知らないこと
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あれからグラタンも全て食べ終わって、日が暮れきる前に帰ろうとお店を出た帰路。電車も既に降りたし、もう体感では大分帰ってきたところだった。人通りもそれなりに落ち着いた歩道を、雑談に興じながら歩く。
「……で、一応聞いてみると、何話してたの?」
「ただの世間話ですよ」
「あ―……まあ、そんな、秘密にするようなことでもなかった、ような……」
淀みなくそう返してくる刀香と、なにか言おうとして刀香の睨みを喰らい冷汗を流しながら黙り込む鈴。あの睨みを向けられた側の気持ちは痛いほど分かっていたので、これ以上追及するのはやめてあげた。
「それでも言っておくとしたら……緋彩、貴方は幸運でしたね」
「え?」
「偶然転がり込んだ先が、安泰な場所で。それでは私、こちらが帰り道なので」
僕の思考がもたついている間に、刀香はびっくりするくらいあっさりとそう言い切ると、軽くお辞儀をして脇道に逸れていった。慌ててばいばい!とだけ伝えると、鈴も我に返って同じ言葉を口にする。
刀香はそれに軽く会釈で返すと、すぐに姿は見えなくなってしまった。もう少しなんというかこう、ちゃんと時間を使ってさよならするのかと思っていたから、あっけにとられてしまった。
鈴もやはり同じ気持ちだったようで、見送った顔には困惑の色が混じっている。お互いそんな感じでぽつんと沈黙が訪れた後、先に正気に戻った鈴の「帰ろっか」という声でようやく足が再起動する。
歩き出すと、自然に手を繋がれた。別に嫌な気分でもなかったから、振りほどきはしなかった。
「なんていうか……貴族らしくない子だったわね」
「そうなの?」
「ええ。貴族らしくないって言ったら、貴女もだけど……なんていうのかな、態度とか、言葉遣いは貴族って感じなんだけど……それでも、私に心から礼儀を守ってるって伝わってくるところとか」
「そういうのって、分かるの?」
「まぁ、そこそこにね」
いまいち分からなかったけど、そんなものなのだろうかと納得する。鈴は度々僕のことを子ども扱いしてくるけれど、こういうのが分かるっていうのが、大人ってことなのだろうか。だとしたら僕が子ども扱いされるのにも、少しの道理はあるのかもしれない。
「それよりも、今日は楽しかった?」
「……うん、楽しかったよ。色々あったけど、それも含めて楽しかった」
「そっか。少し自信がなかったのだけど、それなら良かったわ」
「自信、無かったの?」
僕は首を傾げる。計画を立てているときも、当日になっても、お出かけ中も、ずっとそんな風には見えなかったからその言葉は意外だった。鈴は僕の言葉に曖昧な笑みを浮かべると、独白するように言う。
「私ってあんまり、自分で下した判断って言うのに自信が持てないのよね。だから研究とか以外だと、すぐ不安になっちゃって……らしくないとは、思うのだけど」
「行動力とか、結構凄いと思うけど……そうなの?」
「ええ。いつも、行動してから後悔してばっかりだわ……でも、あの時緋彩に話しかけたのだけは間違いじゃなかったと思ってる」
「……変態」
「そのことはもう許してほしいのだけど……」
「あはは、冗談だよ」
あからさまにしゅんとした鈴が面白くって、笑い声を漏らす。僕の冗談が珍しかったのか、鈴は少し目を丸くした後に笑った。
ふうっと息を付いて、今日のことを思い返す。振り回されて振り回して、いっぱい怒ってみたり笑ってみたり感動してみたりして、こういう風に鈴の知らない一面も知ることが出来た。胸が少ししんみりして、良い日だったなと静かに思う。
生前の憂鬱さなんてすっかり鳴りを潜めて、ただただ毎日が楽しいと思える。幸せってもしかして、こういうことを言うのかもしれない。贅沢な二週目の生になってようやく、僕は初めてそう思った。
そこで、今日の初めから喉に突っかかっていた疑問を思い出す。鈴のことを知れる機会だしと、なんとなくで口にした。
「そういえば鈴って、異分子殲滅隊のところの開発部で働いてたんだね」
「昔はね。今はただの一企業主」
「なんでやめちゃったの?やっぱり、一般人でも使える魔導具の開発には、予算が下りなかったから?」
すると鈴は、少し苦い顔を浮かべた。なにかまずいことを聞いてしまったのかもしれないと、慌てて僕が二の句を継ごうとすると、それよりも早く鈴がぽつりと言う。
「私ね……人生で今になっても後悔していることが、一つだけあるの。だから私の今の研究はただの自己満足で……自己満足は、自分のお金でやるべきだと思ってね。それだけよ」
「………」
鈴は最初に浮かべた苦い顔がまるで嘘かのように、軽い口調でそう言った。それこそまるで、僕がただ見間違えただけだったみたいに。
鈴の言った言葉は抽象的で、いまいちわかることは少なかったけれど……その苦い顔が心残りで、僕はそれ以上口を紡げなかった。そうしてなんとか言葉を探していると、そんな僕を見て鈴が、いつものように微笑む。
「ちょっと、暗い話になっちゃったわね。なにか、別の話でもしましょっか!」
「……うん、そうだね」
わざとらしいくらいいつも通りの鈴は、さっき食べたグラタンのレシピだとか、家で再現できるかもだとか、そんなことを話し始めた。僕もさっきの話題を続けれる自信がなかったから、いつも通りに返事をする。
ふと、このいつも通りは何時まで続くのだろうとか、そんなことを考えてしまった。僕は自分のことをまだ全部知れているわけでもないし、身体の問題だって手つかずで。
明日からはその調査に赴く予定だけど、それだってどれくらい効果があるか分かった物じゃない。けれど今は目の前にある幸福に浸るのが先決で、それ以外は考えたくなかった。
いつも通りに鈴が何か言って、僕が笑って。けれど僕の秘密を鈴は全く知らなくて、僕も今日、鈴のことをあまり知れていないって分かって。
いつか、向き合わなくちゃならないときは来るんだろう。ただ、
僕は、鈴のことをあまり知らないということが、今更ながらに胸に刺さった。
デート編はここで一区切り。良ければブックマークと星評価お願いします




