既視
もう誰もこんなやつ覚えてへんやろ......
生前の僕なら、軽く100回は死んでいただろう距離を、車よりもよほど早い速度で駆け抜けて数十分。
いつ異分子の襲撃があるのかと怯えていたものの、都市結界周辺の駆逐は徹底しているようで、僕からしたら随分と離れていると感じる距離ですら、異分子の影も形もなかった。
そして目的地。「あそこです」と刀香に言われるより早く気付けるほど、それの存在感は異様だった。
天を貫かんとばかりに聳え立つ、植物に侵食された建造物の数々。元は白く輝いていたらしいそれらは、今や自然に飲まれ、灰と緑の色で飾られている。
周囲には倒壊した建造物も多数あり、自立しているものだって何時倒れるのか、分かった物じゃない。その列の間に今から、入り込むのだ。
とはいっても、ここまで人外じみた走りをしてきた今、建物の倒壊くらいじゃ死なないだろうという謎の自信で溢れていた。それを刀香に伝えたところ、
「普通の吸血鬼ならぺちゃんこでしょうけど、貴方なら生きてそうですね」
とのお言葉を頂いた。普通死ぬらしい。というか平面になっても動いている自分を想像してしまって、首筋がぞわぞわした。
「……この広さ、全部調べるの?」
都市内に入るまでは、外観に圧巻されて気付けなかったが、聳え立つ建造物たちの根本も、大小様々な建造物で埋められていた。
しかも、殆ど崩れてしまっているようだが、地下通路もあるように見える。高層建築物の内部もだが、それと同等レベルに、他の場所も探索するには手間がかかりそうだ。
それに足場もいいとは言えない。そこらじゅうに劣化したコンクリート片が、ガラス片と混じって山を作っていて、一歩踏み出すごとにじゃりじゃりと音を鳴らせていた。
「そんなわけないでしょう。複数部隊が数日に渡って、スケジュールを立てて行うのです。今回は、それの一つに横入りさせてもらうことになります。というわけで今から、その部隊の一つに合流しますよ」
「……知らない人」
「貴方の場合、戦闘能力より対話能力の方を心配しなければならないようですね」
そりゃあ今まで、コミュニケーションを学ぶことはあれど実践することは殆ど無かったのだ。むしろ、それにしては頑張っている方だと思っている。
僕が頬を膨らませ抗議しようとした時、僕の耳に、僕たち二人以外の足音を耳が拾った。立ち止まって、耳に神経を集中させる。
「急にどうしました?」
「足音、が聞こえる。他の隊員さんかな?」
「……私には全く聞こえませんね。間違いはないのですか?」
「うん。大体、あっちの方」
僕がそう言って進路方向辺りを指差すと、刀香は懐から魔導具らしき板を取り出し、幾度か確認するかのような挙動をした後に、頷いた。
「私でも聞こえないくらいの距離となると、合流地点の隊員で間違いないでしょうが……便利なものですね」
「べ、便利」
「褒めているのですよ。ともかく、貴方が気を抜かない限り、奇襲は受けないで済みそうです」
やっぱり受けることあるんだ、奇襲。少なくとも気が抜けるような場所ではないから、聞き逃すことは無いと思うけれど。
角を一つまがった先は、元は都市の広場だったのだろう。建造物が密集している中にポツリと空いた広い空間だった。
そこらかしこに簡易テントが張られており、物資と思わしき箱たちが積み重ねられていた。要するにここがベースキャンプということなのだろう。
街から数十分の距離と考えたら過剰と感じるほど、立派な施設。けれど殆ど出払っているのか、人の気配は少なく、施設の立派さに見合わない侘しさだ。
それを不思議に思っていると、一つ、こちらに向かってくる足音を感じた。視線を動かし、音の主を視界に捉える。
「……今日は、貴方の当番でしたか」
「あ、あれ?」
刀香の嫌そうな言葉をよそに、僕は驚愕から思わず声を出してしまう。だってその姿は、つい最近見たばかりだったから。その彼は僕らの前まで移動してくると、聞き覚えのある声で言った。
「貴方にそんな、蛇蝎のように嫌われる覚えはないのですがね。まあそれはともかく、面倒な調査任務を代わってくれるのには感謝しますよ」
中性的な声と外見。一目で印象が残りそうな銀髪に、線の細い、儚さを感じる風貌。確かこの前であった時は、白銀と名乗っていた人物だ。
貴族のような仕草だとは感じていたけれど、ここに居るということは、本当に貴族だったらしい。あんな結界際に居たのは、外部調査の帰りだったからなのだろうか。
刀香を見ていた白銀が、不意に僕へ視線を移した。悪いことをしたわけでもないのに、なんだか気まずい気分になる。とは言っても白銀は、僕のことに気付かないと思うけれど。
なにせ初対面も今も、容姿の判別があまりつかない格好をしている。取り敢えず挙動不審にだけならないようにしながら無言を貫いていると、白銀は考えるような仕草を見せた後、僕に向かって口を開いた。
「ええと、私から挨拶をした方が良いかな?実働隊所属の特級隊員、白銀だ。人材不足だから、新入隊員は歓迎するよ」
「……スカーレット、です」
少し悩んでから、最低限の言葉だけ返す。白銀さんの話し方からすると全く気付いていなさそうだけれど、声は聞かれていたはずなので、一応。
正直、あそこで会ったことがあるとバレても、問題はないと思うけれど、僕自身どこから襤褸が出るか予想できないので、伏せておくことにした。
でもそれを刀香は人見知りしたのだと思ったのか、僕のフードにでこぴんした。想定外の衝撃に、「あでっ」と頭を抑える
「所長が拾ってきた私の部下です。それ以上なにか聞きたいことがあるなら、所長に直接聞いてください」
「そんなおっかないことが出来るものか。そうじゃなくて、用があるのは君、刀香くんにだよ。そっちの彼女には、見ない顔だから挨拶しただけさ」
「私に、ですか?」
デコピンの衝撃から復帰すると、一瞬で渋面を作った刀香の姿が目に入った。どうやら刀香の白銀嫌いは筋金入りらしい。
長いことそんな関係なのか、白銀さんも口にはすれど、あまり気にしていないように見える。
「ここの調査が決行された理由は知っているだろう?」
「……ええ。最近異分子、特に素因である吸血鬼の発生量が異常だからでしょう?近場に、コロニーでもあるのではないかと」
「そう。そして先ほど、魔力反応が見つかったのだよ。これが普通の異分子であると仮定するなら、一般隊員の部隊で充分なのだが……」
「直近の状況を鑑みて、吸血鬼の可能性が高いと。だから偵察に一人、特級隊員を据えようということですか?」
「その通り。とは言え、私はもう勤務時間外なのでね。すると都合よく、交代でもう一人特級隊員が来るということに気が付いたのだよ」
ただでさえ眉間にしわの寄っていた刀香の顔が、更に険しくなる。そして僕も何となくだけれど、この白銀という人物が嫌われている理由が分かってきた。
そこで僕ははたと気付く。もしかしてこの話の流れが承諾される場合、僕はその如何にもな危険地帯に放り込まれることになるのだろうか。
「本当に、言い草は腹立たしいの一言ですが……そういうことなら引き受けましょう」
「感謝するよ。ではデータは送っておくから、お二方とも、失礼するよ」
若干声を震わせながら返事した刀香に目もくれず、白銀さんは優雅に一礼すると、とっととこの場を去ってしまった。
お互い、無言になる。様子を窺ってみると、ひえっと悲鳴を上げてしまいそうになるくらい、恐ろしい形相をしていた。そっと目を逸らす。
がすっ、と音がして、反射的にそちらを見ると、刀香の足元で砂煙が立っていた。それと、僅かに削れたコンクリートの地面も。
僕が硬直している間に、刀香は無造作にタブレット端末を取り出すと、五秒ほどそれと睨めっこすると、極めて平坦な声で僕に話しかけた。
「行きますよ」
「………は、はい」
とてもじゃないけれど「お留守番しています!」とは言い出せない空気感になってしまい、僕はすごすごと刀香の後を追うことになった。
このなんとも言えないウザイ感じ、伝われ!




