烈火
最終章。どうか最後までお付き合いください。
とある姉妹の姉は、英雄たる存在として生まれた。
優れた血筋。優れた才覚。そして……その一族に於いて、英雄の絶対条件とされる体質。『先祖返り』と呼ばれるモノを身に宿した、まさに生まれながらの英雄。
とある姉妹の妹は、英雄には程遠い存在として生まれた。
優れた血筋。しかしそれを打ち消すまでの無才。挙句に……身に宿した『先祖返り』を、ただの魔力障害としてしか扱えない、生まれながらの愚物だった。
「我らが神がもう一度この世界にお戻りになるまで、我々はこの世界を守らねばならん」
姉は生まれた時から英雄として育てられた。父親は事あるごとにそう言って聞かせ、崇高なる使命に心を躍らせる信奉者だった。姉には、その言葉の意味はよく分からなかった。
妹は、英雄たる才覚が無い代わりに常人としての才覚には溢れていた。生まれた時から親族に虐げられて育っていたが、知識も人格も真っ直ぐだった。だから、父が良く口にする言葉の意味をよく理解していた。
姉は、親族によく「お前の妹は出来損ないだ」と言われていたが、自分では全くそうは思わなかった。妹とは自分が持たない能力を完璧に補ってくれる存在で、自分の半身といっても差し支えない存在だった。
妹は、親族によく「お前は姉の出涸らしだ」と言われていたが、それが見当違いだと よく知っていた。色眼鏡で見る親族は気付いていなかったが、妹から見る姉はだらしなくてちょっと間抜けな人だった。
姉は妹の様になりたかった。妹は姉の様になりたかった。
姉は妹が無くてはならない存在だった。妹は姉が支えないといけない存在だと知っていた。
姉はそんな妹のことを愛していた。妹はそんな姉のことを愛していた。
─────だからこそ、復讐鬼と成り果てた。
青崎所長が、頬にかかった返り血を親指の腹で拭う。そして床に転がる死体を、何の躊躇もなく踏みにじりながら、私の傍に近づいてくる。
「ぐぅぅぅぅぅ……青崎、何故だ……お前も、不老不死を、得たいと……だから、吸血鬼の力を、引き入れて……!」
「ああ、まだ生きていたのか」
部屋の隅から、聞き覚えのある呻き声がした。大量に積み重なる死体と重なって、満身創痍の獅現が倒れている。
私に向けた笑みから一転して、凍るように冷たい目を獅現に向ける所長。そして手に持つ刀をゆらりと持ち上げながら、その死に体に歩み寄っていく。私は、固まって見送ることしか出来ない。
「裏切ったのか、貴様……!や、やめろ!」
「人聞きが悪い───不老不死なんて、最初から興味も無かったさ」
人類の英雄が持つ刀が、人間に対して振るわれる。瀕死の身体でろくな抵抗も出来ない獅現の首が切り落とされて、ごろりと床に転がった。
「ひっ」
そして、所長が再び私を見る。血に濡れた刀を持ったその姿が途方もなく恐ろしく見えて、悲鳴が漏れた。無意識に後退して、ドンっと背中がドアに当たる。
「きゅ、きゅうけつきに、擬態されて……?」
「酷いことを言うじゃないか。私が、あんな羽虫に遅れを取るわけないだろう」
私が思わず口にした言葉を聞いて、所長は苦笑いをする。そして刀で自分の手の甲に僅かな切り傷を作ると、私の方に向けた。
「再生しないだろう?私はちゃんと人間だよ」
青崎所長の言った通り、手の甲に付いた切り傷は、幾ら待っても再生する兆しすら見せなかった。青崎所長は、確かに人間だ。けれど、私にとっては、吸血鬼の擬態だと言われた方がまだ現実味のある光景だった。
返事もできないままに固まっている私を見て、所長は悪戯が成功した時の様に笑う。
「いやあ、すまないな。どうにもお前には変な気苦労をかけてしまったみたいだ。信用してはいたんだが……どうしても、計画を漏らしたくなくてね」
滔々と語りながらも、一歩づつ私の元に歩いてくる。
「ああ、もしかしてこの喚くだけが能の男に何か言われたか?確かにこいつはお前よりも色々知っていたかもしれないが、間違いなく信用しているのは刀香、お前の方だよ。嘘じゃない」
そして、血の匂いに交じって所長の匂いがする距離まで近づいて、足を止めた。たまらずに私は叫ぶ。
「なんで……なんで隊員を殺したんですか!彼らは、仲間の筈で……」
所長を糾弾するようなことまでは言い切れずに、言い淀む。そんな私の様子にも所長は驚くような仕草は見せず、まるで聞き分けの悪い子供を諭すかのように言った。
「あいつらはもう、必要なかったからな。ここからは障害にしかならないんだ」
「しょう、がい……?」
所長が、とても異分子殲滅隊の長が言うようなものではない言葉を当たり前かのように口にする。浮かべた苦い表情も、苦手なものを口に含んだ程度のもので。
「でも、良かった。お前が戻ってきてくれて」
所長が、私のすぐ目の前で止まった。
「私は足が悪いからな。信用できる奴が近くに居ないと、非常時に外になんて出歩けない」
壁際に追い詰められて逃げ場のない私に、冷たい空気を纏っているかのような両の手が伸びてくる。そしてその冷たさそのままに、私の頬に触れた。
お互いの息がかかるほどに、顔が近づく。ギラギラと輝く蒼眼に吸い込まれそうな感覚に囚われて、呼吸が止まる。
「私は、これからこの世界全てを壊してしまおうと思っているんだ」
現実味のない言葉に、自分がどこに立っているのかすら分からなくなった。自分の世界全てを所長に掌握されて、宙に浮いているような感覚にふらつく。
「もう少しで、吸血鬼の大群がこの都市を襲う。今外出している隊員だけでは到底止められない、夜の群れが来る」
所長の声だけが、響き渡る。
「吸血鬼は住民も、隊員も殺しつくすだろう。そうしたら、とっておきの爆弾に火が付くはずだ」
「とっておきの、爆弾……?」
「ああ、お前も良く知っている爆弾だ。それを、私のものにする」
そして、と。所長が勿体ぶって言った。
「その力で、この世界を壊す。吸血鬼も、人間も、全て」
そう言い切った所長は、纏う空気とはまるで反対の、烈火のような魔力を、自らの双眸から滾らせた。
「───刀香、お前だけは、最後まで私と一緒に居てくれるんだろう?」
いつも私が口にしていた言葉が、魔法を唱えているのかのように力を持って、所長の口から綴られる。血濡れた親指が私の頬をなぞって、赤い印を作る。
「私からも願うよ。刀香、最後まで私と共にあってくれ。そうすれば、私も安心して先に進める」
本当に魔法にかかっていまったみたいに、頭がくらくらする。所長の言葉が、私の頭に甘く溶けて混ざっていく。それがどうしようもなく楽で、心地よかった。
恐怖心も、不信感も、全て溶けていく。この人と共にあれば何も問題ないのだと、そんな風にいつも思っていたことが、ようやく心の中で綺麗に芽生えた気がした。
私の頬に触れていた、血濡れた所長の手を取る。熱に浮かされるような非現実感をよそに、私は返事をした。
「……はい。私は、最後まで所長と共にあります」
けれど、自分の声が少し震えていたのは何故だろう。




