下手
あまりにも書けないので少し短めに区切らせてください……
「結構、空いてるんだね」
「まあ、世間一般では平日ですしね。むしろ、鈴さんはよく休みを取れましたね」
「私が社長の会社だからね。いつ休むかも融通効くのよ」
「……あの、それは随分と……いえ、ないでもないです」
何故か胸を張って傍から聞くと割とろくでもないことを滔々と語る鈴。それに刀香は思うところがありげに歯切れ悪く口を動かしていたが、諦めるように閉口した。多分飲み込んだ言葉は、僕の感想とも一致している。
ともあれ、やはり平日というのが効いているのかカラオケ店内はびっくりするくらい空いていた。こういう娯楽施設ががらんどうなのはなんだか意外な光景で、感慨のようなものがじわりと胸に飛来する。
思い出されるのは、我儘を言って病院から外出し、一度だけ来訪した時の記憶。その時は確か休日で、殆どの部屋が埋まっていた。それでも何とか部屋まで取り歌おうとしたところで、身体に響くからと付き添いの人に止められたのだったか。
滅多にない僕の我儘と暴走に、周囲は怒る前に困惑していたのが懐かしく感じる。そんな感傷を溢れさせるように、ほうっと息を付いた。
「えっと、226番……この部屋か」
そんなことをしているうちに、受付で渡された伝票に書いてある通りの部屋を見つける。先頭の僕が意気揚々と乗り込み、続いて鈴と刀香がふぅっと一息付きながら入った。
部屋の中は、記憶の中にあるものとそう遠くない内装だった。狭めの個室で、壁に沿うようにソファーがある。そして一角にはカラオケマシンとテレビ。中央にテーブルが添えつけられているという、オーソドックスな型だ。
先頭の僕が電気を付けて、ちゃっちゃっと奥側のカラオケマシンに近い側へ陣取ってぴょんっと腰を下ろす。二番目に入ってきた刀香が僕の隣に、最後に入ってきた鈴は対面に自然となった。
「一段落、って感じねぇ。ちょっと疲れちゃったかも」
「そうですね。目が離せないのが一人居ると、どうにも神経を使います」
「あはは……まあ、そうねぇ」
なにやら納得出来ぬ話題が聞こえてきた。否定も肯定もせず苦笑いする鈴に睨みを効かせて不服申し立てをするが、今回ばかりは優先順位が違うので流してあげることにして、荷物を降ろして上着を脱いでいる二人に先んじマイクやら操作盤やらをテーブルの上に持ってくる。
カゴに入れられていたそれらが、机に置かれた衝撃で軽く揺れて乾いた音を立てた。人数分あるマイクのうち一つを手元に引き寄せると、操作盤の電源を入れる。
ここまでが以前やったことがある段階だ。でもここから先の曲を入れたりなどはやったことがなく、なんだか首筋がむずむずしてきてしまう。視線を暫く泳がせたのち、一つ隣に腰を下ろした刀香へ話を向けた。
「ね、ねぇ、刀香はどんなの歌うの……?」
するとあちらは一瞬だけきょとんとした顔を見せた後、すぐにああ、と一人納得したかのように気まずそうな表情を作った。そしてその一連の動作の意味が良く分かっていない僕宛てに、説明を口にする
「そういえば、カラオケを提案したのは私ですから、そう思うのは当然ですか……あの、私、人前ではあまり歌えないのです。ここを提案したのも、ドリンクバーと座席があって腰を落ち着かせられるからというだけで」
「……うぇ?」
ずるり、と手からマイクが半分滑り落ちる。というかそれだと、直前までノリノリで歌おうとしていた自分がそこそこ恥ずかしくなってきた。誤魔化す様に曖昧に視線を逸らすと、視界の端で刀香が申し訳なさげに眉を下げる。
このままでは色んな意味でいけないと、慌ててもう一人へと顔を向ける。しかし僕が口を開く前に、鈴も微妙な笑みを浮かべて言った。
「私も緋彩が行きたそうにしてたから賛成しただけで、歌はその、へたっぴだから」
「ぐぅ……!」
こちらからも実質的な断りを受けてしまい、まるで心臓を穿たれたかのようなダメージを幻視して呻き声を上げる。半分滑り落ちていたマイクは、遂に四分の一まで落下した。
これで歌おうとしているのが僕一人だと判明してしまった。でも、ならばトップバッターも仕方ないとマイクを握りなおす。確かに最初に歌う上に後に続く人が居ないというのは恥ずかしい。凄く恥ずかしい。けれど、それ以上にカラオケをしてみたいのだ。
「ねえねえ緋彩も疲れてるでしょ?ちょっと休憩しようよ具体的には私の膝の上とかで痛ぁぁぁ!」
「今ちょっと静かにしてて!」
死角から腰辺りに伸びてきた邪な手を抓り上げ悲鳴をあげさせ、操作盤の液晶画面を睨みつける。僕のどろどろとした内心の迷いとは対象的に、キラキラとした夢のある文字の数々。
どうしてここで諦めることが出来ようか。いや、ない! 涙目の鈴をよそにそう心の中で叫んだ僕は、怖気づこうとする自分の心を奮い立たせるように、すうっと息を吸った。
「ひ、緋彩、歌いまーす!」
「どうしよう!緋彩がおかしくなっちゃった!!やややっぱり疲れてるんじゃどうしよう!?」
「なんで私に言うんですか。この子の止め方なら貴女の方が詳しい筈では……?」
ぼそぼそと相談しだした二人の会話ももう聞こえなくなった僕は、勢いのままに曲を三つ予約した。
初めての全力歌唱に集中力と精神を焼かれて、脳の奥がひりひり痛む。それでも三曲しっかり歌いきった僕は、ある種の達成感と共に二人に向き直った。
「ど、どうだった……?」
「す、すっごく上手だった、と思うわ!」
すかさず、鈴がどこか気まずそうな表情でそう言ってくる。するとその隣でずっとジト目だった刀香が、拍手しようとする鈴の袖を摘まんで口を耳に寄せた。
「鈴さん、貴女が随分と緋彩を甘やかしているのはもう嫌というほど分かりましたが、はっきり言ってあげるのも優しさですよ」
「そ、そうかもだけどぉ……」
「得意だと勘違いして思い込んでる方が───」
「ああ、うん、そうよねぇ……」
「?」
こそこそと内緒話をしていたようだったけれど、耳を澄まそうとしてもカラオケマシンの大音量が吸血鬼の鋭敏な聴覚に痛くて、上手く聞き取れない。なんで目の前で秘密の相談なんかするんだろうとぼんやり考えていたら、なにやら決意の決まった顔で鈴が僕の眼を見た。
「あ、あのね」
「? うん」
「緋彩は、その───ちょ、ちょっぴり、歌が苦手みたい、ね」
「え………」
最初に上手いと言ってくれたのに突然手のひら返しされた僕は、そのあまりの落差に絶句する。そして焦点の定まらない眼を二人して泳がせていると、おもむろに刀香がため息を付き、恐ろしく切れ味の良い言葉を放った。
「緋彩……貴方、とんでもなく音痴です。正直、信じられないくらいに」
みんなはどんなの聞く?作者は陰鬱だったりシリアスだったり癖の強いのばっかです




