血界
たるこふやってた
刃の銀光が目に痛いほど、ギラギラと輝いている。臨戦態勢に移った刀香の身体から漏れ出す魔力が、目に見えて膨れ上がっていった。
今更ではあるけれど、この怪物を殺すという選択に出たことを後悔する。こんなに早く異分子殲滅隊が駆けつけるのであれば、わざわざ出しゃばる必要なんてなかったのに。
しかも駆けつけてきたのがまさかの刀香。ここ最近、厄日が続きすぎて嫌になる。苛立ちのままに歯ぎしりして、とにかく距離を取ろうとした瞬間。
刀香が一歩、踏み込んできた。しかしその一歩はお互いの距離を詰めるのには十分で、地を這うような低姿勢になり、屋上の時が嘘のような速度で突撃してきた。
「はやっ────」
思わず声が出た直後、その突進の速度を乗せた居合切りのような一閃が、首を狙って飛んできた。殆ど脊髄反射で上半身を引くと、ギャリリッという嫌な音と共に強制的に左を向かされる。
身体能力にモノを言わせて、無理矢理後ろに飛んだ。頬に残った感触を指の腹で撫でると、仮面に綺麗な切り傷が出来ているのが分かった。ひやりと背筋に冷たいものが流れる。
この前は余裕で勝てたという、頭の中でどこか油断していた甘えがすっと消えていく。本能のままに、全身を紅く染めていた血液が右手に集合して、一つの短剣となった。
その間にあちらも準備を整えたようで、刀香の周りに、纏うようにしていくつもの符が浮かんでいた。確か、破邪の符だとか言っていたやつだろうか。
あれを叩きつけられた衝撃は記憶に新しい。緊迫した肺を馴らすように、細く息を吐きだすと、身体の正中線に沿うようにして右手だけで短剣を構えた。
視界の中心に捉えた刀香が、訝しげな顔をするのが見えた。そしてこちらと同じように正中線に刀を構えると、刀の先端をピタリと止めた。合わせるように、符も隊列を変える。
「人の真似事ですか?それにしては、随分と拙い構え方ですね」
「お喋りとか、余裕だね」
「……もう油断はしませんよ。貴女はここで殺します」
空気が張り詰める。じわりじわりと怪物の血痕が広がっているのを視界の端に捉えながら、戦闘慣れしていない動揺を悟られないように、冷静な態度を保った。
途端、周囲を旋回していた符が全方向に拡散し、僕の視界外から襲い掛かってくる。それに対応しようと短剣を動かしたタイミングで、刀香がコンクリートを蹴った。
繰り出してきたのは全身のバネを使った突き。点となった刀の先を受けるのは不可能だと判断して回避しようとした矢先、突如速度を上げた符に半身を叩かれた。
痺れるような衝撃に身体が止まり、刀香の突きは寸分違わず僕の心臓に突き刺さった。ごぼっと口から血が溢れると同時に、大量の符が追い打ちで炸裂する。
激痛が走る、が、これくらいなら耐えられる。ぐちゃぐちゃに剥がれた皮膚とかき回された内臓が再生していくのを感じながら、突き刺さっている刀身を握った。
息が当たるほど接近していた刀香が動揺するのが分かる。そのまま手首を掴もうとしたのは察知されて、刀を手放して下がることで避けられた。
ごぼり、と再び口の奥から血の塊が溢れてきて、不快感に堪えかねて吐き出す。刺さったままの刀を力任せに引き抜くと、瞬く間に体の風穴は塞がった。
口元を拭いながら刀香に視線を戻すと、予備を持っていたのだろう、もう一本の刀を鞘から引き抜くところだった。武器を失えば引いてくれるかと思ったけれど、どうやらそう簡単にはいかないらしい。
「頸を刎ねても死ななければ、心臓を貫いても癒えますか。やはりただの吸血鬼ではないようですね」
どうやらそうらしい、と他人事のように思う。少なくとも僕が殺したあの吸血鬼は、首を刎ねられた時点でもう再生の兆しすら見せずに死亡していたし、本来吸血鬼とはそうなのだろう。
そういえばアンセスター、とか言っていた。その言葉の意味は分からないけれど、今はとにかくもう一度死ななくて済むというだけで十分だ。
さらに怪物の血痕が広がっていく。言わずもがな僕の身体からもかなりの量の血液が溢れだし、あたり一帯は鮮やかな赤色で染まり始めていた。そろそろ、十分だろう。
「悪いけど……これ以上付き合ってあげる理由もないから」
「なにを───」
血よ、従え。
刀香の返答を聞く前に、自分を中心にしてできた血の池に、持っていた短剣を突き刺した。まるでもとからあった手足のように、ここら一帯すべての血と感覚が繋がり、支配下に置いた。
何かが這いずるような不気味な音を立て、一斉に動き出す。それはみるみるうちに刀香を中心に円となり、巨大なドームを作り出した。咄嗟の回避行動も、あまりの範囲の広さに無駄となる。
血で織りなす結界。その中に狙い通り刀香を閉じ込めることに成功した僕は勿論、「じゃあね」とだけ言い残して全身を蝙蝠の姿に変えた。
「待ちなさい!!!!!!」
結界の中から甲高い金属音と刀香の怒号が聞こえたが、それは足止めが有効な証にしかならない。僕は企みが成功したことにこっそり安堵しながら、その場を離れた。
強がり。全部強がりだった。
ただがむしゃらに全速力で空を飛んで、飛んで、飛んで、ようやく安心できるところまで飛び去ることが出来た。人の気配がしない場所に降り立って、蝙蝠が集結する。
身体がもとの人型に戻って、壁に倒れこむようにもたれかかる。脳の奥で何かが軋むような音が、絶え間なく響き続けている。喉の奥から嗚咽が漏れだして、手で口を覆った。
しゃがみこんで、もう片方の腕で自分の身体を抱え込む。そうしてようやく、自分の身体が震えているのが分かった。恐怖という感情が、遅れてやってきた。
「……くそ」
腹の底から、泥のように濁った感情がどんどん溢れ出てくる。誤魔化す様に悪態をつくと、なんとか体の震えも収まってくる。
なんでこんな目にあっているんだと、向けようのない苛立ちが頭の中をぐるぐるする。でも、この場所でしゃがみこんでいてもなんにもならない。
足に力を込めると、ちゃんと身体を持ち上げることが出来た。服も、人型に戻ると同時に元通りになっていた。暮れ始めている空が、ビルの隙間から覗いている。
「……帰ろう」
今はただ、人肌が恋しかった。
少しづつ登場人物達の弱い部分を見せていけたらなと




