純心
難航中……
「貴方、まだ割り切れてなかったんですか」
「……うるさい」
基地の駐車場に向かいながら、制服のフードで表情を隠しつつそう言い合う。顔を隠さなくてはならないほど動揺している僕に対して、刀香はいつもの澄まし顔なのが恨めしい。
昨日も予想していたことだったけれど、やはり刀香は更衣室まで付いてくると普通に入ってくる。黙って立っている刀香の隣で着替えることの気恥ずかしさと言ったらもう例え様もないほどなのに、原因の彼女はこう言ってくるのだ。
「いちいち着替え一つで騒がないでください。キリがないので」
「刀香には分からないやい……」
愚痴りつつも、深呼吸を繰り返すうちに気持ちは切り替わってくる。この後にもしかしたらもっと動揺させられるようなことが待っているのかもしれないのに、こんなことで騒いでいられないのは確かだし。
ぱんぱんっと頬をガスマスクの上から叩いて気合を込めているうちに、駐車場へと着く。そして刀香が乗り込んだ装甲車に続いて乗り込んだ。
音を立ててドアが閉まり、エンジン音が鳴りだす。出来上がった無機質な室内は、毎回僕の緊張を否応なしに高めてくる空間だ。顔の前に手を合わせて、深く息を吐く。
考えるのは、今から向かう紫原家のことばかり。ぐるぐると頭を回る思考にメンタルはどんどん傷付けられてきて、このままではいけないと明るい話題を口に出した。
「きゅ、急だけど……この件が終わったら、刀香はどうするの?」
「本当に急ですね……それに、どうするの、というのも抽象的ですし」
口にしてから油断するなと怒られるかも、と思ったけれど、僕の心境を汲んでくれたのか、刀香は腕を組んで僕の問いについて思案しだした。
「まず、貴方の魔術を鍛えなければなりませんね。それと戦闘術も。ある程度形になるまでは、暫くそうなるんじゃないかと思いますが」
「い、いきなり訓練の話ですか……」
「元の方針と言えばそうだったでしょう。色々とあって延期にしていますが。本来ならこっちが最優先です」
ごもっともである。それに積極的に戦いたいというわけではないけれど、戦えるということの大切さは、僕も外周調査の時に身をもって知ったつもりだ。それに、肉体的な疲労とは程遠いこの身体であれば、そこまで過酷にもならない……筈。
「貴方こそどうするんですか?思えばやりたいことだとか、夢だとか、聞いたことありませんでしたね」
「僕の、やりたいこと……」
「ええ。貴方は多少無欲な所がありますし、私としては気になりますね」
そういえば僕も、考えたことがなかった。漠然とこう、このまま平穏に鈴と暮らしていければ良いなとは思っていたけれど、はっきりとやりたいこと、と言われると全くない。
普通の人だったらここに職業だとか、趣味の何かであったりとか、結婚だとかが出てくるのだろうか。元々それらがほぼ全て縛られていた身としては、少し想像しずらい。
本を読んだり、音楽を聴いたり、美味しいご飯を食べたりするのは好きだ。けれど、そういうことでもない気がする。考えれば考えるほど、僕は病気から解放されて自由になった癖に、自由になった結果何が出来るようになったのかを全く理解できてない気がしてきた。
素直に思い当たらないと口に出そうとした時に、ふと胸に引っかかる光景があった。病室の真っ白なベットの上で、沢山開かれた本の山。それを読んでいるときの心の燻りが鮮明に浮かび上がってきて。
「……僕、小説が書きたいな」
「小説、ですか。理由を聞いても?」
「なんていうか……この世界は区切られちゃってて、凄く窮屈に思うときもあるんだけど……」
僕は窓の外を見る。少しでも土地を無駄にしないよう敷き詰められたビル群。その遥か奥に見える、曇ったガラスのような巨大な結界。
「物語の世界だと……頭の中の世界だと、すっごく広いんだ。壁なんて当たり前みたいに無くて、見渡した限りの先まで歩いていけて……」
生前の僕にとって、その壁とは、あの病室の白い壁と窓。けれど本を読んでいる間だけは、僕の身体は自由で。
「僕にも、そんな自由な景色が作れるのかなって……そういえば、ずっと思ってた気がするから」
零れ落ちるように言葉を紡いでそう締めくくり、不意に恥ずかしさがこみ上げてくる。なんというか、語り過ぎたというか、妄想がそのまま零れてしまったというか、そんな感じの恥ずかしさ。
「まあ、その、そんな感じです……」
それを適当に誤魔化しながら刀香に視線を戻す。黙って聞いていた刀香は、じっと僕を見つめていた。柔らかいような、はにかむような、悲しげなような、不思議な顔だった。
「……あれ、刀香?」
「あ、ええ、良いと思います。ええ、凄く」
我に返ったらしい刀香が、珍しく動揺を隠せない返事をする。それに僕がはてと首を傾げていると、刀香は目を伏せて「そうですか」と一言、消え入るような声で呟く。そして突然、こんなことを言った。
「私、何故貴方を好ましく思うのかが分かった気がしました」
「え、そ、そんな大仰な話だったっけ?」
「素敵な話でしたよ。どうか、その夢は大切にしてあげてくださいね」
いきなり褒められてあたふたしているうちに、そんな風に綺麗に纏められてしまった。刀香の言葉の真意は結局分からずじまいだったけれど、まあ、それでもいいかと前を向く。
話をしている間にも車体は前へと進む。目的の場所はどんどん近付いていた。
車から降りて最初に感じたのは、違和感だろうか。そしてその正体は、すぐに掴める。
この建物の周辺は、あり得ないくらい開けているのだ。鉄格子に囲まれた和風の広い庭に、木製の長屋。そういえば僕の家も木製の長屋だったけれど、それでもこれほど広々とした庭は付いていなかった。
ここの家主が大貴族だということが、ひとめで分かる場所。というか僕はここで暮らしていたこともあるはずなのだけれど、あまりにも昔過ぎるからか、懐かしさは一切感じなかった。
僕が景色に圧倒されてあっけに取られていると、隣に刀香が並ぶ。そして僕と同じように屋敷へと一瞥をくれると、ふんっと鼻で笑った。
「相変わらず、家主の尊大な性格が透けて見える家ですね」
「……刀香、僕のお父さんのこと嫌い?」
「そういう聞き方をされると少し答えずらいですが……控えめに言っても、あの人は人に好かれるような性格ではありませんね。その分、能力は高いのですが」
「ふーん……」
そんなやり取りをしていると、広い庭の奥から一人の老執事がこちらに向かってくる。柵の門の前で待っていると、その人は僕たちの前まで歩み寄り、丁寧に一礼した。
「異分子殲滅隊実働隊所長直轄の隊長、刀香様と、副隊長、スカーレット様で間違いございませんね?」
「ええ」
「それでは案内させて頂きます」
驚くほどスムーズにそんなやり取りがなされ、広大な庭に足を踏み入れる。完璧に整えられたそこは、石畳の上でも踏むのが申し訳なく感じるほど綺麗だ。
雲の上を歩いているようなふわふわした感覚のまま玄関まで進み、靴を抜いて屋敷に上がる。そこでふわりと鼻腔をくすぐった木の香りだけは、何処か懐かしさを感じた。
「こちらです」
一つの襖の前で、老執事さんが一礼してそう告げた。その言葉に、心臓は否応なしに鼓動を早める。
この薄壁一枚向こうに、実の父親が居る。その人を目にした時、僕はどう思うのだろうか。特別に感じるだろうか。忘れているのだから、ただの他人の様に感じるのだろうか。
逸る気持ちを落ち着かせようと、一度深呼吸をした。そんな僕の様子を横目で見ていた刀香が、目でもう大丈夫ですかと聞いてくる。僕が頷いて返すと、刀香が襖を引いた。
「……は?」
そして中にいる人物を見て、刀香がそんな声を上げる。何かハプニングだろうかと僕も刀香の背から部屋の中を覗き、そこに居る人物を目に入れて、何とも言えない気持ちになった。
「やあ、お二方。悪いけれど、同席させてもらうよ」
「───白銀、何故貴方が?同席者が居るなど聞いていませんよ」
中性的な容姿と声が特徴の白銀さんが、飄々とした態度で壁際に立っていた。不機嫌さを滲ませた刀香が詰め寄ろうとした刹那、横合いから重厚な声が割り入った。
「護衛だよ、青崎の猟犬。何せ最近、物騒な話が多くてな」
僕はその声の持ち主に目を向ける。
一目で高級と分かるタキシードに身を包み、髪をオールバックで固めた、独特の威圧感を纏った男がそこに居た。堀の深い顔を少し歪ませ、僕達を睥睨する。
その圧迫感のまま、僕は気圧されてじりっと半歩下がる。けれど刀香は一切物怖じせずに胸を張り、堂々とその人物と相対した。
「どうも、お久しぶりですね───紫原獅現さん」
そんな刀香の挨拶にその人物、紫原獅現さんは……僕のお父さんは、鼻を鳴らした。
「相変わらず、青崎に似て不遜だな、お前は」
おすすめ全て読み切りました……というか、読み切るくらい遅くなって申し訳ない……少しまたスランプっているので気長にお待ちいただけると幸いです。それではよいお年を




