高塔
すらんぷ
店員さんの見送りに、ご馳走様でしたと返しながら喫茶店を後にする。隣ではすっかり仲良くなってしまったらしい二人が、僕を置いてけぼりにして談笑していた。
曰く、二人は魔術学、とりわけ魔導具に関しての話がすごぶる合うらしいのだ。けれど僕には、明らかに専門用語と思わしき単語が飛び交うその会話の内容を深く掴むことが出来ないわけで。
さっきの貴族家の話然り、なんだか目の前で内緒話をされているような気分になってくる。一般常識レベルのことを理解できていない僕の方が原因なのだろうというのは、察しがつくけれど。
まぁ、別にそれくらいで拗ねたりはしない。全く。全然。けどエスコートは鈴に一任している都合上、次の目的地は確認しておかなくてはいけない。僕が無言で鈴の袖を引くと、会話に夢中だったらしく思いっきり体勢を崩してたたらを踏んだ。
「あぶなっ!」
「大袈裟。で、エスコートしてくれるんじゃなかったの?」
「……あの、かつてないほどご機嫌斜めじゃない?えっと、どうしたの」
「別に。次の目的地はどこなのかなって」
鈴を挟んで向こう側に見える刀香が、何故か呆れ顔を浮かべた。釣られるように鈴も苦笑する。またもや無下にされたように感じた僕が口を開く直前に、答えが返ってきた。
「実は、東京タワーまで足を延ばしてみようと思ってて」
「……東京タワーって、あの?」
てっきり、刀香に連れまわされたような場所に行くのかと予想していた僕は、意外な言葉に目を丸くする。言葉を返しながら視線を向けた先にあるのは、周囲のビルが低く見えてしまうほどの赤い塔。
と言っても、東京の中心に程近い場所にあるそれは、ここからでは霞がかかっているように見える。名称を聞くことも、視界に映ることも多々あったそれを目新しいとは思わないけれど……足元まで近付いたことは無かった。
ふと、病室の窓から見えた光景のことを思い出す。周囲の建築物と比べるとかなりの高層建築だったあの病院の、ほぼ最上階に位置する場所だったあそこから見える光景は、涙が出てきそうなほど綺麗だった。
ほうっと、空気が肺から出て行く。そう言えば、周囲に遮られるものが無かった関係上、あの窓からも東京タワーが見えていたなと。
「……緋彩?や、やっぱりありきたりだったかしら?けど、あのあたりならお買い物も楽しめるし、定番かなって……」
「ううん、行きたい。行こ」
僕の沈黙を勘違いしたらしいその言葉を遮り、顔を見上げてそう言った。昨夜、胸にこみあげてきていたものと似たような感情が、また少しずつ湧き出してくる。
鈴はあっけにとられたような、そんな表情で硬直していた。摘まんだままだった袖を引いてみるけれど、反応は無い。原因は知らないが、故障してしまったのだろうか。
古からの言い伝えとして、壊れたものは叩いて直すというものがある。なんとも間抜けそうなその額にデコピンでもしてやろうと手を伸ばすと、伸ばした手を掴まれ、反対の手で頬を撫でられた。
「くすぐったい!やめ、やめろぉ!」
「はぁ、緋彩って可愛いわよねぇ」
「へっ変なこと言うな!」
一転して惚けたように迫りくる魔の手を、必死に潜り抜ける。そんな攻防を繰り広げる僕たちを見て刀香が一言、ぼそっと呟いていた。
「本当に、仲が良いんですね……」
雑談に興じながら、少しの間電車に揺られると、すぐに僕の知っている道は一本も無くなってしまった。都市の中心部に近づいた影響だろう。僕たちが住んでいる地区よりも明確に、高層ビルの割合が増えている。
道路という隙間だけを残して空間を使い尽くしているそれらを下から見上げる風景はさながら、コンクリートの渓谷だ。どこか圧倒されるこの威圧感は車に乗って通過するだけでは気付けないもので、駅を離れてからずっと、新鮮味を感じる。
ほえ~っと周囲をきょろきょろと見渡していたら、つんっと首筋に爪を軽く突き立てられた。いてっと跳ねて元凶を辿ると、いつの間にか斜め後ろに陣取っていた刀香に行き着く。
「初めて東京に来たというわけでもないのに、そんなキョロキョロしないでください」
「うっ、それはごめんなさいだけど……こうやって出歩けるのが新鮮で……」
「まぁ、その気持ちは分からないでもないですが。今後は幾らでも来れるようになりますよ」
刀香の言葉に、しゅんと肩を落とす。すると反対側からおかしそうに鈴が言った。
「本当に、意外と貴族らしいところがあるのねぇ、緋彩は」
「最近だと寧ろ、貴族らしい貴族の方が珍しい気もしますが。移動は常に黒いベンツで、話し方は常にですわますわ口調なんて、案外創作の中だけの話だったりしますよ」
へぇ~っという気の抜けた声が、僕と鈴で重なる。「貴方がそれを言うのはおかしいでしょう……」と、刀香が不審そうに呟いた。それは僕だけに聞こえたらしく、鈴は不思議そうに首を傾げる。
まあいっかと正面に向き直った鈴が、あっと声を漏らした。それに反応してどうしたのと声をかけようとして、鈴が空を見上げているのに気付く。それは僕たちが向かっている方角で、はっとして真似るように空を見上げた。
「ほら、見えてきたわよ」
「え、ほんとだぁ!すっごく高いなぁ……」
真近くに乱立していた灰色のカーテンに、隙間が出来ていた。丁度そこから覗いていたのは、幾何学的な模様で鉄柱が組まれた、圧倒的な存在感を放つ紅の巨塔。
その頂点辺りを見ようとすると、空を見上げることになるほどの摩天楼。それが東京の街を睥睨するように、僕たちの目の前で立ちはだかっていた。
「そんなに見上げていると、こけてしまいますよ」
「わ、分かってるけど……うわぁ、潰されちゃいそう」
「私は何回も来たことあるけど、やっぱり近くで見ると凄いわよねぇ。こんなに高い物、一体どうやって立てたのかしら」
鈴が指を顎に当てて、開発者らしい視点でコメントする。刀香はこういう景色的なモノには関心が薄いのか慣れているのか、大興奮な僕と比べると随分と淡白な反応をしていた。
視線を地上に戻すと、観光の定番地という鈴の言葉通り、それなりの人数の観光客が東京タワーの方へ流れていた。と言っても、見上げたり写真を撮ったりしている人は見当たらないから、光景には慣れている人が殆どなのだろう。
ではなんでこんなに人が集まるのだろうと考えて、人々が向かっている先を見る。そこには、東京タワーの基盤に密集するようにしてできた建物群……というか、一見東京タワーの一部にしか見えない形で建造物があった。
そのデザインからして、本当に最初から組み込む形で設計された一部なのかもしれない。出ている看板の雰囲気からして、あれらがデパートになっているのだろうか?
そんな考察をしながらデパートらしき建造物部分を眺めていると、その様子に気付いたらしい鈴が上を指さしながら一つ提案してきた。
「折角だし、あの一番上くらいまで行ってみる?」
「あんな高いところまで行けるの!?」
「あ、やっぱり行ったこと無かったんだ。刀香ちゃんもそれでいい?」
「ええ、私も暫く最上階までは上ったことが無かったですし、行きましょうか」
まさかあんな高いところまで登れるなんて思ってもみなかった僕は、胸を高揚させる。刀香の肯定を聞くや否や、小走りに駆けだそうとした瞬間、すかさず両方の手をぎゅっと握られた。
両腕がびんっと勢い良く引き伸ばされ、ぐえっと悲鳴を上げる。その反動のまま元の位置に引き戻され、綺麗に二人の間に挟まった。
「予想なんだけど、緋彩をこのまま行かせたら迷子になると思うのよね」
「奇遇ですね、私も同じこと考えていました」
「そ、そんなことないし……」
確かにいつもよりテンションが上がってしまっているのは認めるけれど、迷子になるというのは流石に言い過ぎだと思う。というか仮に迷子になろうが、スマホで連絡は取れるし……。
上目遣いにそう伝えてみるが、手を握る感触は一向に弱る気配がない。それどころか最初よりも強く握られた気がした。なんでだと声を上げる間もなく、息ピッタリな二人に手を引かれる。
「ほ、本当に迷子になんてならないし!」
「はいはい」
やけくそに言い放ったセリフも軽く受け流され、僕は引きずられるようにして東京タワーの中に向かった。
チェーンソーマン全巻読んできました。あれね、やばいね。キャラクターの綺麗な殺し方とか凄い参考になった。




