約束
「ま、確かに次はあたしらが話す番だわな」
渚さんがいたずらっぽく微笑みながらそう言った。そして椅子の上で器用に胡坐をかくと、頬杖をついてうーんと少し考えた後、まぁいいかと呟いて語り始める。
「ここにいる全員、鈴と出会ったのは大学での話さ。東魔大っつう、まあ端的に言えば魔術学を専門に学ぶ大学だわな。みんなそこで学生やってたんだけど、社長はそこで成績首席でねぇ」
「首席……大学って、高校とかよりも凄く人が多いんじゃ」
「そうそう。だからアイツ、結構凄い奴っちゃ凄い奴なんだ。んであたしらも首席ほどじゃないんだがそれなりに成績優秀でね。とある研究を共同で行うことになった時に、今の会社の面子で集まったのが初めましてさ」
「懐かしいね!あれって、なんの研究だったかなぁ」
「確か、個人差のある魔素の配置系列に法則性を見出そうだとか、そんな感じだったはず」
「えっと、上手くいったんですか?」
「ああ」
みんな懐かしそうに、そして楽しそうにそう語る。そこから大学での生活はとても充実していたんだなということが伝わってきた。
「ちょっと、危ない時もあったけどな。なにせ社長の奴が本当にずぼらでなぁ。アイデアだとか知識だとかはどんどん出てくるんだが、大事な実験でやらかしかけたり、忘れ物したり、食生活があほ過ぎて集中力欠いたりと、散々さ」
「あの頃の鈴さん、凄かったですよねぇ。今じゃ考えられないくらい」
「今も大概……だったはずなんだがなぁ」
そう言って渚さんが僕に視線を向ける。何となく背筋を正すと、ふっと笑われた。
「鈴ってその、そんなに今と違うんですか?なんだか、全然想像できないです」
「そうとも。一番変わったところと言えばやっぱり、エリート思考な奴だったことだな」
「エリート思考?」
僕があまり聞きなれない言葉に首を傾げて聞き返すと、後ろで僕が運んだお茶を飲んでいた千早さんが、カップから口を離して補足してくれる。
「要するに、偉そうだったってこと。まあ、あれだけの天才なら納得ではあるんだけどね」
「そりゃ天狗にもなるよねぇ~。共同研究の初顔合わせの時なんか、開口一番に『邪魔だけはしないでよ』だったし」
「あの頃、渚は本当に折り合いが悪かったよね」
「それは今はいいだろ別に……ていうか、あれと最初っから仲良くできてる方が変なんだよ」
「やっぱり、全く想像できないです……」
こんなに鈴と仲良くしている渚さんが、初対面の時はそんなに仲が悪かったというのに驚くしかない。というかいくら話を聞いても、『嫌な奴』な鈴の姿が全く頭の中に浮かんでこなかった。
「まあ、お前は甘やかされてそうだもんなぁ。他にあいつが人とべたべたしてるところなんて、全く見たことねぇし」
「『研究が恋人だ!』って感じだったし、『魔術学の発展の為なら如何なる犠牲も問わない!』って勢いだったよね」
渚さんも、僕が運んできたお茶に口を付けながらぼやくようにそう言った。そしてさっきから要所要所で出てくる真帆さんの変声は、在りし日の鈴のものまねなんだろうか。
「んで、なんだかんだ仲良くなりはしたんだが、そのエリート様思考は治らなくてなぁ……まーそん時は別にそれでもよかったんだが、変わったのは、大学を出てからだな」
そこで、渚さんの表情が沈む。それで僕は、ここからが話の核になってくるのだろうということが何となくわかった。昨日の鈴の、今になっても後悔していることが一つだけあるという言葉が脳裏に浮かんだ。
「つっても情けないことに、私らは何があったのか詳しくは知らないんだけどな……あいつ、大学を卒業した後はな、以前からやたらと来てた異分子殲滅隊んとこの研究チームの推薦に乗ったんだよ」
ドクンと、心臓が嫌な音を立てた。ここで異分子殲滅隊の名前が出てくることに、得も言えぬ不安を感じたから。
「したら数年、連絡すらも音沙汰なしになりやがって……結局アイツ、大好きだろうそんなエリートコース蹴りやがったらしくてな。で、久しぶりに連絡してきたと思ったら、突然ここの三人集めて会社を作ろうとか言いだしたんだよ」
「……なんでやめたかも、分からないんですか?」
「ああ、都市機密だとかなんとかで、話しちゃくれなかったな……もしかしたら、お前が聞いたら教えてくれるかもな」
渚さんは冗談めかしくそう言って、ふぅっと溜息を着いた。その仕草はどこか悟ったようで、もしかするとその時の鈴は、話せなかったというよりも、話してくれなかったという反応だったのかもしれない。
「ともかく、会社作ろうたって色々話さなきゃならんこともあるだろ?それで時間作って久しぶりに全員で顔合わせてみたら……そりゃあ酷いもんでなぁ。目の下に隈はあったり、声に覇気もさっぱりなくなっちまったり、明らかに生気がねぇ」
「プライドもすっかりへし折れちゃってたみたいで、少なくともこれから起業しようって人間の様子じゃなかったわね」
「流石にほっとけねぇだろ?だからもう採算度外視で取り敢えず起業の話には乗ってやったんだよ。そのままにしといたら危なっかしくて仕方なかったからな……千早の奴は、ぎりぎりまで反対してたけどな」
「あんな突拍子も計画性もない話、簡単に乗れるわけないでしょうが。そこの二人がお人好しってだけ……まぁ、放っておけなかったっていうのは、分かるけどね」
鈴さんは軽いノリで語っていたけれど、この会社も最初はひと悶着あったらしい。それを自分が少しも知らなかったことに、胸がチクリと痛んだ。
「そんな感じで始まったわけだが、あいつの能力自体はやっぱりそのままで、軌道には上手く乗ったんだよ。そしたら段々元気も戻ってきてな。あの頃の偉そうさだけは戻ってこなかったんだが、それでもすぐにいなくなっちまいそうな危うさだけは消えてくれた。だがなぁ……」
「やっぱり鈴さん、ちょっと変だよね……なんていうか、ふとした時に元気が無いっていうか」
それはまさに、昨日の帰り道で二人の時に見せたあれなのだろうか。ぽつりと、言葉が漏れる
「昨日鈴が……今になっても後悔していることがまだ一つあるって……」
「そうだろうなぁ。笑顔自体は結構見せるんだが、どっか無理してる気がしてならねぇ───でもな」
「え……わっ!」
急に手招きされて、疑問符を浮かべながら一歩だけ渚さんに近づく。すると二本の腕がにょきっと伸びてきて、いとも容易く両方の頬を挟み込まれた。そのまま僕が何か言葉を発する前に、むにむにと摘ままれる。
「にゅあんでぇ!?」
「おおよしよし、お前は可愛いなぁ」
「あっ、渚さんずるいですよ!」
「ずるいってなんだよ……なあ、緋彩。ひとつお願いがあるんだ」
「?」
非常に不本意ながらも、真面目な声ではあったのでそのまま話を聞く姿勢に入ると、目の前の渚さんと目が合った。何処か痛さを感じる、最近よく見るような、そんな目だった。
「あいつな、笑顔に無理があるように見えるっつったけど……お前の前だけだったら、本当の意味で笑えてる気がするんだよ」
「……え?」
「お前の持ってる何かが、あいつの許しになってくれてるのかもしれない。それが何か分からないのは、あいつの友人として情けないところだけどな。だから……」
そこで言葉に迷ったみたいで、渚さんは少し口竦んだ。けど、言いたいことは分かったから、僕は頷いた。
「うん……僕も、鈴がずっと苦しんでるのは嫌だから」
「ああ……ありがとうな」
渚さんは今日一嬉しそうに、僕の頭を撫でた。鈴と比べて少し力の強い乱暴な撫で方だったけど、嫌だとは思わなかった。




