顔見せ
短め。導入パート難産すぎてつらたにえんなので応援くれ......
鏡を見なくても分かるくらい、四方八方に散らばった髪。それを鈴が後ろから、いつのまにか昨日買っていたらしいブラシで解きほぐしていく。
寝起きに自信があるほうではあるのだけれど、今日は鈴の方が先に起きていて、僕が覚めた時には既に身支度を済ませてしまっていた。だから、後から這い出てきた僕の身支度は全て自動で進んでいる。
そんなわけで暇を持て余している僕は、血の回ってない頭で正面に置かれた置き鏡をぼんやりと眺める。そこには当たり前だけれど、せっせと髪を梳かす人と梳かれる人が映っていた。
こうしてみると、本当に自分の姿を見慣れないなあ、となかなか体験することのない感想を抱く。一緒にいる鈴の姿の方がよっぽど見慣れているくらいで、この光景もなんだか他人事みたいだ。
ふと、僕の頭を真剣な顔で弄っていた鈴と、鏡越しに目が合った。一通り終わったのかなとか思っていると、ブラシを置いて空いた両手で頬を挟み込まれた。
どちらかと言えば普段はシュッとしてる顔が、むにっと丸くなる。首を回して振り払おうとして、せっかく整った髪が散らかる可能性に思い当たり諦めた。
代わりに、かなり手加減した肘鉄を無防備なわき腹にくれてやる。ぐえっ!と情けない声が後頭部あたりでして、頬に触れていた手がようやく離れた。
「痛い!緋彩!すごく痛かった!」
「終わったの?ならとっとと出ない?」
「冷たい!お化粧するならどんなのが良いかなって考えてただけなのに!」
なにか言い訳を喚いている鈴を無視して、ソファーから立ち上がる。時計を見てみると、鈴に言われていた出発時刻のすぐ手前と言ったところだった。
もう一度、鏡と向き合う。歯磨き、良し。服装、良し。髪型、良し。頭の中のチェックリストを埋めきると、最後にマスクで口元を覆った。
「ねえ鈴、いつまでぐずってるの?」
「ぐずってない……うん、じゃあ行こうか」
鈴に拾われた通りを何事もなく通り過ぎて、大体徒歩30分もしなかっただろうか。雑談をしながら歩いていると、目的地はすぐに姿を現した。
結構新しい建物なのだろうか、そのビルは目立った汚れもない白い壁面のビルだった。他にも色んな会社のオフィスが入っているのだろう、何種類もの社名が書かれた看板がぶら下がっている。
ぶるり、と身体ば震えた。武者震いと言えば聞こえはいいだろうけれど、正直に言ってビビっている。長年の病院生活が祟ったのか、コミュニケーション能力が低下しているのかもしれない。
そもそも、面接だとかの就職活動の経験も実は一度だってないのだ。今まで簡単に言っていた働くって言葉が段々実感を伴ってきて、胃にダメージを与えてくる。
「緋彩……マスク付けてても分かるくらい顔青いけど大丈夫……?」
「の、のーぷろぐれむ」
「ならいいけど……そんな怖いことしないからね?大丈夫だからね」
割と本気の声音で心配された。自分ではいまいちわからないが、今の僕はよほど酷い顔をしているらしい。
確かに、病気の痛みで一晩中眠れなかったのにその日の朝にきつめなリハビリのメニューが入っていた時みたいな精神状況だけれど、あっちのどうしようもない眠気や疲労感に比べて、こっちは腹を括ればそれで済むことだ。恐れるに足らない。
よくわからない方向に覚悟を決めつつ、入り口のホールを抜けて、エレベーターに乗り込む。鈴が6と書かれたボタンを押すとドアが閉まり、少しの浮遊感のあと、すぐにまた開いた。
鈴が先行して歩いていく。その背中にぴったりと隠れるようについて行っていると、ぴたっと一つの扉の前で足を止めた。それに合わせて、僕も足を止める。
「よし、この部屋だよ~……一瞬、逃げたのかと思った」
「人をなんだと思ってるんだ……」
とっとと入ってしまえというやけくそみたいな心情で、鈴の背中をぺちぺち叩く。それは無事しっかりと伝わったようで、はいはーいと返事しながら扉を開いた。
「みんなおはよ~~」
「社長!待ってましたよバイト志望の子って!?!?」
ぎぃっとわずかに錆び付いたような摩擦音がなり、鈴が挨拶をしながら入ると、速攻で活力を感じさせる女性の声が飛び返ってきた。それに驚いて、身体を竦める。
ちらっと鈴の脇から正面を確認してみると、髪をボブカットに整えスーツを身にまとった、如何にも会社員と言った様相の女性が見えた。すると不意に、しょこっと出していた頭に鈴の手が乗っかる。
「はいはい、怯えちゃうからがっつかない。ほら、この子」
「顔ちっっっさ!ええ、こんな可愛い子どこで引っ掛けてきたんですか!?」
「路上。LINEでも言ったけど、ちょっと訳ありでね。今はうちで預かってるの」
「ひ、緋彩って言います……今日はその、よろしくお願いします」
情けないことに少し噛んでしまったが、なんとか挨拶は済ませることができて、一息つく。取り敢えずは話を聞いていようと、鈴の陰から身体を出したら、部屋の中には他にも二人の女性がいることに気づいた。
一人は、長めの髪を後ろで一つに纏めている眼鏡の女性。もう一人は、ショートカットに作業着なのだろうか、つなぎ服のようなものを身に着けた褐色肌の女性。二人ともパソコンが置かれたデスクの前に座り、視線だけをこちらに向けていた。
「へえ、アルバイト志望の子とか言ってたけど、本当に子供じゃん。あ、よろしくね」
まず、眼鏡の女性の人が僕と目を合わせると、そう言って挨拶しつつ手を振った。続いて、褐色の女性も口を開く。
「茶くらいしか出せないけど、歓迎するよ。で、なにさせんの社長」
「緋彩がなにできるかまだ分からないから、暫くは仕事効率を上げるための可愛いペット役。まー見学ってことでお茶汲みでも……あ、そこの茶色いのが渚で、眼鏡が千早。そんでこの元気なのが真帆」
いきなり次々と名前を出されて、慌てて一人一人脳内にその響きを焼き付ける。渚さん、千早さん、真帆さん、と順番に心の中で復唱すると、返事した。
「渚さん、千早さん、真帆さん、突然になりますけど、よろしくお願いします」
「めっちゃ可愛い!うちは緩くやってるから、あんまり硬くならなくて大丈夫だよ!よろしくね!」
渚さんが満面の笑みでそういうと、ほかの皆もうんうんと頷いた。
路上で拾ってきたペット、緋彩。




