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もう一度

 偽白銀が紅の巨大なナニカで吹き飛ばされ、私の視界から消える。一瞬混乱はしたが、その攻撃をした者の正体はすぐに分かった。何せ、この戦いに割り込む可能性のある存在など一人しかいないから。



「───緋彩!」



 思わず叫びながら、攻撃の根本へと目を向ける。当然そこには緋彩が居て───その姿を見た瞬間、私は息を呑んだ。


 緋彩は、目に見えるほどの魔力が渦巻く紅の湖の中心で、全身を血に染められて超然と立っていた。そして敵を見据える双眸はゾッとするほど冷たく、けれどその冷たさとは反対に、透明な涙を流している。そしていつの間に外したのか、破損したガスマスクが首元に垂れていた。


 ……そこに立っているものは、見た目こそ確かに緋彩だったのだけれど、その立ち振る舞いがあまりにも記憶の中の緋彩とは異なった。いっそ新手の吸血鬼が現れたのだと言われた方が、納得してしまうほどに。


 だからこそ息を呑み、無意識に警戒しようとして……緋彩が、涙を袖で無造作に拭った。そして再び現れた双眸は、私が見間違えただけなのかと思うほど、文句のつけようもないくらい普段の彼女に見えた。


 言いようもない違和感に襲われるが、油断ばかりしてはいられない。今集中すべきことは目の前の敵を倒すことだろうと、緩みかけた自分の精神を叩き直す。


 そしてその敵が叩きつけられた方である、罅割れた壁に身体の正中線を合わせる。巨人の腕のような緋彩の攻撃に直撃してなお、偽白銀は健在らしい。邪魔な紅の柱を力任せに退けて、狼狽したような表情を見せる。



「姫様!私です!ヴィーラです!私のことがお分かりにならないのですか!」



 偽白銀が、緋彩に向かって叫ぶ。どうやら、個体名はヴィーラというらしい。その分かりやすい隙を利用させてもらって、私は緋彩の元に駆け寄った。靴底で血を踏んで、水音が鳴る。



「緋彩、身体はもう大丈夫なのですか?あれは、遠巻きに援護だけしてくれればあとは私が倒します」



 敵……ヴィーラに意識を向けながら、早口に言う。まともに戦闘訓練も施せていない緋彩と、近接戦闘で連携は取れない。そう判断しての指示だったのだが……反応が返ってこない。



「……緋彩?」



 やはりまだ万全ではないのかと思いつつ、もう一度名前を呼ぶ。しかしそれにも返事はなく、代わりにガスマスクが床へと落ちる、鈍い音が響いた。


 緋彩が、今まで首元に垂らしたままだったそれを引きちぎって床に放ったからだ。そして顔に両手を当てたかと思うと、身体を震わせて俯く。明らかな異常に私がもう一度声を掛けようとした瞬間、虚ろな声が響いた。



「駄目……刀香。あんなのに近付いたら、怪我しちゃう……そしたら……凄く痛いから」


「っっっっ緋彩!気を確かに持って───」



 ヴィーラが動き出す気配を感じ、言葉を切り上げて前に出る。錯乱してしまったらしい緋彩を守らなくてはならないから。



「返せ……返せ!我らの姫を返せぇ!!!」



 狂熱を顔に浮かばせ、一直線にこちらへ突っ込んでくる。もう寸分の隙も許されない、刹那の瞬間。





「『血よ、従え』」





 なのに、まるで時間が止まったかのように、その声は確かに響いた。



 まず、高速で鞭のようにしなるモノがヴィーラの突進を横合いから薙ぎ払った。


 吹き飛ばぬうちに、下から掬い上げるようにして巨槌が現れ打ち上げた。


 空中にいるうちに、天と地から無数の棘が伸び、そのまま磔にした。

 

 

 自分でも何故それを目で追うことが出来たのか不思議なほど、一瞬の出来事だった。そして目の前に残ったのは、不気味なオブジェ一つ。遅れて、その光景が現実であることを示すかのように、赤い血が滴った。


 私は、金縛りにあったかのように動けない。それを成した者が緋彩だと……内気で、子供っぽくて、無邪気な、あの子の成したことだというのが信じられなかった。


 一連の猛攻は、正しく人外の力だった。人の限界の外にある、純然たる理不尽。どこまでも人間臭い彼女が振るうにしては、あまりにも……歪に過ぎる。


 だが、その硬直もすぐに解ける。磔にされたヴィーラが、それでも足掻こうと身体を動かし始めたからだ。手負いの獣ほど恐ろしいというのは、話でも経験でも知っている。油断せず、一気に距離を詰める。



「ま……だ、私は……!」



 しかし、刃が届く直前に、今までで最も大きい空間のゆがみが発生する。それは振るった刃の軌道を逸らすだけに留まらず、ヴィーラを中心にして、黒い虚無の空間を作り上げていく。



「くっ、これは!?」


「姫様!必ず……助けに来ますからぁ!」



 やがてそれはヴィーラを中心とした黒い球体のようになり……一瞬で消え去る。すると黒い球体の中にあった物は、空間が削り取られたかのように、全て同時に消え去っていた。


 あまりにも呆気ない逃走。残ったのは球体の範囲から外れていた赤い棘と、床に滴った血液だけだ。霧化でも、蝙蝠化でもない。そんな逃亡のしかたをする相手は初めてだった。


 私は焦れるような気持ちを抑えつけて残心すると、確かにもうここに敵は居ないと判断する。そして早足で緋彩の傍に近寄ると、膝を曲げ、うつむいたままの顔を下から覗いた。



「緋彩、大丈夫ですか?私の声をちゃんと聞いてください」



 出来るだけ優しくなるように意識しながら、そう語り掛ける。覗き込んだ顔はいつも通りあどけなく、眦にはまだ涙が粒になって溜まっていた。そこに怪物の影はなく、ひとまずはそっと胸を撫でおろす。



「大丈夫……聞こえてる」


「なら、良かったです。では、これからの方針を言いますから───」



 不意打ちだった。すっと、私の口を塞ぐようにして緋彩の手が伸びてくる。驚いて瞠目していると、緋彩は手を伸ばすままに数歩後ろに下がってしまった。俯いた顔が上がり、目が合う。


 そこで、気付く。目が合っていると思ったのは、私だけだった。緋彩の瞳は確かにこちらを向いていたけれど、そこに写している光景は、もっと遠くの何かとしか思えない。


 そして、緋彩が悲しむように目を細める。迷ったように声もなく口を動かして、けれど、発した言葉はごく短い物だった。



「ごめん……刀香。僕、行かないと」


「行かないと……?ちょっと、待ちなさい、緋彩!」



 言い切った瞬間から、緋彩の身体が霞の様にどんどん薄れていってしまう。吸血鬼の能力の一つである、霧化を使おうとしているのは一目で分かった。けれど、何故、今。


 分からないけれど、分からないままに手を伸ばす。しかし、緋彩が下がった数歩分遅れて……私の手は、何もない空間に虚しく空ぶった。










「………」



 一人に、なってしまった。


 すぐ前まで一人で行動するのが当たり前だったのに、やけに寂しく感じるのは何故だろう。一人で勝手に行ってしまったことも、怒る気になれないのは何故だろう。


 分からない。分からないことだらけだ。賢そうに振舞っておいて、不敵な自分を演じておいて、結局、私は何も知らない。今の状況も、所長のことも、緋彩のことも。


 しかも怨敵の吸血鬼に無様に苦戦して、結局は緋彩が一人で片付けてしまった。かと思えば、目の前で逃走するところをおめおめと逃してしまって。


 吐きそうなほど不甲斐ない。でも、弱音を吐露するには少し、現状は混沌とし過ぎていた。獅現は逃がしてしまうし、吸血鬼も逃がしてしまうし、緋彩は単独行動に出てしまっているし。


 ……重い足を、引きずるようにして動かす。何をするにしても、まずは所長の元に戻らなければならなかった。獅現の向かい先もそのように言われていたし、それになにより、



「所長、私は……」



 所長の指示が無ければ、暗鬱とした気持ちに囚われてしまいそうだった。




























 走る。走る。走る。


 霧化は長時間使えない。だから今はとにかく、走って走って走り続けた。胸に去来する色んな感情を振り切るようにして、建物の屋上を伝い、跳んで、また走る。


 考えているのはずっと、さっき見た夢のこと。勿論、あれがただの夢だとは少しも思ってなかった。あれは……記憶だ。僕の血から読み取った、僕の記憶だ。


 けれど、分からない。どうして忘れてしまっていたんだろう。あんなに大切で、悲しくて、僕の中心にあった記憶。僕が僕である証明といっても過言じゃないくらいの、僕の核にあった記憶。


 いや、むしろ、忘れてしまっていることのほうが多いんじゃないのか。忘れてしまったことすら忘れてしまって、何ともないように、自分が自分であると信じているだけで。


 ああ、そうだ。思い返してみればそうだった。そもそも、僕は……




 自分の名前すら、自分で思い出せなかったじゃないか。




 ぐにゃりと視界が歪んで、いつの間にか身体は地面に転がっていた。身体を起こそうとして、酷い吐き気にえずく。


 今まで無邪気に信じていた自分が自分であるということ。けれど、知ってしまったら、もう無邪気では居られない。もう、自分を信じることが出来ない。



「ぅ、ああぁ……」



 嗚咽が漏れて、涙が溢れて、それでも、這いずるように立ち上がる。そんな僕でも、それでも、思い出すことが出来たんだから。一度失ってしまっていたのだとしても、思い出したのなら、僕の記憶なんだから。


 だから、あの時言えなかった言葉を、気持ちを、届けないといけないと、そういう一心で身体は動いていた。お互い手を伸ばし続けることはできなかったけれど、何の偶然か、思い描いていた希望に届いていたんだって、伝えたかった。だから……



「鈴……」



 僕は、会わないといけない。


 たとえ信じてもらえなかったとしても、僕の正体が吸血鬼だってことを恐れられてしまうかもしれなくても。


 一度死んでしまった僕が、吸血鬼として生まれ変わったなんて話を、僕は鈴にしなければならないんだ。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 主人公が吸血鬼の権能を使ったりすると姫に乗っ取られやすくなると思ってたので、一連の出来事で記憶を取り戻した事によって今後の展開がどうなっていくか楽しみですね [一言] ぶっちゃけ章タイ…
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