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綺麗

夜景とか、好きなんですよね……

 透明な自動ドアがウィーンと音を立てて横に開く。すると中で溢れていた空調の効いた空気に包まれて、肌が少しだけひんやりとした。外の喧騒が薄れ、静謐な雰囲気になる。


 周りを見渡すと、一見普段入るようなデパートと変わらない光景が直線通路の一番奥まで続いていた。けれどよく見ると店舗一角一角の規模が多かったり、観光地らしいお土産屋さんが複数存在するなどの特徴が見て取れた。


 外に比べると、人の流れはそこまで多くは無い。大量の匂いが入り混じった独特な香りが、どこからともなく漂ってきて鼻腔の奥をくすぐった。



「これ、なんの匂いだろ……」


「そう言えば一階は、食料品売り場が中心だったかしら。店頭の惣菜パンとかじゃない?まぁ、そっちはあとね」


「あ、そう一番上!」



 あんな高いところまで登るとしたらエレベーターだろう。それを探して視線を張り巡らせると、巨大な矢印に展望台行きエレベーターと書かれた、天井からぶら下がっている看板が目に留まった。


 それを指さしてあれ!というと、苦笑いでそうだねと返される。そこで二人は何度も来たことがあるようだったのを思い出して、羞恥心で一気に頭が冷えた。あははと誤魔化して視線を逸らす。



「ともかく、これくらいの時間帯ならまだ混んでないだろうし、早く行っちゃおうか」


「時間帯で、混むこともあるんだ」


「夜景目的で夕方以降は混むわねぇ。と言っても、完全に日が暮れる前にはみんな帰りたがるから、本当に一瞬だけどね」


「こんな中心部でまで心配していても、仕方ないと思うのですが」


「それは刀香ちゃんが異分子のことをよく知っているうえに、戦える力を持っているから言えるのよ。事実がどうあれ、みんな怖いものは怖いわ。ね、緋彩」


「……う、うん」



 突然向けられた話の矛先があまりにも鋭くて、額から一筋の汗が滑り落ちる。鈴はその反応をさっきの延長線上に考えてくれたらしく、特に違和感を覚えなかったらしい。奥に覗いている刀香の鋭い視線だけがぶすりと突き刺さった。


 そんなやりとりをしていると、まるで綺麗な境界線に区切られたように、がらっと外装の雰囲気が変わっている一角が目に入った。中心に巨大な円柱のようなエレベータが立っていて、それを囲むように受付がある。


 ずっと目で辿っていた周囲の看板もそこと同じ方向を指していて、その異様な空間の正体は一目でわかった。



「おぉー……」


「驚くのはまだ早いでしょう……お願いですから上に着いてから、子供みたいにはしゃがないでくださいよ……?」


「まぁまぁ、初めてなら興奮する気持ちも分かるでしょ?緋彩くらいの子なら特にね」


「……薄々気付いてはいましたが、鈴さんは緋彩に甘すぎです」



 鈴にジト目を向けながらそうぼやく刀香。というか僕は一言「おぉー」と呟いただけなのだけれど、何故それだけでここまでぼこぼこに言われなければならないのだろうか。


 まあ、鈴が僕に対して甘すぎるというのは、僕もあまり言い返せないのだけれど。鈴が初日のすったもんだで僕に負い目があるのは察しているけれど、それにしても過保護すぎるというか、随分と手間をかけて貰っている。


 本人も言い返すつもりはないらしく、そうかもねぇとけらけら笑っていた。



「はぁ、全く……じゃあ私は受付を済ませてくるので」


「いや、私が───あ、そっか。貴族の刀香ちゃんが話通してくれた方が色々と楽か」


「そういうことです。では早く行きましょう」



 許可証でもいるのだろうかと首を傾げているうちに、少し早足に先頭へ歩み出た刀香が、受付に立っていたお姉さんと数回言葉を交わした。その後財布から何かを取り出してお姉さんに見せると、話は終わったようでこちらに戻ってくる。



「今すぐで問題ないそうです」


「ありがとう、刀香ちゃん」


「いえ、これくらいは別に」



 澄ました顔でそう言う刀香。本気で「これくらいは別に」と思っていそうなのが、彼女の不思議なところだ。そう思いながら鈴と話している横顔を眺めていると、すっと自然に目を合わされる。



「あ……」


「何があ、ですか。ぼうっとしてないで乗りますよ」



 腕を引かれて慌てて足取りを合わせる。受付の横を通り抜けてエレベーターの前に立つと、遠目に見ていた時には気に留めていなかったけれど、普通の何倍も大きな扉が開いて見せた。


 なかなかの迫力に少し驚いてきゅっと肩を縮めていると、中から紺色の制服を着こんだ女性が出てくる。どうぞと白い手袋をした手に促され、僕たちは巨大な鉄箱に乗り込んだ。



「展望台行きで宜しいでしょうか?」


「はい、あっています」



 刀香がそう……エレベーターガール?というのだろうか、女性とやり取りをすると、女性はすぐに慣れた手つきで壁の操作盤のボタンを押した。すると巨大さに反して滑らかに扉が閉まる。


 上に参ります、と機械音声が流れ、エレベーターで上昇するときの独特の抵抗感が訪れた。一旦は鳴りを収めていたドキドキ感がまたぶわりと溢れてきて、それをゆっくり空気として吐き出す。


 そして体感一分ほどだろうか、それくらいの時間ののち、エレベーターが減速していくのが伝わってきた。期待からぎゅっと手に力が籠る。引き伸ばされやけに長く感じる一瞬が過ぎ、遂に展望台への扉が開いた。



「うっっっっわぁ!」


「あ、ちょっと───」


「はぁ、案の定じゃないですか」



 開いた先にある部屋は、そこら中の壁全てがガラス張りとなっている煌びやかな部屋だった。その窓の外からは群青色の空が覗いていて、まるで超高度にぽつんと取り残されたかのような、幻想的な光景が広がっていた。


 吸い込まれるようにガラス壁へと駆け出す。両手が二人からするりと離れたけれど、そんなことは頭の中に無かった。殆ど人が目に入らない広大なホールを軽やかな足取りで抜けていき、壁に手が届く距離まで近寄った。


 そこまで来て、この巨大なガラス壁は、僕から見て奥側に倒れるようにして傾斜していることに気付く。そのまま手を突くくらいの勢いだったのだけれど、突然足元が消えたような錯覚に襲われヒエッと急停止した。


 構造を理解し、改めて恐る恐る壁際に近づく。視線が空を通り過ぎて下方へと下っていく。その先にあるモノは言わずもがな、東京の街並みで───。




 すっと、僕は我を忘れて眼下に広がる光景を眺めた。言葉は失われて、呼吸も奪われて、ただただ心中に浮かび上がってくる感傷に没頭する。


 そこには、人が暮らしていることの証明があった。現在進行形で車が走り、ビルの窓ガラスが太陽光をランダムに反射していたり、僅かに電光板がカラフルな色で染め上げられていたり。


 規則的に作られた道路が、幾何学的な模様を作り上げている。高さの違うビルたちがその中で不規則に連なっていて、何とも言えないコントラストを織りなしていた。


 ここから見ると、さっきまで僕たちが必死に移動してきた距離は、手で作った円の中に納まってしまうくらい小さく見える。中心部に程近いここからは結界外は見えず、一面にあるのは文明の海だけだ。


 かつて一生の殆どを過ごした病院の一室が思い起こされる。僕にとって、あの部屋から見える窓の外の光景が、自分の知りえる世界の全てかの様に感じていた。それが、今はどうだろう。


 この街は、世界は、僕の想像を遥かに超えて広がっていた。そんなの、当たり前のことなのだけれど。けど、そんな当たり前のことを、この景色を見るまで自分は実感できていなかった。それを今、ようやく気付けた。


 きゅっと胸が締め付けられるような感じがして、右手で胸を押さえる。堪え切れない感動がそうさせているのだと今回ばかりは正しく理解できて、自然と言葉が口をついた。


「綺麗……」


「もう、走っちゃだめじゃない……緋彩?」



 追いついてきた鈴が口を尖らせてそう言いながら、僕の隣に並び立つ。刀香も同じように反対側に立った。それでも街並みから目を離せないでいると、僕の視線の先を追うように鈴も視線を下げる。


 それで僕が考えていることを察したのか、納得した様子で微笑んだ。



「あぁ、綺麗よね、ここからの景色……これだけ高かったら、先に怖いとか思っちゃいそうなものなのにね」


「うん。なんだか、世界が広がってくみたいで……」


「ふふ、そうよね。なんて言うか、結界内っていう限られた範囲しか生活圏が無いはずなのに、ここに来るとまるでそれが嘘みたい」


「僕もそう思う……街って、凄いなぁ」


「そうね、私もこの街が好きだなぁ……みんなが必死になって、積み上げてきたものって気がして。技術とか、知識とか、街とか……人は受け継いでいく生き物なんだなって、ここに来ると思うの」



 どこかしんみりとした声色で、鈴はぽつりとそう言った。


 受け継いでいく生き物、か。言われてみれば確かに、人を構築する知識や環境は、受け継がれてきたものばっかりだ。だからこんなにも、綺麗だと感動するのだろうか。



「受け継いでいく生き物、ですか……」



 気付けば、刀香も同じようにして街並みを見下ろしていた。刀香もここに来るのは一回目ではないみたいだったけれど、最初に来た時には同じような感動をしたのだろうか。


 なんだか、こういう感情をみんなで共有できる機会が新鮮で……暫く時間の流れを忘れ、僕は東京の街並みを眺め続けた。

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