決壊
「答えれませんか。まぁ、意味のない問でしたね」
いよいよ交渉は決裂したらしい。もっとも、あちらからすると最初から交渉の余地はなかったように見えるが。
「くそ、くそ......ふざけんな」
八つ当たり気味に握り締めた手のひらから、一筋の血液が流れ落ちる。どうあってもこの少女は、僕の事を化け物にしたいらしい。なら、こっちも化け物らしく行くだけだ。
意識だけを、背後のビルの終わり目に向ける。勿論、その先にあるのはコンクリートの断崖絶壁だ。このビルが何階建てかは知らないが、普通落ちれば即死だろう。
だがそれは、人間ならの話だ。
吸血鬼の腕をちぎりとった時の感触が、フラッシュバックする。並の鋼よりも硬く、しかしながら靱やかだと言われる吸血鬼の腕。それをいとも容易く引きちぎった僕の身体能力は、僕に逃走の決断をさせた。
ようするに。
「っ!!!!!」
素早く踵を返して、ビルの柵へと一目散に駆け抜けた。近付く断崖絶壁に恐怖心はあったが、一般人には到底出せないスピードで前進を始めた自分の体に確信を抱きつつ、一気に柵の向こうへと──────
バチィィィン!と、まるで雷が落ちたかのような爆音が響いた。
「な、なんだよ、これ......」
ビルの境目。何も無いはずの空中に突然、鈍い紫の波紋が現れた。それは、空中へと飛び出そうとしていた僕の身体を、再びビルの屋上へと押し返す。
触れた部分が電流を流されたかのように傷んで、痙攣していた。しかし黒く変色した肌は直ぐに、カメラの巻き戻しを見るように再生する。
「抵抗するな、と警告したはずです。その結界は対吸血鬼用。貴女が異分子の吸血鬼である以上、突破することは叶いません」
驚愕から立ち直れない僕に、そんな声が届く。振り返って再び視界に入れた少女は、左手に符のようなものを何枚か、右手には、結界とやらと同じ色を帯びた刀をもち、此方に近づいてきていた。
「破邪の符です。痛いですよ」
構えた、と思った瞬間少女は僕の目の前にいた。刀を限界まで引き絞るように振りかぶって。
咄嗟に、血が滴る両手を前に出す。高速で編まれた血の武器は、今度は華奢で燃えるような赤い刀として、僕の手中に具現化した。
ギィィィィン、とけたたましい金属音が響き渡る。咄嗟ではあったが、何とか受け止められたらしい。しかし、その安堵感は文字通り吹き飛ばされる。
「──────ぁぁ」
声にならない悲鳴を上げる。
少女が片手で振るう刀を両手で受け止めた、隙だらけの僕の横っ腹に、破邪の符が叩きつけられた。結界に触れた時の何倍もの痛みが体を突き抜け、そのまま吹き飛ばされる。
勢いのまま結界にぶつかり背中に追加で負傷を増やすと、はじかれてコンクリートの床に転がった。衝撃と鈍痛に悶えるが、やはり傷は瞬く間のうちに癒えて消え去る。
痛いのには慣れてる。だから立ち上がれるが……立ち上がったところで、目の前の脅威は依然健在なのだ……畜生。
息も絶え絶えに起き上がる僕を見て、少女はほう、と声を出した。
「このレベルの祝福でも通用しませんか。やはり、なかなか上位の吸血鬼のようですね……なら直接、首を切り落とすだけですが」
さすがにそれは死にそう、と他人事のように考える。ああ、しかし……喉が渇いた。
「もう一度だけ言います。抵抗をやめて、そこに首を差し出しなさい。そうすれば、少なくとも苦しむことだけは無いでしょう」
実は場違いだから思考の隅に追いやっていたが、本当に喉が渇いたのだ。焼け付いて、もしかしたら少女に与えられた傷よりも強いかもしれない。
「……どうやら、そのつもりはないようですね」
ああ、駄目だ。頭がクラクラする。
目の前に刀が迫っていた。
もう、受け止めなかった。




