遭遇
ぼけ~っと、リビングのソファーに寝転がって、部屋の天井を眺めていた。
というのも実は、やることが全くない。でも実情は無職なわけで、何かをしなければという、じりじりとした焦りだけが心の中で燻っていた。
さきほど、僕と離れたくないと泣き喚く鈴にお弁当を渡して玄関から蹴り出したわけだけど、やっぱりこの部屋は一人用にしては冷たすぎる。
それに、いつもなら暇な時間くらいスマホで無限につぶせるのだけれど、あいにくとあれは実家に置いてきてしまった。指紋認証で開ける自信がないし、何よりあれからは位置情報が出るわけだし。
確か鈴の部屋には、幾つか小説とか漫画だとかの類が本棚に収まっていたけれど……軽くタイトルを見た感じ、なんだかいかがわしい空気の物だったので手に取りずらかった。
となると時間をつぶせるものは何一つとしてないわけで、僕が天井の模様を観察していたのは、この現状をどうにかする方法を思案していたというのもある。
暫くそのままぼぅっとしていたけれど、このまま暇人を体現していたところでニートに進化する不名誉しかない。取り敢えず、上半身は起こした。むくり。
せっかく出社する前に鈴に梳いて貰った髪が、寝そべったせいで崩れているのに気づいてゲンナリしたけど、それはもう諦める。というか迂闊に寝転ばない癖をとっととつけよう。
そう心に決めると、ぱぱっと寝る前とは違う服装に着替えた。顔も洗って、準備は万端。というわけで僕は玄関に向かうと、靴を履いた。
「散歩するか……」
どのみちニートっぽいかもしれない。
今僕が立っている場所は、全く人気のないゴーストシティのような場所だった。といっても迷い込んだわけではなく、一応意図的に目指してきた。
コンクリートと建物群で覆われているのには変わりないが、そこには活気というものが決定的に欠けていた。どこの壁も古びていて、同じ昼でもほかの場所よりかなり暗く感じる。
こういう空気がくぐもった場所特有の湿ったような、そんな匂いがそこらじゅうから漂って来ていた。
───今、人類が暮らしている『都市』という空間は、外界から隔離された空間だ。
外界と言うのは、この『都市』を覆う巨大な円形の結界……『都市結界』に覆われた空間の外全てのこと。そこは人ではなく異分子の生活圏で、都市周辺は定期的に異分子殲滅隊に間引かれているとはいえ、危険な場所だ。
しかも結界も絶対の障壁ではなく、たまに入り込んでくる異分子が居る。とはいっても普通直ぐに異分子殲滅隊によって駆除されるし、その時に輝く赤いランプも、基本的には慣れた光景だ。
まあそれでも、結界の端であれば端であるほど、侵入してきた怪物とエンカウントすることも多くなる。だから都市の中心は発展していて、外側は寂びれている。のだけれど……。
「意外と、結界際にあるんだなぁ……」
僕は一時間も歩く前に、都市結界の境までたどり着くことが出来てしまった。鈴は自分をお金持ちだと自称していたので、もっと安全な場所に住居を構えていると思っていた。
徒歩十数分とかでもない限り実害が出るような距離でもないのだけれど、少なくとも、女性が一人暮らししていいような距離でもない気がする。人の心配ばかりしておきながら、結構自分の心配はおざなりにしているのだろうか。
「……最悪、僕が居れば大丈夫だと思うけど」
記憶によれば、異分子の中でも吸血鬼と言うのはかなりの怪物として知られている存在だ。仮に鈴が異分子に襲われそうだとして、僕がこっそりカタを付ければいい。
そう思考をくくると、意識を結界の方へ向ける。隔離用の鉄柵越しに、僅かに曇ったガラスのような、巨大な壁が見えた。そこを境にして、文明的な建造物は殆ど途絶えている。
多分、もう僕はあれを通過できないんだろうなって思った。そもそも生前にも、通過する機会はなかったのだけれど。別の都市に移動するのは、病魔に侵された僕には無理な話だった。
まあそういう話をするのであれば、そもそもこんな風に歩き回ることすらできなかったのだから、その面では実は良いことの方が多いのだけれど。
「やあ、お嬢さん。こんなところでどうしたんだい?」
突然、すぐ横からそう声を掛けられる。ひうっと喉の奥から変な声が出て、思わず声の場所から後ずさりした。そこで、声の主が視界に入る。
そこに居たのは青年……いや、女性かもしれないし、男性かもしれない。紳士然としているが、少し高めの声からしても、かなり中性的だった。
遠方の出身なのだろうか。めったに見ない銀嶺のような髪を肩ほどで切り揃え、肌までも真っ白の、儚い雰囲気を纏っている人だった。
上級階層のような服装はこの人気のない結界際で、異彩を放っていた。それに、気が抜けていたとはいえ、この無音の場所で接近に気付けなかったのも不気味だ。まるで、そこに今さっき生まれ落ちたようだった。
またナンパかと一瞬思ったけど、僕だって学習する。今回はフードをかぶり、マスクまでしていて、容姿は一切分からないはずなのだ。だからこそ目の前の人物が不気味でならなかった。
「いやいや、そんなに怖がられるとこちらも傷付いてしまうよ。胡散臭いのは重々承知だけどね」
「……誰ですか、あなた」
流暢に喋り出した銀髪に、できるだけ低い声で、敵意むき出しにそう言う。しかし余裕そうな表情は全く崩れることは無く、むしろこちらのことを嘲笑ってるようにも見えた。
「そうだなぁ、まあ私のことを呼びたければ、『白銀』とでも。そしてそんな威嚇する猫のような風貌をしなくても、もう目的は果たしたから去るよ。ではね」
一方的にそう言い切ると、貴族のような一礼の後、本当に無防備に背を向けた。そして堂々とした立ち振る舞いのまま、建物の陰へ、まるで最初からそこに居なったかのように消えていった。
しん、とまた一切の人気を感じない静謐が返ってくる。最初は不安を掻き立ててきたそれが、あの不気味な人物が遠ざかったという証明で、今では安心の種だった。
「なんだったんだよ……」
心の底からのセリフがあふれ出る。足音すらも建物の先から聞こえてこなくなり、白昼夢でも見た気分だ。でも取り敢えず敵意はなさそうだったので、深く考えるだけ無駄かもしれない。
変な人はどこにでもいると自分を無理矢理納得させると、僕は帰路に着いた。
今回は説明回寄りかな?少しずつ僕の世界をみんなに知って欲しい。




