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帰ってきたら

ちょっと緩衝材を挟みまして、次からですね

「……さて」


 退室していく緋彩を手を振り見送った私は、独り言で気持ちを切り替えて、一度書類を棚から引っ張り出す。


 そのうちの一つには、緋彩が異分子殲滅隊に入隊した時に語った、どういう経緯があって吸血鬼になったのかがメモされている。そしてその中でも一番最初に、私は目を向けた。


 病院で危篤だと医師に伝えられ、病室で一人にしてもらい、意識を失う。そして次に気がついたときはもうあのビルの屋上にいて、吸血鬼になっていた。


 つまり緋彩はその意識を失っているうちに吸血されたということになるのだが……では、その吸血鬼は一体どこから現れたのか。


 そもそも、吸血鬼が他人にすり替われるほど血を吸ったとて、元の人格が吸った他人の人格に奪われるなど、そんなことが本当にあるのか。すり替わりの実例で言えば、あの隊員に化けていた吸血鬼がそれにあたるのだけれど、あれは完璧に制御して見せていた。


 他にも、緋彩には言えなかったけれど……そもそも、緋彩が目覚めた日に、吸血されて殺された人物が居るなどいう報告も、何処を探したって見つからなかったのだ。


 そして吸血されたはずの緋彩の生前の体は、驚くほどスムーズに火葬されて埋葬された。これが一番の謎で、その火葬された日と言うのが緋彩が生前に意識を失ってから一日後の出来事であり、つまり記録では、そこで緋彩は一度死んだということになるのだが───


 ……意識を失う。次に気が付いた時はあの屋上……やはり鍵となるのは、この間。緋彩の記憶にすらない空白の数日間。そこで一体、何があったのか。


 そもそも死因は吸血?それとも病死?間違いなく言えるのは、それらが人の手によって意図的に秘匿されているということで……そうなるともはや、本当に緋彩は死んだのかすら怪しいだろう。何せ、直接死体を見たのは、秘匿している連中の身内のみだ。


 幾らか進展したとはいえ、やはり分からないことだらけだが……想定できることもある。そして私はその中でも、最悪のケースに備えなければならない。


 その場合、緋彩には悪いが、この件は所長に話すことになるだろう。所長はああ見えて慈悲深い方だし、そもそも緋彩の危険性くらい、引き入れる前から想定している筈のお方だ。緋彩が恐れているような事態は、まず間違いなく杞憂に終わるだろう。


 勝負は、明日。紫原家の連中の目的は何なのか。あの病院で、一体何をしていたのか。


 もしこの一連の騒動が、私の最悪の想定通りならば、私は────『人』に、刃を向けなければならない。


 視界が鈍い青色に染まり、静かに湧き出てきた殺意を、私は呼吸と共に空気へ溶かした。























「ただいま~」



 そう口に出した途端、一気に疲労が押し寄せてきた。身体的な疲労からは殆ど無縁になったこの身体だけれど、精神的な疲弊だけはどうにもならないらしい。



「お帰り~……お疲れみたいね」


「うん、結構、疲れたかも……」



 靴を脱いで土間を上がった僕の元に、リビングからてくてくと姿を現す鈴。ぐってりしているのが一目瞭然だったのか、開口一番に心配されてしまった。



「頑張るのは偉いことだけど、頑張りすぎは身体に毒だから、程々にね」


「分かった。けど、今が頑張り時だから」


「そっか。じゃあせめて、休憩はしっかり取らないとね」



 一緒にリビングへ向かいながら、そんな会話をする。ふと、今日の昼に職場のみんなから聞いた話を思い出した。そこで鈴に言われていたことの一つが、ワーカーホリックだったか。


 改めて鈴の様子を見ても、とてもそういう風には見えない。もしかしたら僕の見えないところではそれに相応しい働きっぷりなのかもしれないが、やはり限度があるだろう。何せ、同居の身だし。


 そんなことを考えながら、二人並んでソファーに座る。背もたれに身体を沈めると、本格的に疲労の色が強くなってきて、目の奥に鈍痛を感じる。瞼が重くなってくるのを感じながら、身体の力を抜いた。



「実は今日、もう晩御飯作っちゃったんだ。先に食べる?それとも、シャワー浴びてくる?」


「………………………すぅ」


「緋彩~?流石にまだ寝ちゃ駄目よ~?」


「うぅぅ………………」



 刹那の間にシャットアウトされそうになっていた意識が、身体を揺さぶられることでギリギリ持ちこたえる。しかし身体の方には力が入らず、揺らされた反動のまま鈴にもたれかかった。


 頭の奥で何か警告のようなものが聞こえたけれど、触れた部分から伝わってくる体温の前にすぐ聞こえなくなった。全身が溶けるような感覚が心地よくて、更に身体を摺り寄せる。



「もう……仕方ないわね」



 するとふわりと浮遊感がして、一気に体温を感じる場所が増えた。薄く目を開くと、膝の上にのせられて正面からしっかり抱きかかえられているのだと分かった。


 流石に少し羞恥心が湧いてきて身体を起こそうとするけれど、すかさず身体に回された手で頭を撫でられて、その意思もすぐに沈んでいく。



「あ、また髪がぐしゃぐしゃになってる」


「ん~……」


「シャワー浴びておいで?いつも通り乾かすのは私がやってあげるから」


「………やだ」


「今日は甘えん坊さんねぇ……どうしたの?そんなに眠いの?」



 眠い……眠いと言えば眠いのだけれど、それとはちょっと何かが違う気持ちだった。頭がふわふわしてきて、何も考えたくなくなるような気持ち。脳の中心で凝り固まっていた疲れが溶けていくような気がして、凄く癒される。


 そう言えば鈴も、無理をしているような感じがあると言われていた。だとしたら鈴も、凄く疲れていたりするんじゃないだろうか。そんな風に思った僕は、ある種の無敵感を胸に抱きながら身体を伸ばした。



「…………………あの、緋彩、これはなんでしょうか」


「よしよし……鈴も頑張ってて偉いね……」



 鈴の頭を胸に抱え込んで、いつもされているように撫でてあげる。自分よりも下から鈴の声が聞こえるという、滅多にない状況に満足しながら息を吐く。



「緋彩!私これ!ダメかもしれない!!!」


「ん、ちゃんと大人しくしてて……」


「一回!一回シャワー浴びてこようか!」



 僕が謎の充実感に浸っていると、またもや軽々と持ち上げられてしまう。そして訳も分からないうちに脱衣所に放り込まれて、鈴が扉の向こう側から叫んだ。



「一回ちゃんと頭を……冷やしちゃだめだ。あっためて!」



 床に座り込んで目を丸くしながらそれを聞いた後、まぁ、ここまで来たのならシャワーを浴びようというくらいの適当な思考で、僕は浴室に入った。









 暫くしてから、僕は濡れた髪もそのままにシャワー室から出る……温水を浴びたからでは説明がつかない程、顔を真っ赤にして。


 俯いた視界の端で捉えた鈴は、いつもはニコニコでバスタオルを構えて待っているのだけれど……心なしか今日は、警戒を滲ませた表情で風呂上がりの僕を見据えていた。



「緋彩?」


「…………………はい、なんでしょうか」



 蚊が鳴くような声で返事をした僕の元に、警戒心を解いたらしい鈴がてくてくと近寄ってくる。そして僕の頭に無言でバスタオルを被せると、わしわしと水分を拭き取りつつ言った。



「正気に戻った?」


「……………………………………………はい」










 結局膝の上にのせられて、ドライヤーで髪を乾かしてもらう。湯冷めするみたいに羞恥心はだんだん消えて行ってくれたけれど、完全に消えるのは翌日くらいまでかかりそうだった。


 ドライヤーが止まって、今度はブラシが取り出される。鼻歌混じりに僕の髪を整えだした鈴に、僕はむずかゆさを感じながら話しかけた。



「鈴って、僕の髪整えるとき、凄く楽しそうだよね」


「ん?まあ、いじりがいがあるからねぇ。それにすっごく綺麗だし。これだけは、誰にも譲れないなぁ」


「そっか……」



 ふう、っと一息ついて、明日のことを考える。吸血鬼の身体の秘密に、僕のお父さんの話。不思議な感じだけれど、なんだか明日が僕にとっての山場であると確信出来ていた。


 けれど山場と言うことは、明日さえ乗り越えられればまたここで、こんな風にのんびり過ごせるということだろう。ただいまって言って、お帰りって言われて、シャワー浴びて、髪を乾かしてもらって、一緒にご飯を食べて。


 刀香の前で啖呵を切ったはいいけれど、やはり明日は怖い。でも、ここで鈴が待っていてくれるなら、僕も頑張れる気がした。



「鈴」


「何?」


「明日も、帰ってきたら、こうやって髪を整えて欲しいな」


「そりゃ勿論。私は緋彩のこと、大好きだからね」

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― 新着の感想 ―
[一言] あぁ、この幸せがずっと続けばいいのに……
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