限界
めっちゃ長くなった……感想とか、誤字報告とか、いっぱい頂きました。とっても嬉しいし助かってます。本当にありがとう
「さて、次は───」
もしかしたら、何か別に目的があるのかもしれないだとか、ちょっとだけ遊んですぐ本命に移るんじゃないかだとか、そう思っていた。
けれど、どう捉えたとしてもそういう風には聞こえない刀香の言葉に、僕はしびれを切らして言った。
「と、刀香……!」
「……はい、何でしょうか」
刀香が、変わらず手を握られたままくるりと身体を半回転させ、僕の方に向き合う。
かなりの時間、問答無用で連れまわされていたのだけれど、一つゲームが終わり次の目標を探そうとする状態から、ようやく聞く体制に入ってくれた。駄目元だったから少し思考に間が開く。呼吸を整えて、声を出した。
「僕、その、こんなことしてる場合じゃないと思うのだけれど……」
声は語尾に向かうにつれて小さくなり、比例して顔も下がる。いつの間にか、刀香に手を握られる力も弱くなっていて、僕たちは通路の真ん中で、ぽつんと立ち尽くした。
おかしなことは言っていないはずなのに、自分が何か、とんでもないことを言っているような気になってきて、口の中に苦いものが広がる。
するり、と指がほどけた。手と手が離れると、今日は握られているときの方が多かったからか、指先に肌寒さと、寂寥感が押し寄せてきた。少しの沈黙の後、刀香が言う。
「そう、ですか……ここで話は邪魔になるので、少し移動しましょう」
「あ……うん」
感情を感じさせない……いうなれば、いつも通りの声だった。手が解かれたまま、刀香が先導しだす。その姿に、昨日、更衣室まで案内された時のことを思い出しながら、僕はその背に付いて行った。
案内された先は、すぐそばの喫茶店だった。といってもこの前、鈴と入ったような大衆向けの場所ではなく、貴族向けという趣の場所。その印象に違わず、入店して通された場所は個室だった。
メニュー表だけを置き、おしゃれな制服の店員さんが礼をして退室していく。そうするとそこそこの広さの部屋の中に、隣り合わせで座った僕たちは、ぽつんと取り残される。
「ここは、一人でゆっくりしたいときによく来るんです。防音の個室で落ち着きますし、代金に部屋代も含まれているので時間もあまり気にしなくて済むんです」
「そ、そうなんだ。えっと、お洒落なとこだよね」
言ってから、話題が広がらないような返しだったと気付いて、冷汗が流れる。案の定沈黙が生まれてしまって、そんな嫌な空気感をごまかす様に、メニュー表に手を伸ばす。
「その、楽しく、なかったでしょうか……?」
それを言ったのが刀香だと、一瞬気付けなかった。驚いて声の方を向くと、あちらはテーブルの何もない一点を見つめていた。僕が口を開く前に、刀香が二の句を継ぐ。
「すみません、やはり、強引でしたよね。私は貴方の好みの一つも知らないのに、こんな」
「待って!別に、楽しくなかったわけじゃ、なくて」
刀香の表情が段々曇っていくのが辛くて、食い気味にそう言った。刀香が顔を上げて、瞳の中心に僕を写す。その虚像からの視線を感じながら、昨日の夜の光景を思い浮かべる。
「昨日の夜、実は、同居人を……鈴を、襲っちゃいそうになって」
「……はい」
「血を吐いて、倒れて、その時に、この身体の中に居るもう一人と話をしたんだ」
刀香の表情が驚愕で染まる。自分が一言喋るたびに、心臓にナイフを突き刺されたような激痛を感じた。
「そいつは、自分のことを吸血鬼の始祖だって名乗ってて……僕の、か、身体を、奪うって」
「分かりましたから、もう無理して喋らないでください!」
その真剣な声で発された言葉の意図が分からなくて、一瞬呆ける。
その時視界が暗闇に侵食され、異様に狭くなった。途端に息苦しさが襲ってきて、身体を九の字に折り曲げて喉を抑える。
苦しくて、でももがいてももがいてもそれから逃げられない。
「かはっ、ごほっ!ごほっ!!」
「過呼吸です!落ち着いて、ゆっくり息を吸ってください!」
切羽詰まった刀香の声が近づいてきて、背中に擦られた感触がした。頭上から呼吸音が聞こえて、それに比べて自分の呼吸音が歪なものになってしまっていることに、ようやく気付く。
ゆっくり、ゆっくり、刀香の呼吸音に合わせるように、勝手に呼吸しようとする身体を宥め、リズムを整える。暗くなっていた視界が徐々に光を取り戻してきて、それに伴い息苦しさも引いてきた。
「落ち着きましたか……?」
「はぁ……はぁ……ごめん、なさい……」
「どうして謝るのですか。むしろ、謝らなければいけないのは私の方です。いずれ聞かなければならなかったこととはいえ、こんな形で無理に言わせてしまって」
まだ刀香は背中を擦ってくれていて、それのおかげで、脳内の混濁はゆっくり押し流されていった。その温かさに縋るように、刀香の身体に体重を預ける。
預けてから、途轍もない恥ずかしさと申し訳なさが押し寄せてきて、咄嗟に身体を放そうとする。けれど、その試みは僕の背中に回された手によって阻まれた。
「ちょっと、その、刀香……なんか、申し訳ないというか……」
「昨日の方が酷かったので、気にしないで大丈夫ですよ。その酷い顔が収まるまでは、こうしてなさい」
「う、はい……」
顔は見えていないはずなのに、そんなことを言われる。けれど図星ではあったので、大人しく甘えさせてもらうことにした。恥ずかしさだけは、如何ともしがたかったのだけど。
別の感情の方が大きくなったからだろうか、あの濁流のような感情は鳴りを潜めてくれた。緊張の糸が切れた脱力感に身を委ねていると、刀香がおずおずと尋ねてくる。
「私が思っているより、貴方は、自分に時間が残されていないと思っているのですか……?」
刀香の悲し気な声に胸がぎゅっとして、少し苦しい。
「……うん。だって、僕がこうなってからまだ一週間くらいしか経ってないんだよ?それなのに、もうこれだけ酷くなってきてるし。あと一週間、いや、明日だって、このままで居られる気がしなくて」
僕の言葉に、また沈黙が訪れてしまう。言葉にしてみるとまた恐怖が込みあがってきて、知らず知らずのうちに、自分からも刀香の身体に手を回していた。
今日一日を取っても、刻一刻と時間が立ち去っているのが嫌だった。もしかしたら解決策があると刀香が言ってくれてから、殆ど絶望一色だった心に一筋の希望が射して、より焦燥感は強くなって。
藁にも縋る気持ちでその言葉を信じたのに、刀香はただ遊ぶために僕を連れ出して、それが耐えられなかった。
「私が、初めてゲームセンターに行った時のことを話します」
「え……?」
突然の話題転換に、思わずそんな声が出る。けど刀香はそのまま、話を続けた。
「随分と前のことです。私の家族は、私を残して、とある吸血鬼に全員奪われました。その日のことはまだ、つい先日のように思い出せます」
ぎゅっと、僕を抱きしめる腕の力が強くなった。昨日更衣室で聞いた、吸血鬼が嫌いという言葉がフラッシュバックする。
「家族が吸血鬼に殺されていくのを、眺めていることしかできませんでした。自分の非力さと、吸血鬼を、私は心の底から呪って……結局、私一人が見逃されて、私の大切なものは、たった一晩ですべて奪われました」
刀香はそこで一度言葉を区切ると、すうっと息を吸った。
「そこから私は他の貴族家に養子として迎え入れられましたが、吸血鬼への復讐と、弱い自分への嫌悪感にのみ囚われて、異分子殲滅隊に加入することのみを目的として生きていきました。そして史上最年少で異分子殲滅隊に入隊した時にはもう、壊れる寸前だったのですよ」
「壊れる……?」
「ええ。復讐心と鍛錬だけの日常に、心が疲弊しないはずがありません。けれど、私にはそれだけしかありませんでした。そして、そんな壊れかけの私を……青崎所長が、拾ってくれたのです」
刀香の声が、少し明るくなる。
「その時の、限界まで擦り減っていた私を見かねたのでしょう。任務を与えられるものだと思って所長の部屋に行った私は、無理矢理街に引きずり出され、一日中遊ばされました。その時です。ここに来たのは」
僕は顔を上げる。少し泣きだしてしまいそうな、そんな顔と目が合った。
「文句を言いながらも一日中遊んで、久しぶりに遊び疲れて、そこでようやく自分が限界だったことを知りました。青崎所長に息抜きも大事だと言われて、ようやく少しだけ、自分に余裕が持てたんです」
話が終わったことを示す様に、刀香が身体を放した。そのまま頭を撫でられ、くすぐったさに目を閉じる。
「昨日、貴方は精神的に摩耗していました。きっと始祖は、そこに付け込んだのでしょう。けれど衝動に、貴方は耐えきることが出来たのでしょう?なら、心を強く持ちましょう」
何故刀香がこの話を始めたのかが分かって、僕ははっとする。刀香は微笑んで、
「結果的にですが、連れ出して良かったと思っています。勿論、根本的な解決にはならないでしょうが……きっと、無駄ではないはずです。いいですか?始祖とやらのペースに、飲み込まれないことです」
「……うん」
「良い子です……しまった、また説教臭くなってしまいましたね」
「あははっ」
そう言って口を抑える刀香が面白くて、ちょっとだけ笑う。そこで僕もようやく、昨日から立て続けに起きていた出来事に限界が来ていたのを自覚した。
どさっと後ろに倒れて、席に仰向けに寝転がる。髪がばさっと広がって、天井の照明が眩しい。
改めて、しっかり呼吸をする。胸の中のわだかまりが少し抜けていって、ぐちゃぐちゃになっていた感情は僅かに解けていった。
「こら、だらしないですよ」
「うん……今だけね」
「全く……貴方、甘いものは好きですか?」
「うん……」
「では、せっかくなので食べて帰りましょう?」
「うん」
刀香に、手を握られた。
おねえちゃん……




