仮面
刀香視点です
私は、ただ一本の刀でありたかった。
持ち主に振るわれるままにその力を振るい、モノも言わず、従順で、ただそれだけの存在でありたかった。
その筈なのに……どうして私は、暗雲の中を彷徨っているかのようなこの思考を、捨てきれないのだろうか。まさに今、その望み通りの姿で居られたというのに。
だというのに、私の中で生まれる感情は、何一つとして現状に納得できているようなものじゃない。明確に対立した彼女を敵とも断じきれず、忠誠を誓った筈の所長に刃を向けて……私は。
「青崎所長……私は、貴女が知らないうちに欲張りになってしまったのかもしれません」
「欲張り、だと?」
青崎所長が、動揺を隠しきれない様相で私を見ていた。初めて見るそんな姿を新鮮に思いつつ、その青い双眸を正面から見据える。
「吸血鬼に家族を奪われて、全部失って、私の大切なモノは何一つ残っていないのかと思っていました。けれど、貴女が私の唯一の大切な人になってくれて……それで、私は満足していたんです。だから、貴女の傍に居られるなら、それ以外はどうなったって良かったんです」
「……今は、違うのか」
「初めて、緋彩という友人が出来たせいでしょうか。私はどんどん欲張りになってしまいました。所長を一番大切にしたいけれど、緋彩も大切にしたいんです。貴女の傍に居られるだけで良かったのに、もっと、貴女のことを知りたいと思ったんです。黙って従うだけでは、満足出来なくなったんです」
言葉に出来なかった心境をたどたどしく紡いて、ゆっくり口に出す。そうして形にしたものは、驚くほどすんなりと自分自身でも納得できるものだった。
「貴女が望むことを成すだけでは、満足出来ないんです。それだと、貴女が間違えてしまった時に止められません。貴女に幸せになって欲しいのに、貴女が望む道が不幸な未来だった時、何もできないのは嫌なんです」
「お前は私が間違えていると思うのか?」
「分かりません。けれど、分からないままに従うことが、もう出来ないんです……私は、部下失格ですね」
あれだけ所長の部下であることにこだわっていたのに、部下失格だなんて言葉が自分の口から出たことに、私自身も少し驚く。
「もう、私のことは信じてくれないのか」
「信じるだけでは、貴女のことを守れませんし、貴女のことを想うことも出来ません。そんなの……悲しいだけです」
「私を守る、か」
ぎしり、と、万力のような力で握り締められた青崎所長の刀が軋む。
「いや、お前に私は守れやしないさ」
「どうしてですか?」
「ただの経験則だ。刀香、お前は確かに強い。大抵の奴は守り切れるだろうな。それでも……私だけは、守れない」
その瞬間、青崎所長の身体から爆発的に魔力が周囲へ拡散した。それは空間を塗り替えるかのように、一面の空気を蒼く染めていく。青崎所長の魔力が多いことなんて当然想像通りだったけれど……これは、あまりにも異常な光景だった。
「これは、私に宿る『英雄の血』と呼ばれる力だ」
圧倒されている私に、青崎所長は淡々と語り掛ける。
「魔力障害が他者の魔力を操れる、先祖返りの代物だと言っただろう?これは更に濃い、真の『魔力の祖』の力だ。魔力障害と違い、自身の操る魔力に身体を蝕まれることも無い。他の魔力持ちとは隔絶した力だ」
「……所長、貴女は」
「これを持っている者を守るだと?この力を持ってして尚危機を感じるような状況で、お前に何ができる?知っているだろう、刀香。私は『英雄』なんだ」
青崎所長の言葉一つ一つには、ここで私を説き伏せるだけに放っただけとは到底思えない程の重みがあった。
「一度だけ言うぞ、刀香。そこをどけ。私はあの吸血鬼の女王を追わなければならない。少し予定は崩れたが……結局、私一人でいい。ああ、一人でいいんだ」
どこか自分に言い聞かせるようにそう言いながら、青崎所長が私に向かって一歩、一歩と踏む出してくる。暴力的な魔力と、剥き出しの殺意を持った刀を手にして。
それでも私は、青崎所長の眼だけを見ていた。
「嘘つき」
青崎所長の足が止まった。
「何が───」
「今日の貴女は、嘘ばかりです。他の人なら騙せるかもしれませんが、私だけは騙せません」
私の頬に、一筋の水滴が伝う感触がした。それを意に介さずに、真っ直ぐ目の前の青崎所長を見つめる。
「一人で良いなら、何故あの日、従順で素直な部下でなく、狂犬と呼ばれていた頑固な私を部下に選んだのですか?貴女に必要なのは、都合の良い手駒だけの筈なのに」
「……手懐けられる自信があっただけだ。尤も、その自信は今更撤回しなければならないようだが」
青崎所長の視線が揺らいだ。ずっと所長のことを傍で見続けてきた私にか分からない程の、ほんの僅かではあるけれど、それでも確実に、迷うように揺れた。
「それも嘘です。他にも、どうして緋彩のことを最後に裏切るつもりだったのに、どうして私に彼女との接触機会を増やしたのですか?情が移るとは、考えなかったのですか?」
「アイツの正体は、絶対にバレるわけにはいかなかった。教育係も、任務の協働役も、お前しかいない」
「また嘘。個人的に私と緋彩が出かけていたのを知っていたのに、貴女は止めるどころが、私達が仲良くしているところを見に来ていたのに何もしなかった」
こちらは目を見るまでも無く分かった。今度は私でなくても分かるほど、青崎所長は明確に動揺して見せる。
「それが、どうした。ただ私が、判断を誤ったというだけだろう。お前は結局、何が言いたい!?」
「所長はこれを復讐と言いました。でも、私から見た貴女は、酷くちぐはぐです。これは、本当に貴女がやりたいことなのですか?」
「当たり前だ!私の一生は、ずっと、あの時から……復讐の為だけにある!」
「では、何故───」
ずっと現状に納得できなかった違和感の正体。青崎所長の激情や迷いの奥にある感情が、今、はっきりと見えた。
「どうしてずっと、そんなに苦しそうにしているんですか……?」
青崎所長が、無言で自分の頬に触れた。私にはそれが、自分の身に着けた仮面の罅をなぞっているかのように見えた。
「そんな筈は、ない」
「いいえ。私の知っている所長は、強くて、優しくて、少し自己管理の甘い駄目なところもあって……決してそんな、冷酷な人じゃない」
「その冷酷な姿が、本当の私で、お前の言う姿こそが嘘だ。お前はずっと、騙されていたんだ」
「そんなこと絶対認めません。貴女が与えてくれた優しさを、嘘になんてさせません」
ようやく、自分の中で決意が付いた。
この人はきっと、あまりにも嘘を付くのに慣れ過ぎてしまったのだ。当たり前のように全てを騙すうちに、自分にすら嘘を付いてしまって、そのことに気付いてすらいない。
この人の虚勢の仮面を全て剥がさなければいけないと思った。それが出来るのはきっと、この人の嘘に気付いてあげられる自分だけだ。
「貴女は私がここで止めます。このまま同じ道を進んだ先に、青崎所長が本当に望んだ光景があるとは、私には思えません」
「…………頑固者め」
長い沈黙の後に、青崎所長は悲しそうな顔で一言だけそう言った。




