記録
いっちょあがりぃ。あ、誤字報告感謝です。それと感想もいつもありがとうございます。何とか完結まで漕ぎつけるつもりなので、どうか最後までお付き合いください。
エレベーターからそっと降りる。ブーツ越しでも床の冷たさを錯覚しそうなほど、落ち着かない気持ちで足元が浮ついていた。それを誤魔化す様に、何度か床をしっかり踏みしめる。
そうしてきょろきょろと視線を彷徨わせている僕とは反対に、刀香はエレベーターから降りてからもじっと、獅現さんと白銀さんに視線を固定していた。
「付いてこい。資料室まで案内しよう……言うまでもないと思うが、余計なものには触るな」
後半にくっついた言葉は、主に僕に対して向けられていたような気がする。冷や汗をフードの奥で流しながら、そっと首の向きを正面に固定した。
僕の一歩前に立っている刀香に、ブーツの踵でこちらのブーツを小突かれる。気を抜くな、ということだろう。一度ゆっくり深呼吸をして、出来る限り姿勢を整えた。
獅現さんが無数に伸びる通路の一つに歩みを進める。他のみんなもそれに続き、最後に気を引き締め直した僕が続いた。
もう話すこともないということなのか、エレベーター内とは正反対に無言で歩みを進める。そうしているうちに、目的の場所へは思いのほかすぐ辿り着いた。
てっきり膨大な量の書類が収納されていると思っていたそこは、予想に反し、学校の教室一つ程度の広さ。壁際にはガラス戸の戸棚と、綺麗に整頓されたファイル達。そして部屋の一番奥には、巨大なモニターとコンピューターが聳えていた。
地下なので当然窓もなく、ピタリとした白い正方形の部屋は独特の圧迫感がある。チラリと横目に獅現さんを見ると、丁度口を開くところだった。
「映像記録は全てそれに詰まっている。持ち出しまでは許可しかねるが、写しなどはとっても構わない。ただ、内容を無暗に広げるのは──」
「所長の不利益にも繋がるということですね。ですが、これらが偽装であるようなら」
「その心配には及ばんさ。実験内容を再現すれば、嘘ではないことなど一目でわかるだろう?青崎が関わっている記録の整合性なら、お前なら後で本人に聞けば済む話だ」
「……そのようですね」
刀香は憮然たる顔を浮かべると、ささっと目星を付けたのか適当な棚に近づいていく。そしてざっと背表紙に目を通すと、幾つかのファイルを引き抜いて目を通し始めた。
僕も追従して棚に近づき、はたと動きを止める。刀香の話曰く、僕は今回人数合わせに連れられただけの部下、とのことだった筈。であるならば、僕は白銀さんの様に、部屋の出入口で待機しているのが自然なのではないかと。
それでどうすればいいのか悩んで立ち止まっていると、資料を捲っていた刀香の手がピタリと止まり、僕の方へ振り返った。
「スカーレット、貴方も手伝いなさい」
「……!」
そういうことならと、頷いて返事をしてから刀香の隣に並ぶ。けれど近付いてみれば棚は思ったよりも高さがあり、近づくと角度が邪魔をして中々背表紙が見辛い。
今履いているブーツは軍用なだけあってそれなりに厚底なのだけれど……取り敢えず、爪先立ちでどうにか足りない分を補おうとする。しかし今度は厚底が邪魔をし、非常にバランスが取りにくい。
引っ張り出すだけならギリギリ届くのだけれど、この資料群は結構な量だし、むやみやたらと手に取ったところで何も得られないまま日が暮れてしまうだろう。
刀香に持ち上げて貰って……いや絶対駄目だ。僕の尊厳的な意味でも刀香の立場的な意味でも駄目だ。第一人目があるし。そんな情けない姿を晒せるはずがない。
そんなことを考えて、ガスマスクの下で歯軋りをする。この身体になってから随分と背は縮んだと思ってはいたけれど、こういう場面ではなんだかんだ周りの人がそっと助けてくれていたから、そこまで苦ではなかった。それがまさか、こんな形で不自由することになるとは。
異変に気付いたらしい刀香からの視線が痛い。背後だから確認できないけれど、獅現さんと白銀さんも同じような視線を向けてきているかもしれない。そう思うと途端に部屋の隅で膝を抱えたくなった。
「……あの、スカーレット」
刀香がそっと「私が悪かったから、待っていてくれて構わない」と、言外にそう伝えられる。けれどこれだけ必死に背伸びしておいて、今更諦めてすごすご引き下がるのが一番恥ずかしい。
半分くらいムキになりながら限界まで背を伸ばす。けれど見えないものは見えなくて、焦った僕はなんとか出来ないかと思考を張り巡らせる。
ジャンプ、は流石に良くないと判断できる理性はまだ残っていた。だからといって踏み台みたいな気の利いたものはどこにも見当たらない。となると、どうしても方法は限られてきて……。
はっと、今の僕は以前のもやしと違って、かなりの身体能力を持っていることを思い出した。にゅーっと手を伸ばし、棚の段差に手を引っ掛ける。
そして完全に集中がと途切れてしまったらしい刀香の訝しむような眼を横に、どっこいしょ~っと身体を一気に持ち上げた!
「は、ちょっ、危ない!」
視界がグイっと上がり上手くいったと思った瞬間、悲鳴じみた刀香の叫びが飛んでくる。
「……え?っっっああぁぁぁああぁ!!!?!?」
その大声に驚いて刀香の方を向いた瞬間、世界が流れるように傾いていき───ガラス戸が砕け散るけたたましい音と共に、倒れた戸棚が床に叩きつけられた。
僕を下に敷いて。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
目の前の事態に一切声を上げられない三人。叩きつけられた衝撃と驚きで動けない僕。
反射的に痛みを覚悟して身を竦めていたけれど、段々頭が事態に追いついてくると、どこも痛まないことに気付いた。どうにも、身体に力を込めた拍子に魔力が漏れていたらしい。偶然だけれど、それに救われた。
しかし、それなりに重い。というか顔ごと潰されているのだから当然だけれど、何も見えない。とにかく抜け出そうともがいていると、突然一気に視界が開けた。
「……えー、その、大丈夫でしょうか?」
一番最初に視界に入ったのは白銀さん。どこか引き攣っている声で呼びかけてきながら、こちらを覗き込んでいた。棚を持ち上げてくれたのも、どうやら白銀さんらしい。
じゃあ刀香はどうしているのかというと、いまだに絶句したまま硬直していた。信じられないものを見るときの目をこちらに向けて、指先一つ動かしていない。
僕は主に感情的な問題でギシギシと軋む腕を動かして、身体に乗っかっているファイル達を横に退ける。そしてギクシャクとした動きのまま、何とか上体を起こした。
けれど、頭がくらくらしてそれ以上は中々動けない。そんな僕を見かねてか、白銀さんが片手を差し伸べてくれる。
「あ、えと、ありがとうございます……」
無下にする理由もないし、その手を掴んで引き上げて貰う。今日は襤褸が出るのが怖くてずっと声を出さないようにしていたのだけれど、流石にここで無言を貫いても違和感しか残らないと思い、顔を上げ、感謝の言葉を何とか形にした。
「いえ、当然の───」
淀みなく返した白銀さんの言葉が、不自然に途中で止まった。
そして見上げる形になった僕をじっと見て、すっと表情を消す。いや、僕と言うより、もっと別の何かを見ているような……それに、僕を引き上げた手に、やけに力が籠っている。
「あ、あの……何か……?」
ともかく白銀さんの急変の理由が分からず、首を傾げる。そこで頭の感触と、見上げる形なのにやけに視界が広いことに違和感を覚えた。
はっとなって頭に手を伸ばす。気付けば当然のことだったのだけれど、ずっと被っていたフードが後ろにすっ飛んでいた。手探りで引っ張り出して、慌てて被り直す。
僕のその仕草を見て、白銀さんの表情もはっといつも通りに戻った。何となくバツが悪くて、そのままフードの上側を使って白銀さんの完全に視界を切る。
「……取り敢えず、片付けますよ」
微妙な空気になったところで、ようやく衝撃から立ち直ったらしい刀香が歩み寄ってきた。丁度いいタイミングの助け舟にこれ幸いにとそちらに振り向いて、ひっと喉が引き攣る。
怒っている。間違いなく怒っている。ぱっと見ではいつも通りだし、声も特別冷めているわけではない。けれど、幾らか刀香のことが分かってきた僕視点では、明確に怒りを秘めていた。
僕はがたがたと震えだしそうな身体を必死に抑えて、必死に首肯する。そして少しでも失態を取り戻そうと、あたりに散らばったファイルを手元に集め始めた。
刀香もはあ、と溜息を付いてから、床に散らばったガラス片を隣に退け始めた。しかし、あらためて周囲を確認してみると、随分な惨状と化してしまっている。僕が魔力を持っていなかったら、血みどろの大惨事だったろうし。
ハリネズミになっている自分を想像して、ぶるりと肌を震わせる。とにかく今は無駄なことを考えないで、片付けを済ませてしまわないといけない。
「手、切らないようにしてくださいね」
「……はい」
細かい破片もそこら中に散らばってるし、油断した状態で踏み抜いたら普通に怪我をしそうだ。というか最悪、資料類もガラス片で傷付いてしまうかもしれない。早急に両者を隔離しようとファイルの一つを手に取って───
ピタリ、と時間が止まってしまったかのような錯覚に襲われた。
身体の感覚が一気に遠くへ離れて行って、頭に氷柱を突っ込まれたかのように思考がどんどん冷めていく。
正真正銘、本当に震えだした手を伸ばして、僕は今手に取ったファイルの、その表題を指でなぞった。
『個人記録:柊 鈴』




