ポンコツ
あるある
魔術で。
その言葉を聞いた瞬間固まった僕を見て、余裕の笑みを浮かべ続けていた青崎の表情が、え、という困惑したものに変わる。
理由はまあ、察して余りある。それだけの魔力を有しているのだから、魔術の一つや二つ扱えて当然だろうと、青崎はそう考えていたのだろう。それは本来、正しいのだけれど。
だがこればっかりは、事前相談しなかったのが悪い。だって僕は、魔術を一つも扱えないのだから。
固まったまま動かない僕を見て、青崎の困惑が、僕と同じ動揺に変わり始める。そんなこちら二人に訝し気な視線を向け始めた竜崎から逃れるように、僕は青崎に耳打ちされた。
「おい、お前、冗談だよな?」
君って呼ばれてたのに、やたらドスの効いた声でそう言われた。
「無理……僕、吸血鬼の異能しか使えない……」
「あれだけ魔力があればどうとでもなるだろう。適当に指弾でも……」
「し、指弾……?」
僕がおうむ返しにそう言うと、青崎は完全に絶句していた。多分だけどその指弾とかいうのは、魔術の名前なのだろう。それもすごぶる基本的な類いの。
けれど残念なことに、僕はそれすらも扱えない。なにせ前世を含めても生まれてこのかた、魔術なんてものを習ったことは一度もないのだ。
「あの、内緒話は結構ですが、この試験、制限時間がありますので」
竜崎さんの言葉にハッと我に返ると、いつの間にか作動されていたタイマーがもう随分と進んでしまっていた。だけれど焦っても出来ないものはできないわけで。
そこでようやく僕の返答の衝撃から復活したらしい青崎から、「とにかく何とかしろ」との温かい無茶ぶりを振られた。ひぃ、と思わず悲鳴を上げてしまうほどの冷たい声で。
できなければ首を刎ねる(物理)という無言の圧に、必死に頭を働かせる。とにかくこの際、異能でもいい。吸血鬼とばれさえしなければ……!
「あ……」
一つだけ、ギリギリ条件に該当しそうな行動に思い当たる。そして急いであたりを見渡すけれど、たった一つだけ、必要な条件が見当たらなかった。
「なにか思いついたか?」
「あの、なんか小さくて硬い物持ってない!?」
「は?」
その様子を見てせっついてきた青崎に手のひらを差し出してそう返すと、またもや困惑した顔で、ポケットをあさり出す。そしておもむろに取り出したそれを、ぺちっと、広げた手のひらに置いた。
飴だった。まごうことなき飴。甘味。なんでそんなものを貴族がポケットに常備しているのかは知らないけれど、とにかく、条件に合うものには間違いない。
僕はそれをぎゅっと握りしめて、前方約20mくらいに設置された人型の立体的な的を見据える。あれがどれくらいの強度かは予想もつかないが、当たって砕けろだ。
「なにを───」
隣でなにかしら言いかけた竜崎さんをよそに、僕は思いっきり腕を振りかぶり、全力で飴をぶん投げた。
魔力で幾らか強化されたようだったそれは、赤い残光を空中に刻みながら直進して、人型の的の中心に衝突する。
瞬間、脆いフィギュアを床に叩き落とした時のように四肢と頭部がもぎ取れて、けたたましい破壊音を発生させる。中心に蜘蛛の巣状の罅が入った胴体だけが、数メートル後方に吹っ飛んで、鈍い落下音を鳴らした。
……しん、と空気が静まって、僕は首を傾げた。破壊しろとのお題だったけれども、なかなか合格と言われなかったから。思い出してみると確かに、破壊と言うのは曖昧な定義だと思う。
もしかしたら追撃が必要なのかな、と思い、聞いてみようかなと振り返った視界に入ったのは、明らかにドン引きしている二人の姿だった。
「おい、赤色のポンコツ」
「……はい」
「とにかく何とかしろと言ったのは私だ。だが、何でもしていいとは言っていない」
「そ、それは事前に説明の一つもしなかった方が悪い!……と思います」
「類を見ない程強力な吸血鬼が、魔術の一つも使えんなどという馬鹿げた可能性のために、上司部下と言う関係性を作れていない段階だと疑われるリスクでしかない密会の時間を作るとでも?」
場所は変わって、所長室というネームプレートが貼られた部屋で僕たち二人は話していた。というよりは主に、愚痴を言われているといった方が正確だけれども。
あの後、僕の暴挙(冷静になってから気付いた)は一応魔術として認識された。曰く、物質強化と身体強化の双方を、高度な隠密性を兼ねた状態で使用したらしい。
だとしたら相当な魔術師なのだろうけれど、実際にやったことは身体能力でのごり押しだ。魔術なんて大層なモノは一切使っていなくて、精々魔力量のごり押しにより弾丸(飴)が多少強化されていた程度。
まあしかし、この誤解は僕が狙った通り、吸血鬼という真実を隠すために意図的に起こしたものだ。じゃあなんで、ここまで青崎の機嫌が悪いのかと言うと。
「もう噂になってるぞ。滅多に部下を作らない所長が推薦で連れてきた有望株は、魔術師なのにわざわざモノを投げつける狂人だとな。あまりにもあほらしすぎて、実力を疑う声も出ている。しかも前々から私はロリコンだのなんだの根も葉もない噂をされていたのに、お前の容姿が無駄に良いせいで、コネを最大限使って職場でも侍らせているだとか言われる。正規ではない手段で入隊させる以上多少はそれらの不満が出ることを覚悟していたが、この勢いだと多少じゃすまないだろうな」
「分かりましたもうやめて……」
途中から耳を塞いでぷるぷる震えながら聞いていたのだけれど、吸血鬼のとても高性能な耳は余さず全文を拾っていた。半分は青崎の自爆とは言え、耳が痛い。とても痛い。
そんな僕の姿に溜飲を下げたのか、青崎の愚痴攻撃は一旦鳴りを潜めた。代わりに溜息を一つすると、ちらりと時計の方を見上げる。
「まあ、真面目な話をするのは───おっと、丁度良い」
「……所長。そいつを、私抜きで部屋に入れないでください」
「いや、こいつはもう───分かった。次からはそうする」
予兆もなく突然扉を開いて顔を覗かせたのは、青崎がこの部屋に着てすぐ、電話で呼び出していた刀香だ。こちらもこちらで開口一番、不機嫌さを隠そうともしない低音の声。
というか、途中まで反論していた青崎が突然手のひらを返したのは何故だろうか。刀香が睨んだのが境だったが、先日の様子だと、その程度で意見を曲げるような関係性に見えなかったのだけれど。
刀香はその睨みをついでとばかりに僕に向けると、渋々と僕の隣に、部屋の端にあった椅子を移動させてきて、綺麗な姿勢で腰かけた。それで青崎の見るからに泳いでいた眼が、真剣な色を帯びる。
「これで紆余曲折……いや本当に、紆余曲折を経て、君は隊員となったわけだ。試験は本来一般常識から始まって戦闘知識のペーパーテストまでもあるが、それを勉強させる手間も暇も落ちられる可能性も惜しい。私直属の部下だから試用期間も無く、今日から晴れて正隊員だ。君の分の制服もお下がりだが、用意してある」
そう言いつつデスクの下から、先ほど竜崎さんが着ていた制服のデザインとはどこか趣の異なる制服を取り出す。お下がりらしいが、見たところどこも痛んではなさそうだった。
するとすぐ横から突然、ガタッと椅子の鳴る音がした。反射的に視線を向けると、リンゴもかくやというレベルで顔を真っ赤にした刀香が口をわなわなとさせている。
いい加減こういう展開に慣れてきた僕がそっと耳を塞いだ直後、刀香は腹から叫んだ。
「そそそ、それ、私の制服じゃないですか!!!!!」
「よくわかったな。お前が特級隊員になる前の、レディメイドの制服だ。そうやって並んでいると姉と妹みたいな身長差だが、これならまだ刀香の小さい頃のサイズだろう?丁度いいと思ってな」
「そういう問題じゃありません!!!!!」
どこまでも真剣そうな青崎の言葉に、また長い話になりそうだなあと感じながら、僕は暫く部屋の壁役に徹した。
赤色のポンコツと黒色のポンコツ。あと青崎ロリコン説は身から出た錆(作者並感)




