お前は誰だ
「互いに人類の敵であること。その一点で私と吸血鬼には、協力の余地があった。そして吸血鬼の始祖は、絶対に必要なものだったんだ」
「……そんな、なんで」
「私の動機は、今は大して重要な話じゃないだろう?それよりも、お前にとって重要な話をしてやろう」
そう言って、青崎所長はその青い目を妖しく光らせた。
「吸血鬼の始祖を蘇らせる。難しいように聞こえるが、実はさして難しいことでも無かった。といってもな、始祖は言うなれば仮死状態のようなモノだったんだ。死にぞこなったのか、或いは『死』という概念自体があいつにはないのか。持ち込まれた体はまるで眠っているようだったよ」
「ただ……蘇生するのに、どうしても足りないものがあったんだ。それはな、『魔力の始祖』としての『血』だ」
「魔力の始祖の血の中に宿る魔素だけは、どうしても代替えの効かない代物なんだ。何せ、『この世界で唯一他者の魔力も操れる』ものだからな」
「だが私には、その当てがあったんだ……曰く、『魔力障害者』と呼ばれる者達は、自分が生成する魔力が多すぎるあまり、自分の魔力に耐え切れず短命だというじゃないか。だがな、これは絶対におかしいんだ。そもそも、人の身体には魔力を操れることはあれど、溜め込むことは出来ないんだからな」
「幾ら生成したところで、自分の魔力は操作されなければ霧散して消えるだけ。そもそも魔力障害者は魔力操作をすると余計に症状が悪化するんだから。なら、結論は一つだけ」
「魔力障害と呼ばれるものは、『他者の魔力にまで干渉してしまう』ものなんだよ。そしてその高性能な自らの魔素の負荷に、身体が耐え切れないんだ……そろそろ、話が見えてきたんじゃないか?」
「私は、魔力障害とは部分的な先祖返りなのだと結論付けた。それを裏付ける証拠もあったしな。なら、始祖の血の代替えとしてこれ以上ないと思わないか?」
「そして獅現には、都合良く魔力障害の息子が居たんだ。それがどういう結果を招いたかの答えは……今、私の目の前にある」
それを聞いた僕の脳裏にフラッシュバックしたのは、入院していた頃に頻繁に行われていた採血だった。けれど、違和感がチクリと胸を刺す。本当にそれだけか、と。
「まさか、お前の方が表面に出てくるなんてな、『桐生×××』。けれどその身体に宿る力は吸血鬼の始祖そのもの。なら、もう一人そこに居るんだろう?」
……違う。僕は、知ってる。そうはならないことを知ってる。吸血鬼にとっての血は、そういうものでは無いと知っている。吸血鬼にとっての血は、いや、『紅血族』にとっての血は、『吸血』を通すからこそ意味がある。
……でも、なんでそんなことを知っている?アンセスターに教えてもらった?いや、そうじゃない。最初はそう勘違いしていたけれど、僕は彼女に何も伝えられていない。自分の境界があやふやになった今、それがはっきり分かる。じゃあ、なんで……?
確かに何かを忘れている筈なのに、それの正体は雲を掴むようにすり抜けていく。
「実のところ、ここまでの話は全部『そいつ』に聞かせるつもりで言っていたんだ。見ての通り、私は吸血鬼と実際に協定も結んでいる。互いに人類の敵であることへの証拠として、これ以上ないだろう。なのに───」
青崎所長の顔から、いつもの笑みが消える。
「何故、お前はまだその人間の皮を被っている?まさか、ただの人間ひとりに自我を飲まれたわけじゃないだろう?」
「あ、あいつは確か……生前の力を殆ど失って、力を蓄えてるって……」
夢の中で出会った時に、彼女が言っていたことを思い出してそう言う。けれど青崎所長は納得いかないようで、声を僅かに低くして問い詰めてくる。
「それはおかしい。力を蓄えるなら尚更、自分で表に出てくるはずだろう。現にお前は吸血を忌避して、力を蓄えるのとは真逆の状態に陥っていたじゃないか」
「……そもそも、表に出てくるくらい、力が無いんじゃ」
「それもおかしい。私は吸血鬼共から聞いたんだ。『吸血鬼が他者の血の記憶に呑まれるなんてあり得ない』とな」
「……は?」
いや、だって、現に僕はこうしてここにいて、身体は吸血鬼のモノそのもので、
「当たり前だろう。なんたって吸血鬼にとって、血は主食みたいなもんだ。飯を食う度に自我の存続に関わっていたらキリがない」
「けど、僕は、ここに」
「理解し難いな。結局───『お前は誰だ?』」
───分からない。僕とは一体何なのか。忘れてしまった。全部。
それに、吸血鬼が他者の血の記憶に呑まれることが無いというんなら、あれは───アンセスターと名乗ったあれは一体何だ?
刀香と一緒に積み上げてきた調査も、予想も、何もかも、全部ひっくり返されて儚く消えていく。信じていた物全てが意味を無くして、僕はもう答えを自分で出すことも出来ない。
「まあ、お前がなんであれ……私に必要なのは、吸血鬼の始祖だ」
何も答えることが出来なかった僕に、青崎所長は酷く冷徹だった。
「その表に張り付いた『皮』は邪魔だな」
死神が鎌を擡げるように、青崎所長がゆらりと刀を持ち上げる。注ぎ込まれた魔力が刀身をなぞるように走り、鈍い蒼炎が立ち上がるように空気を揺らす。
「多少は危機感を覚えさせれば、飛び出してくるだろう。話は通じずらくなるかもしれんが、最悪それでも構わない」
そう言い終えた瞬間、攻撃とも認識しずらいような自然な動きで刀が振るわれ───地に伏せる僕の背を抵抗なく切っ先が貫いた。
「あ、ああああああぁぁあぁ!」
もう殆ど痛みを感じなくなっていた筈の身体に、強烈な電撃が流れたかのような激痛が走る。がむしゃらに手足を振り回そうとするが、結界は微動だにしない。
「これでも化け物への対策は練ってきているんだ。いつまでも物見遊山に耽れると思わないことだな」
「あ、うぅ……」
永遠にも感じられるほどの一瞬を得て、刀が引き抜かれる。視界が激しく明転して、自分の意志に関係なくぼろぼろと涙が零れた。それでも、彼女の声は聞こえない。
「……どうやら、まだ寝ぼけているらしいな」
「や、やめ───」
「生憎と、無駄に時間を浪費していられるほどこちらも暇じゃないんだ……とっとと、引きずり出してやる」
「ひっ」
また切っ先がゆらりと上がっていく。声にならない恐怖で喉が引き攣り、動かない身体が恐怖でガタガタと震えた。それでも、一切の容赦なく切っ先は狙いを定める。
「私のために───消えてくれ」
そして再び、刀は振り下ろされて。
キンッという音と共に、明後日の方向へ弾かれた。
「───なっ」
青崎所長が大きく目を見開いて、弾かれた切っ先を見ていた。その僅かな間に幾度か銀閃が煌めき、結界を構築していた楔のような光が切り裂かれ、散り散りに消える。
それを成せる人物は、この場には一人しか居なかった。だからこそ所長はあれだけ驚愕していて……僕も、その剣閃の主を視界の端で見た。
けれど、この場を離れるには今しか無くて───惹かれる心を引き剥がすように、僕は空へ飛び出した。
青崎は立ち尽くしたまま、目当ての怪物が飛び出していった空を眺めていた。追う素振りも見せなかったのは、あれに追従出来るほどの機動力が自分に無いのを、よく知っていたから。
風の音しか聞こえない時が過ぎ、たっぷり2、3呼吸分の間を置いてから、青崎は顔を動かす。この状況を作り出した当人を、正面に見据えるために。
不思議と、この風の音しか聞こえない場所と同じような心境のまま……青崎は、口を開いた。
「どういうつもりだ───刀香?」
そこには、最も信じられる筈の存在が刀を向けていた。
ここからは刀香の物語。




