めると、夏織は「えへへ」と照れ笑いを零し、汚れた手のままで頭を掻いた。茶色がかった髪にミートソースの飾りが追加されたことから目を逸らし、東雲に不満たっぷりの視線を向ける。


「で、なんであたしをここに?」

「お前がいると、夏織が落ち着くんだよ。頼むぜ、ちょっとばかし居てくれよ」


 その手には大量の洗濯物が抱えられていた。主にシーツ類のようだ。子どもがひとり増えるだけでこれほど増えるのかと、中庭で風に靡いているを洋服を眺めてぼんやりする。


「人間って面倒ね……」

「めんどう?」

「早く自立しなさいって意味よ」


 嫌味を籠めて夏織に話すと、本人はまるでわかっていない様子で「がんばる!」と気合いを入れていた。


「……なんかもう疲れたわ」

「そりゃご苦労さん。それで、どうだった?」


 慣れた様子で洗濯物を干し始めた東雲を横目で見つつ、成果なしだと告げる。すると、東雲は一瞬だけ動きを止めると「そうか」と言葉少なに応えた。


「なによ。その態度。不満があるならはっきり言いなさいよ。どうせ、いつまで経っても見つけられないあたしを、役立たずとか思ってるんでしょ!」


 現し世と幽世を頻繁に行き来する疲れと、手がかりすら見つからないイライラと。

 いろんな感情が混ぜこぜになって、苛立ち混じりに東雲に八つ当たりする。喧嘩上等、相手をしてやると身構えていると、予想外に弱気な声が返ってきた。


「べ、別にそういうわけじゃねえよ。ただ……」


 東雲はシーツをピンと伸ばすと、洗濯ばさみを手にして言った。


「こいつが来て、もう三ヶ月になる。子どもが居る生活にも慣れたもんだって……そう思っただけだ」


 黙々と洗濯物を干している背中をじっと見つめる。


 途端に、胸がモヤモヤしてきて、あたしはそっぽを向いて丸くなった。


 ――なによ。なによなによなによ。情が湧いたっての。まるで見つからなくてもいいみたいな口ぶりじゃない!


「けんか……してるの?」


 すると、どこか不安そうな声が聞こえて顔を上げる。そこには、栗色の瞳に涙を一杯ためた夏織がいた。


「してないわ。いいから早く食べなさい」

「うん。しのめめ、おこってないよね?」

「怒ってないわ。あのぼんくら、あれが通常営業よ」

「つうじょ……?」

「普通ってこと!」


そこでようやく言葉の意味を理解したのか、夏織は「そっかー」と満足げに頷くと、拙い手付きでスパゲティをフォークで持ち上げた。


 ――まったく。東雲だけじゃないわね。あたしも染まったものだわ。


 幼児の会話に付き合ってやるだなんて、自分も日和ったものだと呆れていると、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。大きな口を開けた夏織の口もとから、苦労して運んだスパゲティが零れ落ちる。途端に涙目になった夏織に、泣くんじゃないと念を送っていると、居間へ足音の主が飛び込んできた。


「ああ、いた! にゃあ!」


 それは薬屋のナナシだ。珍しく鮮やかな緑色の髪を振り乱したナナシは、あたしの前に座り込むと、一枚のチラシを突き出した。


「これを見て! ああもう、はやく!」

「あんたまでにゃあって呼ばないで!」


 悪態をつきながら、渋々チラシに目を通す。すると、そこに載っていた情報に思わず思考が停止した。


『子どもを捜しています。村本夏織。三歳、女児。行方不明時の服装――』


「前々から、お客さんに夏織の親を捜しているって声をかけていたんだけど。そしたら、その中のひとりが持ってきたの。知り合いがくれたって」


 落ちていたものを拾ったのだろうか。チラシはあちこち薄汚れていて、肝心の連絡先の部分が滲んで読めなくなっていた。しかし、掲載されている写真の少女はまごうことなき夏織で、あたしはナナシと顔を見合わせると大きく頷いた。


「これ……どこのあやかしからもらったの」


 ナナシは、荒れていた息を深呼吸をして整えると言った。


「――秋田。川赤子よ。近所の子どもがひとり、いなくなってるって」

「……!」


 あたしは息を呑むと、勢いよく物干し台の下へいた東雲へと視線を向けた。


 ナナシの言葉を聞いていたらしい東雲は、スパゲティと格闘している夏織を見つめて、あたしにはよくわからない表情を浮かべていた。

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