夕食
ルビの振り方が分からない今日この頃
別に、当然のことだし。今までまともに歌ったことも無ければ、この身体で声を出すことにすらまだ慣れていないのに、うまく歌えるはずがないし。全然気にしてないし。
「ほ、ほら緋彩~、飴あげるから、ほら」
「いらない」
「……ねぇ~、そろそろ機嫌直してよぉ~……」
「別に。怒ってないし」
「鈴さん、まだ時間がかかりそうですか?」
鈴のあほの戯言はともかく、とあるレストランのベランダ席に僕たちは座っていた。都市群の中にありながらもそれなりに景色の良い外は斜陽の兆しを見せ始めていて、人波も帰宅時に差し掛かってきたのか、昼頃よりも多く見える。
少しの間離席していた刀香も戻ってきて、円形のテーブルを囲むように三人が席に着く。最初はそれなりに高級そうな雰囲気の洋食店だったから委縮していたのだけれど、席が他の席と離れていて、店員さんの接触も最低限だからそこまで気を遣わなくても良さそうなのが助かった。
もう注文まで済ませてあるから、今は注文した料理が到着するのを待っているところ。手持無沙汰でテーブルに手をついて微妙に床に届かない足をぷらぷらさせているのだけれど、ちらちらと視界内に鈴が出たり入ったりして存在感を主張してくる。
それがあまりにも続くから、威嚇するつもりで唸り声をあげると頭を撫でられた。まったく効いていないどころかむしろニコニコとしていて、色々と諦めた僕はいい加減姿勢を正すことにした。
すると丁度良く、ウェイトレスさんが滑るようにしてベランダ席に料理を運んでくる。多少気が抜けていた僕は、慌てて背筋をびしっと立てた。
「以上でよろしかったでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
定型句に鈴がそう返し、ウェイトレスさんが綺麗に一礼して退室していく。それを視線の端で見届けた後に、僕は自分の前に置かれた料理へ目を移した。
「うわぁ……!」
僕が頼んだ料理はグラタン。いつぞや読んだ小説で出てきたこの料理が、挿絵も含めてとても美味しそうだったのを覚えていたからだ。どこか煌びやかさを感じる乳白色のチーズは、耐え難いほど食欲をそそる匂いを発している。ちなみに二人もどうせならということで、同じものを頼んでいる。
早速スプーンを手元に引き寄せて、手を合わせて頂きますと口にする。鈴と刀香も一緒に手を合わせて、僕からワンテンポ遅れて頂きますと言った。
「あむぁ熱い!!」
「緋彩、熱いから気を───遅かったみたいね……」
「やると思いました」
二人の視線が同時にこっちへ向く。あまりにも強烈な匂いの誘惑に敗れた僕は、グラタンが内包する高熱に気づかなかったのだ。幸いなのは、吸血鬼の身体にはグラタンの火傷程度、どうってことないってくらいだろうか。
「ほら、火傷してない?んべーってしてみて」
「だ、大丈夫だから……」
「こら、火傷を甘く見てたら痛い目見るわよ?」
しかしそれを知っているのは僕と刀香だけな訳で、鈴はとても心配そうに僕の顔を覗き込む。流石に火傷が再生していく様を見せるわけにはいかないから口を抑えて顔を引くのだけれど、尚も食い下がる鈴に刀香がすまし顔で言う。
「鈴さん、その子はこう見えて魔力持ちですから、多少頑丈なんです。だから本当に大丈夫だと思いますよ」
「え、あ、そっか……そうだっけ……?」
細かく言えばしっかり魔力を体表に展開していないと頑丈ではないらしいのだけれど、それで鈴は納得してくれたらしい。これが大怪我だと誤魔化しきれないと思うけど、グラタンでの火傷くらいなら誤魔化されてくれた。
人前で交通事故に遭ったりはしないようにしないと、と気を改めつつ、二口めをほおばる。すると最初は熱さに気を取られていて分からなかったクリーミーさが一気に口中に広がって、思わず目を見開いた。
「美味しい!」
声に出しつつ、弾かれたように視線を上げる。すると丁度二人も僕と同じようにグラタンを口に運んだところで、ごくんとその一口を飲み込んだ後に頷いた。
「ええ、本当に。雰囲気もいいですし、鈴さんはいいお店を知っていますね」
「まあ、二人よりもちょっとだけ長く生きてる分、ね」
ちょっと吐息混じりにそう言って、自然なウィンクを見せる鈴から普段とは少し違う、なんというか、妖艶さのようなものを感じて、少しドキッとした。けどすぐに頭を振って正気に戻り、気を紛らわせるためグラタンをスプーンで掬う。
そんな僕を見て鈴がふふん、と意味ありげに微笑む。自分でも動揺を誤魔化せていた自信は無かったから、熱くなってきた頬に耐えつつ黙ってグラタンを食べ続けた。
「そういえば」
と、刀香がその微妙な沈黙を破った。声に反応して僕と鈴が顔を上げる。刀香の視線は料理に落ちたままで、スプーンを動かす手だけを止めると、物憂げに続きを言った。
「お二人が普段、どんな生活をしているのか聞いていなかったなと思いまして。折角ですから鈴さん、お聞きしても?」
急に改まったような話し方をする刀香に少し面食らう。それは鈴も同じ様で、驚きを隠しきれない表情をしていた。しかしそれも意に返さす、刀香は返答を待つ。
そのなんだか妙な雰囲気に、僕は自分が出る幕ではないのかと鈴の顔を覗き上げていると、鈴はふむ、と一呼吸置いて人差し指を唇に当てた。
「別にそんな、改まって言うほどのことじゃないのだけれど……そうねぇ、緋彩は大体、ごろごろしてるわね」
「え、いや、そこまでじゃないでしょ……!?」
「あとはまあ、家事を手伝ってくれるから一緒にそれをしてたり、一緒にお喋りしたり……うーん、特別なにかを上げようとしたら難しいかしら」
鈴はひとしきり考えた後に、結局そう締めくくって僕の方に向かい首を傾げた。僕も二人で家に居る時を思い出してみるけれど、言われてみれば、本当にそれくらいしかない気がする。
僕たちはまぁ、ドタバタはあれど、なんだかんだ二人でただ暮らしているだけだ。鈴が前置きしたように、聞かれて特別に答えられるような、改まって言うほどのことなど一つもないのだ。
僕もそう自分の中で結論を出して、質問をしてきた当人に視線を戻す。刀香は相変わらず澄ました表情で料理に眼を落したままで、僕たちの言葉を吟味するように一呼吸置いたのち、すっと視線を上げた。
「そうですか、ありがとうございます……鈴さん、そちらが良ければ少し、二人でお話させていただいても?」
「それは良いけど……二人?」
またもや鈴が首を傾げる。突拍子もなく梯子を外された僕も目をぱちくりさせて、そのままの疑問を口に出した。
「な、なんでわざわざ……?秘密にするようなこと、あったっけ……?」
「別に秘密にするほどのことでもない世間話ですが……貴方の話をするとき、貴方がいると少し話ずらいかも、というだけです」
「世間話って……あ」
僕の惚けたような語尾に、いまだ状況が把握できていない鈴がまた反対に首を傾げる。僕が気付いたことに気付いたらしい刀香は、注視していれば分かるかなという程度に鼻を鳴らした。
「ねぇねぇ、私、仲間外れにされている気がするのだけれど」
「いや、今から仲間外れにされるのは僕だから……でもまあ、僕は嫌って言えないみたい」
「?」
要するに、意趣返しということだろう。あれに関しては僕は悪くないのだけれど、その嫉妬というか、八つ当たりを受けなければならないのは僕らしい。やっぱり気にしてたんだと半分呆れつつ、僕は席を外す二人を見送った。
随分前の話ですが




