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怖いこと

この二人の関係について

 どうやら今日の予定を全く知らなかったのは僕だけだったらしく、刀香は青崎の言葉に少しも驚かなかったことからも、それがうかがい知れる。


 しかも「スムーズに終わる予定だった出来事がやたら長引いた」らしく、スケジュールが詰まっているからと、動揺も収まらないうちに制服を持たされ部屋を追い出された。


 そして現在、案内されるがままに刀香の背中を追っているところなのだけれど……正直言って、気まずい。


 斜め後ろを追従している関係上、表情は全くうかがえない。そして二人になってからは、最初に「ついてきなさい」と平坦な声で告げられただけで、終始無言を貫いている。


 転生の話をした時、おそらく最低値だった僕の印象を修正している様子はあったけれど、それでもやはり良くは思われてないのだろうか。もしくは警戒されているのかもしれない。


 どちらだとしても、仕方のないことだ。僕としては、仲良くできるに越したことは無いと思うのだけれど……初対面の出来事の罪悪感で、自分から距離を詰めるのは、どうしても気負いしてしまう。


 

「スカーレット」



 心中であれこれ悩んでいると、少し躊躇するような声音で突然話しかけられた。反応して視線を上げると、首だけ動かして肩越しに振り返った刀香と目が合う。


 彼女はその状態のまま暫く、目を瞑ったり唸ったりして何かを悩むようなそぶりを見せた後、正面を向き直ると言った。



「ここでは聞き耳を立てられるかもしれないので、更衣室に入ってからにしましょう。あそこは防音が完璧ですし、女性側は実質、私専用なので」



 反射的に「うん」と返事しようとして、直前で止める。刀香が失念しているのかどうかわからないけれど、その提案通りだと当然、二人同時に更衣室に入らなければならない。



「あの、僕、さっきも言ってた通り、その……」



 なんとか人に聞かれても問題ない言葉でそれを伝えようと、口をむにむに動かしていると、刀香は再び振り返って、呆れたと言わんばかりに溜息をした。



「勿論、そのことに関しては心得ています。ですが交代で使うのも傍から見ると変ですし、かといって貴方が男性側を使うわけにもいかないでしょう」


「あぅ……」


「私は気にしませんので、貴方も早く慣れなさい」



 跳ねのけるようにそう言い切ると、また刀香は視線を正面に向けなおした。慣れろ、という言葉に随分な無茶ぶりを感じながら、僕は重い足を前に進めた。










 更衣室の自動ドアを前にして気後れしていた僕は、背中を押されて中に放り込まれた。そのまま刀香は後ろ手にロックをかけると、落としかけた制服を抱え直している僕の方へ向かってきた。


 

「え、ちょ、あの」



 その威圧感から後ずさると、後ずさった分だけ無言で距離を詰められ、僕は遂に壁際まで追い詰められる。そして退路を塞ぐようにして、僕の顔の左右に手を付いた。


 ドン、と耳の間近で大きな音がして、身体を委縮させる。上目に表情をうかがってみると、すぐ近くのまるで人形のような、綺麗で読み取れない顔をした刀香と目が合った。


 変に感覚が鋭いせいで、こんなに近いと心音とか、匂いとか、とにかく落ち着かない。目を泳がせていると、少し上から声が降ってきた。



「まず貴方に、言っておくべきことがあります。先ほどの貴方が元人間と言う話が本当であるならば、先日の二回の攻撃については謝罪しましょう。その、吸血の件についても、帳消しにしておきます」



 僕は目をぱちくりとさせる。なにせ怒られるか、それに準じたことをされるのではと恐れていたのに、発せられた内容は刀香の謝罪という、全く予想していないことだったから。


 表情もよく見ると、少し目尻が下がっているような、有り体に言えばシュンとしているような気がした。けれどそれはすぐに消え、「ですが」と次の言葉が続く。



「正直、私はまだ貴方のことを疑っています。あとこれは私情ですが……それはそれとして、私は吸血鬼が嫌いです」


「僕も吸血鬼は好きじゃない……」


「その境遇には同情します。ですが貴方は自我で抑えているだけで、吸血鬼としての衝動もあるのでしょう?」



 僕が吸血を忌避しているのに、あの時自分を吸血したのは衝動のせいだろうと、そう刀香は言った。僕は心臓がぎゅっと痛むのを感じながら、頷いて返す。


 すると刀香は目を細めて、僕を睥睨した。その感情の高ぶりに呼応して、冷たい魔力が全身からにじみ出て、至近距離の僕の肌を撫でる。




「なら、警告しておきましょう。もし今後貴方が衝動に飲まれ、吸血鬼と変わらぬ存在になったと判断したら───私は、貴方を殺します」




 ぐらり、と視界が歪んだ。自分が衝動に飲まれて、『吸血鬼と変わらない存在になる』……僕はそんなこと、考えてもみなかったから。


 あるいは今まで、そんなことがあるわけないと、必死に考えないようにしていたのかもしれない。根拠のない自信にただ、縋って。


 けれど今の僕に、僕の理性に、どれほどの確固さがあるだろうか。自分の存在証明すら、自分の記憶の中にしかないのに。しかもその記憶すら、自分の名前が思い出せないほど不安定なのだ。


 思い出してみれば、衝動の兆候もあった。自身に危険が迫った時や、血に濡れた時や、人の血の匂いを感じた時。身に覚えのない、吸血鬼に関する記憶。脳裏に走るノイズと、知らない誰かの声。




 僕の中に、もう一人誰かがいる。




 そうはっきり認識した瞬間、喉の奥から何かかせり上げてくる感覚に襲われて、僕は咄嗟に自分の口を塞いだ。否応なしに、身体が震えだす。


 すぐ近くで刀香が、何かを言っている。けれどその音が意味のない響きの羅列のように感じられて、一つとして聞き取ることが出来ない。


 考える。考えてしまう。もし僕が、吸血鬼と変わらない存在にまで堕ちてしまったとして、一番最初にその毒牙にかかるのはだれなのか。


 決まっている。一番身近な人間(・・・・・・・)だ。そしてそれが僕にとって誰なのかも、また、分かり切っていることだろう。


 それが、自分でも訳が分からないくらい恐ろしかった。何度か死の危険に瀕してきたけれど、それのどれよりも、彼女を手にかけてしまうことが怖かった。





「───スカーレット!大丈夫ですか?」


「……あ」



 思考の深海に沈んでいた僕は、その呼び声で無理矢理引き上げられた。心配そうに僕の顔を覗き込む刀香が、酷く非現実的に思えて、呆然としてしまう。


 遅れて、自分の呼吸がおかしな音を立てていることに気づいた。整えようと意識を向けたところで、右目の端に、撫でられる感触があった。


 そこでようやく、自分の視界がぼやけていたのは、涙が原因だったのだと気付いた。続けて、左の目に溜まっていた涙も、刀香の手によって拭い取られる。


 

「その、あそこまで啖呵を切っておいてなんですが、そこまで怖がらせるつもりはなかったのです。ただ、気を付けるようにと警告してきたかっただけで」


「いや、いいの」



 申し訳なさそうにそう言う刀香の手首に触れる。それなりに整ってきた息を細く吐き出して、完全に呼吸を整えると、刀香と目を合わせた。


 自分の頭の中で、静かに天秤が傾いていく。僕の発声が恐怖に飲み込まれてしまわないように───まるで命乞いのような情けなさを、必死さで覆い隠した。



「僕がもし、衝動に飲まれるようだったら……その前に絶対、僕を殺してほしい」


「……貴方、死にたいわけではないでしょう?なにが、そんな」


「僕だって死にたくはないけど、どうせ、一回死んじゃってるわけだし、求めすぎるのも贅沢だなって」


「かといって、そんな……」


「お願い、刀香。約束」




 僕の精一杯の強がりを、刀香は何とも言えない表情で受け止めた。そして幾らか悩んでいるようなそぶりを見せた後、僕から身体を離しながら言った。



「ええ、承りました。ですが私としては、そうはならないことを祈っています」


「うん」


「ですから貴方も、最後まで諦めないこと」



 そこまで言い切ると、素早く身体を反転させて、壁際にあるロッカーに足早に近づいていった。着替えろ、と言うことなのだろう。僕も慌てて後ろを向くと、制服を広げる。


 気恥ずかしさと、背後から聞こえてくる衣擦れの音を出来るだけ意識しないようにして一気に着替える。サイズは青崎の想定通り、ピッタリだった。


 同じくらいのタイミングで衣擦れの音もやんだので、恐る恐る振り返ってみる。すると複雑そうな表情で僕の格好を見ている、自身は普段とほぼ変わらない格好の刀香が居た。


 そういえば今まで出会った時は、全て黒いセーラー服のようなデザインの服を着ているのだけれど、これが 所謂『特級隊員』用の制服なのだろう。とはいえ、着替えた筈なのに、武器を持った以外、姿に変化がないのは疑問だけれど。



「もう、落ち着きましたか?問題ないようでしたら移動しますよ」


「う、うん!」



 更衣室に入る前のような凛とした表情に戻った刀香の背中を、僕は慌てて追いかけた。

一番大切なのが自分ではないという点で、この2人は少し似ています

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 結局のところ刀香ってコードネームだったんです?それとも本名? 血に聞いたって事は恐らく本名でしょうけども…
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