勉強
前前前回くらいにする予定だった説明。魔力基本編。
「ただいま~」
「あ、おかえりなさい、緋彩」
色々と波乱もあったけれど、今日こそはちゃんとした時間に帰ってくることが出来た。出迎えてくれた鈴の表情も、どことなく安心感をにじませている。
靴を脱いでリビングに移動すると、僕は両手で抱えていた物をテーブルの上に置いた。すると鈴が肩越しに覗き込んできて、首を傾げる。
「それ、なに?」
「ん~と、宿題」
「……宿題?」
僕としては一番適切に感じた表現だったのだけれど、鈴は不思議に思ったらしく、首を傾げたままおうむ返しにそう言った。僕は鈴の目の前で、実際に内容を広げて見せる。
「魔術学の勉強だって。お仕事で必要なんだけど、あまりにも基礎すらなってないからって」
「へえ~。だったら緋彩は幸運ね」
その言葉に、今度は僕が首を傾げる番だった。そんな僕の様子を見て、鈴はふふっと自信ありげな笑みを浮かべる。そして問題集と教材のページをぱらぱらとめくり、頷いた。
「私、かつては魔導具開発の第一人者だったこともあるのよ?この都市で、同じくらいならまだしも、私以上に魔術学に詳しい人間は見たことがないわ」
はえ~っと声が漏れる。というか言われてみれば確かに、当然のことだった。魔導具を開発している会社で社長兼技術者をしている人物が、魔術学に疎いはずがないのだ。
これは心強いと、さっそく席について、テキストをテーブルの上に広げようとする。すると後ろから伸びてきた指に首根っこを掴まれて、持ち上げるように立たされた。
「先にシャワー浴びてきなさい」
「……はーい」
本気で失念していたと悟られぬよう、如何にも冗談ですという風に返事した。そのまま着替えを持って浴室に向かおうと身体を反転させると、ぽんぽん、と頭に触れられる。
顔だけをさっきの方に戻すと、鈴が少し伏し目に僕を見ていた。どうしたんだろうと思っていると、力の抜けた声でこう言われた。
「朝から元気なさげだったけど、調子戻ってきたみたいで良かったわ」
「……やっぱり、顔に出てた?」
肯定する形で、そう返事する。すると両頬を挟むようにして手を添えられ、ふにふにと触れられる。何気なしに「うわ~」と気の抜けた声を出すと、苦笑いされた。
「緋彩は顔に出るよ~。でも、表情に出てることとは真逆のことをよく言うから、心配になっちゃう」
「そう、なんだ。そんなつもり、無かったんだけどな」
「気持ちも表情も、そんなつもりって思って出すものじゃないのよ」
そう言いながら鈴が、親指の腹でゆっくりと僕の頬をなぞる。触れられた場所が、やけにくすぐったく感じた。
改めて、問題集と教材をリビングの机の上に広げる。頬に落ちてくる濡れ髪を耳にかけながら、鈴に貸してもらった筆記用具を指で弄った。
入門編という文字がでかでかと表紙を飾ってるものから、ページをぺらぺらとめくる。書いてあることは習った覚えのある範疇だったのだけれど、いかんせん習ったのが随分前のことなので、ぴんと来ない部分も多い。
僕の手が動いていないのを見たからか、隣に座っていた鈴が覗き込んでくる。そしてふんふんと幾らか鼻を鳴らすと、僕の方へ視線を移した。
「緋彩はまだ、選択科目として学ぶ範囲内には入ってないのね」
「実は、基礎も全然らしくて……」
「なるほど。じゃあまず、基本から纏めよっか」
そう言うと鈴は数ページ教材を捲り、大きく分けられた項目の最初にある図を指さした。
「まず、魔力について。知っての通り、全ての生物の体液中……特に、血液に多く宿るエネルギー体ね。と言っても、目に見えるレベルで派手なことをできるくらい魔力を持っていて且つ扱える生物は、今のところ貴族と吸血鬼だけなんだけどね」
うんうんと相槌を打つ。これは魔術学を習う時以外にも、一般常識として頻繁に聞く内容だ。
「体液の中にある魔素っていう細胞が魔力を生成して、保管するの。生成条件は諸説あって、まだはっきりとはしてないんだけど……個体ごとに異なる感情の高ぶりに反応して生成されることが知られているわ」
「怒ったり、悲しんだりしたらってこと?」
「そういうこと。その点で言うと、脳内物質とかに似てるかな。それで、貴族と吸血鬼が魔力を多く持っている理由は、この魔素を他の生物に比べて何十倍も多く持っているからね。これは遺伝……生まれによるもので、たまに、貴族の血が混じった一般市民も多く持って生まれてくることもあるわ。そういう場合はすぐに、貴族に拾われるのだけどね」
少し話が逸れちゃったかしら、と鈴がページを一枚捲る。
「で、ここからが少しややこしくなるんだけど、魔力は幾つかの特徴を持っているの。まず、生成した本人しか操れない。これが厄介で、幾ら魔導具で効率よく魔力を運用できるようにしても、本人が持つ魔力量以上のことは絶対に出来ないの」
「じゃあ、鈴の研究ってやっぱり凄く難しいんだね」
「そうなのよねぇ。今は、外部の術式と別のエネルギーを使って、何とか既存の魔力を増幅させようとしてるんだけど──って、今その話をしても仕方ないか。次に、魔力は自身の身体から離して操るのは、不可能ってくらい極端に難しいってこと。こればっかりは、私自身で魔力を扱ったことがないから分からないんだけど……緋彩なら分かるんじゃない?」
「僕、魔術使ったことなくて……」
「そうなんだ。じゃあ、覚えておかないとね。実はこの難易度を下げる方法があって、それが触媒を使うこと。例えば自分の血が付いたものとかを中継地点に使ったり、魔力を誘導するような仕組みが施された魔導具を中継地点に使ったりね。普通魔導具の研究というと、そういう物の研究を指すの。私は変わってる方ね」
「……あれ?」
そこで、昨日頻繁に見たとあるモノに思い当たり、首を傾げる。鈴なら知っているのではと思い、疑問をそのまま口に出した。
「それなら、都市結界とかのあんなに大きいのは、どうやって維持してるの?」
僕の頭の中には、めちゃくちゃ魔術の扱いが上手い人がいっぱい集まって、交代でうんうん唸っている図が思い浮かぶ。しかし鈴は、困ったように頬を掻きながらこう答えた。
「あー、あれか……あれのことを絡めると、凄く複雑になっちゃうのよね。そもそも私自身も、異分子殲滅隊に管理されてる手前、あれのことは詳しく分からないのだけれど……どうにも、ロストテクノロジーっぽいのよねぇ」
「ろすとてくのろじー?」
「失われた技術ってこと。分かりやすく言うと、大昔から勝手に動いているものを勝手に使っているのよ。一応、少しは構造について分析はできてるみたいで、応用された装置とかも開発されてるらしいのだけどね」
「それって、危なくないの……?」
「もし本当に、何も手を付けずに勝手に動いているものを、何も分からず利用してるのなら、かなり危険よね。なにせ、いつ消えるのかも分からないわけだし。そうではないと信じたいけれど、一市民の知れる範疇じゃないのよね」
鈴が指先でペンを回しながら、苦い顔でそう愚痴った。そしてはっとすると、教材に視線を戻す。
「ともかく、今は考えなくていいってこと。それで、最後の特徴は、魔力は魔力以外のありとあらゆるエネルギーと相性が悪いってこと。これには良い所と悪い所があってね。良い所は、魔力を纏っているってだけで、勝手に魔力以外の外的な衝撃とかを弾いてくれる所。要するに、魔力を多く持っているほど、魔力以外で怪我をしにくい。悪い所は、応用が利きづらいってこと。このせいで、電気に変えて別のことに使ったり~なんてことをしようとしたら、すごぶる変換効率が悪くなる」
「……ねえ、さっきも言ったんだけどさ」
「……そう。私の研究て、凄く難しいの。凄く凄く難しいの」
いつになく暗い声で、項垂れた鈴はそうぼやいた。
「ともかく、このことを踏まえたうえで、順番に問題を解いていこっか」
「はーい」
ちょいと捕捉?というか小話。魅了とか血液操作は吸血鬼としての能力で、魔力は使えど魔術ではありません。人の技術と、生物が本能的に扱える身体能力的な違いです。それと異分子殲滅隊の入隊試験実技の的が遠いのは、離した魔力を操るのが難しいからそこを見るためですね。




