ガンガラーの谷の怪異6:物語の顛末
「……わざわざ、紅蓮地獄を通ってきた理由がこれか」
「はははー。何のことやら」
号泣しているクムと、嬉しそうに父親を慰めているアミを眺めながら、水明と語らう。水明の言う通り、雪女たちは紅蓮地獄から連れてきた。彼女たちにとって、海の宝石である真珠はとても珍しいものだ。何粒か進呈した上で、南国旅行はどうかと声をかけたら、嬉々としてついてきてくれた。
「ナナシの薬に、水で絵が浮かび上がる本。全部、織り込み済みだったんだな。まったく」
「へへ。いろんな人に協力して貰ったんだ。私、頑張ったんだから。褒めてくれてもいいんだよ?」
今日、使った真っ白な絵本は、もちろん水にも強い。これは、後々あの親子にプレゼントするつもりだ。素人の絵だから、大分拙い出来だけれど……喜んでくれると嬉しい。
「それにしても、この依頼を仲介した男、何者だ? お前たちに負けないくらい、随分とお人好しのようだが」
「そうかなあ? お人好しに思う?」
私は、空から落ちてきた雪を手で受け止めながら、首を傾げた。
「その人、玉樹さんって言うんだけどね。多分、お人好しなんかじゃないと思う」
「どういうことだ?」
私は、水明に玉樹さんから受け取った依頼書を渡した。そこには、細々とキジムナーたちの情報が書いてある。……が、それだけだ。手順などは一切なく、ただ情報が羅列してあるだけだ。
「あの人は、選択肢をくれるだけ。クムのこと、アミのこと、本が好きなこと、雪を見たがっていたこと……そういう情報は与えてくれる。けれど、それをどう実行するかどうかは、こちらに丸投げするの。玉樹さんは、いつもこう言うんだよ。――それを為すか為さないか、すべてはお前次第だって」
「……そいつ、もしも今回の件が上手くいかなかったらどうするつもりだったんだ? 間違ったことをしたら? 相手の希望に添えなかったら?」
「多分、玉樹さんは私が悪いって言うんだと思うよ。与えた情報を上手く扱えなかった私が悪いって」
私は小さく肩をすくめると、あの見るからに怪しい風体の父の友人を思い浮かべた。
「玉樹さんはね、必要な材料を並べるだけで、誰かを導いたり、背中を押してはくれない人。そして、結果的に悪い方向に向かったとしても、何もしてくれない人。その結果をただただ、見ているようなそんな人。たぶん、上手く行っても同じ反応。そうかって、それで終わり」
「……なんだそれは」
水明は酷く嫌そうな顔をしている。確かに、これだけ聞くと、無責任なだけのように思える。けれど、きちんと自分で判断ができるのなら、そのための材料を揃えてくれるのだから、これ以上に親切な人はいないだろう。
「どうしてそんな風にするのか、理由は知らないけどね。そういう人なの。時々、底が知れなくて怖いって思う時もあるけど……まあ、東雲さんの友だちだから大丈夫だと思う」
「……東雲への信頼感」
「だって、私の義父さんだからね!」
すると、深く嘆息した水明は、私の頭をポン、と叩いて言った。
「つまりは、本を届けたのも、絵本の演出をしたのも、雪を降らせたのも、お前が選んで為した結果か。なら、優しくてお人好しなのは、お前の方だな。まったく……」
水明はそう言うと、優しく微笑んで言った。
「お前は、本当に人のためばかりだな」
その瞬間、私は思わず息を飲んだ。
目の前の笑顔が、あんまりにも優しくて。細められた瞳が、ちらりと覗いた白い歯が、私の顔を覗き込んでくる仕草が――全部が眩し過ぎて。
「えっ……おっ? うう⁉︎」
急激に心拍数が上がった私は、突然のことに対応できなくて、変な声を出してしまった。すると水明は、眉を顰めて言った。
「……オットセイの真似か?」
「そんなわけ、ないでしょう⁉︎」
私は、水明の胸ぐらを掴むと、動揺を振り払うようにガクガクと揺さぶった。
――クロと再会して、感情表現解禁になってから、表情が豊か過ぎるでしょ⁉
心の中で、悲鳴みたいな叫びをあげる。けれど、本人にそんなことは言えるはずもなく。私は、鬱憤をぶつけるように、水明をひたすら揺さぶっていたのだった。
しばらくして、帰り支度をしていた私たちのところに、アミがやってきた。クムはというと、雪見酒だと泡盛をたらふく飲んで酔っ払っている。随分と酒が進んでいるようだ。呂律が回っていないし、足もとが危ない。それを横目で見ながら、アミは言った。
「貸本屋さん、本当にありがとうございました。私、お嫁に行く前に、父に何かしてあげたかったんです」
「……ああ、本当に親子ですね」
私がしみじみと言うと、アミは不思議そうに首を傾げた。少し面白く思って、アミにクムが言っていたことを伝える。
『父親として、アミに何かしてやりたかった。アミが嫁ぐ前に、思い出に残るものをって』
すると、アミは泣きそうな顔になった。
「……私、これからも父を大切にします。お嫁に行ったって、何したって……父は、たったひとりきりですから」
私は、アミにハンカチを貸すと、そうしてくださいと笑った。
すると、飲んでいたはずのクムが、こちらに向かって叫んだ。
「おお⁉ アミ、どうしたんさー! 泣いてるのか⁉」
「別に! 何でもない。それより、あんまり飲み過ぎちゃ駄目よ!」
「ん? んんん~……善処するさぁ」
クムは頭をボリボリと掻くと、それでも酒瓶を手放さないまま、友人の下に危なげな足取りで歩いて行った。
アミはハンカチで涙を拭うと、「困ったものですね」と言って、クスクスと笑った。
「父親って、不思議ですよね。だらしなくって、子どもみたいに手がかかって。私がいなくちゃ駄目なんだなって思う時もあるんですけど、いざとなるとものすごく頼りがいがあって……。私を、誰よりもしっかりと支えてくれる。本当に大切にしなきゃ、ですね」
「……本当にそうですね。私も、そう思います」
私たちは微笑み合うと、しっかりと握手を交わした。
「貸本屋さん、本当にありがとうございました。また、本を読みたくなったらご連絡します」
私は大きく頷くと、にっこり笑って言った。
「はい! ご連絡をいただいたら、すぐにでも伺います。幽世の貸本屋に、どうぞお任せください!」




