朝食
待たせたなぁ
ふわふわと意識が浮かんでいる。こんなにしっかり寝付けたのはいつぶりだろうか。少なくとも、記憶に全く覚えがないくらいには、久しぶりのことだった。
じわじわと全身の感覚が戻ってきて、ベットと枕の柔らかさに、自分が睡眠から目覚めたんだなと気付く。それと同時に、近くに温かいものがあるのに気づいた。
そっと目を開ける。部屋は照明が落ちていて、しかも深夜か早朝なのか、かなり暗かった。じっと目を凝らすと、夜目が働いて、じんわりと暗闇が晴れていった。
予想通りというか、案の定というか、目の前には鈴の寝顔があった。寝る直前にしていた会話は覚えていたので、驚きはない。ただ、ちゃんとそこにいてくれることに安心感があった。
ふと、勝手に随分と高性能になった嗅覚が、すぐそこから甘い匂いを運んでくる。誰のものかは明白で、なんだか悪い気がした僕はそそくさとベットから降りる。
人一人分出来た布団の空間を、ぽんぽんと叩いて整えた。微かに喉を鳴らすような声が聞こえて、起こしてしまったかと顔を上げると、鈴が少し寝返りをしたのがわかった。そしてすぐに、また規則的な寝息が聞こえ始める。
その姿になんだかいたずら心が湧いてくるけど、流石に起こしたら悪いと思って、ぐっと抑える。ほっぺた触りたいとか思ってないし。
暴れ狂っている髪のことはあまり考えないことにして、一回時計に目を向ける。針はかなりの早朝、人によっては深夜とも取れるくらいの時間だった。
シャワーを浴びていた時が確か夕方から夜に差し掛かったくらいだったから、大爆睡と言うべきだろう。鈴はまだ寝てるから、あれから普通に就寝する時間まで起きていたのだろうか。
そんなことを考えながら、鈴の部屋を出る。扉のすぐ横にある照明のスイッチを入れると、すぐにリビングは光で包まれた。
改めて、部屋全体を一瞥する。物が少ないせいもあってか、人がいないとかなり冷たい雰囲気に感じた。鈴さんは、ずっとこんな場所で一人暮らしをしていたのだろうか。
それは少し、悲しいことだなと思った。人を勝手に哀れんだりするのは個人的に好きじゃないけど、なんというか、この思いは簡単に押し流せる感情でもいてくれなかった。
何かしよう、と足を動かす。別に見返りを求めようとか、感謝されようとか、そんな考えは欠片もなかったけど。ただなんとなく、手持ち無沙汰なので。
取り敢えず今できることは何だろうと考えて、そういえば今日は平日だと思い当たった。つまり鈴は多分、今日お仕事なわけで。
僕は暫く思案した後、冷蔵庫を開いた。
ガチャ、とドアが開いた音がした。この家には二人しか居ないわけだから、振り返らずとも誰が起きてきたのかは分かる。一応手元で作業しているので、振り返らずに声をかけた。
「おはよう、鈴」
「ふぁ、おはよ~……いい匂いしてるけど、どうしたの?」
「ん、朝飯」
丁度完成したところだったので、お皿をテーブルに運ぶ。コトッと料理を並べてみせると、鈴は眠気が抜けきってない目でぼうっとそれを眺めた。
「……え、緋彩って料理出来るの?手作り?私のも?」
「なんで出来ない前提なのさ。鈴の分もそりゃあるよ。冷蔵庫の中身勝手に使ったけど大丈夫?」
「それは大丈夫だけど……そっか。ありがとね」
順番に答えると、不意打ちでそう言われた。そのせいで危うくコーヒーを入れようと運んでいたコップを取り落とすところだったけど、気合で指に引っ掛ける。
ちらっと鈴の方を見てみると微笑まれた。何もなさげに応答していたけど、それが照れ隠しとかに似たものだと見透かされてたみたいで、余計恥ずかしい。
もう意地以外のなにものでもないけど、冷静を気取って話しかけた。
「今日、お仕事?」
「そうだよ~。あ、だから朝ご飯作ってくれたの?」
「……まあ、そんなところ」
やっぱり一瞬で考えていたことを見透かされていた。結構僕って顔に出ているのかなと思い、鈴に見えない角度で頬を抓ってみたりする。痛い。
「鈴もコーヒーでいい?」
「うん。あ、でもブラックは無理だから砂糖とミルクマシマシで」
ラーメン店みたいな注文はさておき、コーヒーを二杯入れて、片方にだけ砂糖とミルクを入れた。どれくらい入れるのかいまいちわからなかったから、控えめに。
両手に一つづつ持って、鈴の対面に腰を下ろした。少し白い方を鈴の前において、自分は黒いコーヒーに口を付ける。そうしてお互い一息ついた。
「そういえば緋彩、起きてから髪梳いてないでしょ?」
「あ、めんどくさいから後回しにしてた……」
「まーその長さだと寝起きは特に大変そうね」
いや本当に自分でもそう思う。こうなってからまだ一日程度しか経ってないのに、既に嫌になってきているし。でもこの長さにこだわる理由は全く無いから、毛先に触れつつ、ポツリとこう言った。
「うん。短くしようかなぁ」
ガタリ、と正面からそれなりに大きい音が鳴った。何事かと朝食から視界を上げてみると、鈴が目を丸くしてこっちを見ていた。音は多分、立ち上がろうとしてテーブルを蹴ったのだと思う。
「あの……?」
「ダメ!!!それは絶対ダメ!!!勿体ないとかそんなレベルじゃないから!!!」
あまりの剣幕に軽く引いた。髪を切るって話をしただけで、流石に大げさすぎると思う。でも鈴にとってはそうではないようで、続けてこう言われた。
「手入れが面倒なら私が全部やってあげるから、絶対切らないで!」
「いや、まあ、そこまで言うなら」
必死な声に押されて、思わずそう答える。すると鈴は九死に一生を得たとか、そんなレベルのリアクションで胸を撫でおろしていた。意味が分からない。
僕が頭上にクエッションマークを浮かべている間にも、鈴は上機嫌そうに朝食に口を付け始めた。僕も取り敢えず、目の前の朝食を片付けることにする。
「また緋彩用にブラシ買ってあげる!あ、美味しい」
「そんなレベルなんだ……ありがと」
終始困惑しっぱなしの僕を置いてけぼりにして、鈴はとても嬉しそうにしていた。まあでも、なんだかんだ笑顔ならいいかなと思う。
意外とツンデレなんかもね




