出立
「聞いたわよ、貴方達。大変だったみたいね」
「あ、ただいま!お母様」
帰宅してすぐ、玄関で迎えてくれたのはお母様とヴィーラだった。時折私の姉とも勘違いされる程老いを感じさせない顔に手を当て、憂いの目を私に向ける。
「『追憶』を使ったのね。少しこっちに来てくれるかしら?」
手招きされた私は頷いて、お母様のすぐ傍まで近づく。お母様は私と視線の高さを合わせると、目を細めて私の瞳の奥を丹念に覗き込んだ。
「……うん、変なモノは混ざってない。上手に出来たみたいね」
「お母様から教わってるんだもの。これくらいは簡単に出来ないと」
頭を撫でられながら胸を張る私の横で、持ち帰った荷物や上着をヴィーラに預けていたお父様が、お母様の隣に並んで私の顔を覗き込む。
「改めて、苦労をかけさせてしまって済まなかったね。『追憶』も、本当なら僕ではなくて、お母様の許可を得るべきだったんだけれど……」
「緊急時だったのでしょう?それに、私も貴方の判断を信じているわ。だからあまり気負い過ぎないようにね」
その時、もう荷物や衣服を片付け終えたのか、再びヴィーラが玄関に顔を出す。
「夕食の準備を進めていますが、いつ頃にいたしましょうか?」
「ああ、なら一時間後にしよう。それくらいあれば、取り敢えず一息付けそうだしね」
「かしこまりました」
去り際に、ヴィーラが心配そうな顔を私に向けて居たから、指で小さく丸を作って笑みを見せておく。幾らか安心してくれていればいいけれど、と思いながらその背中を見送った。
「じゃあまずは、一番の厄介事から終わらせてしまおう。あまり我が家の姫様だけに抱えさせておくような記憶じゃないだろうから」
お父様がお母様に目配せをする。帰ってきた肯定を示す頷きを見てから、お父様は懐から取り出した小さな刃物で指をほんの少し傷付けると、両方の手のひらを、差し出すようにして私の目の前に持ってきた。
「彼の中で見たものを、そのまま送ってくれて大丈夫だよ。僕は慣れているからね」
「今回は私が隣にいるから、安心して」
お母様が私の両肩に手を置く。いつも練習をしている時と同じ形式での『追憶』だから、不安は感じない。
「よし、やるわね、お父様」
「うん、いつでもいいよ」
目を瞑って、彼の中で見たものを脳裏に浮かべる。そうして頭から指先にまで導線のような感覚を伸ばすと、お父様の傷口に触れた。
夕食に湯浴みも済ませて、寝間着を身に着けた私は、倦怠感に身を任せるようにして、ベットにぼふんと全身で飛び込んだ。するとすぐ後ろから「まあ」という声が聞こえてくる。
「はしたないですよ、お姫様」
「だって、お父様もお母様も、あの後からずっと様子がおかしいもの。それなのに私にはなんにも言ってくれないし……」
「だからってそのようにに振舞うのですか?」
言い返す言葉がない口から、不機嫌を表す唸り声が漏れた。するとヴィーラは困ったように笑って、私のすぐ隣にぽすんと音を立てて座った。
「姫様のことをあそこまで大事に思っておられる旦那様が、『追憶』を使うことを許可なされた。姫様は充分に頼りにされていると思いますよ」
「それは、分かるわ。けれどね、ちょっとでも頼りになると思ってくれているなら、ほんの少しでも仲間外れにされたくないと思うのは、変かしら……」
「気持ちは分かります。自身の理想に僅かにでも指が掛かった瞬間こそ、一番焦りや悔しさを感じやすいものですから」
「……ヴィーラにも、そんな時があったの?」
「ええ、勿論です。使用人見習いだった頃に、数えきれないほど」
ふと、毛布から顔を上げる。ヴィーラはどこか遠くを見るような目で微笑んでいた。
「背伸びをするほど、転んでしまう危険も高まる。それをよく知っておいでだからこそ、ご両親も姫様への態度を大きく変えることがないのだと思います」
「お父様もお母様も、私に、堅実に成長して欲しいと思っているのね」
「ええ。そしてそれがきっと、お姫様の理想や夢にとって一番の近道なんですよ」
ヴィーラの話を聞いて思い出したのは、お母様から『力』を継承するときに聞いた言葉。 「大きい『力』ほど、慎重に振るわなければいけない」 と。
「そう、よね。ならちゃんと早く寝て、明日こそは寝坊しないようにしないとね」
「お姫様は本当にご立派ですね。大丈夫、きっと明日は自力で起きられますよ」
「そ、そういうことはわざわざ言わなくていいの……!」
私が頬を膨らませて抗議して、ヴィーラがふふっといつもの笑みを浮かべる。その時、ピクリとヴィーラが耳を揺らした。
「おや、こんな時間に……」
遅れて私も、部屋に近づいてくる足音に気付く。耳を澄ましてみると、二人分の足音が聞いて取れる。お父様とお母様なのは間違いないだろうけれど、こんな遅くに部屋を訪ねてくるのは久しぶりのことだった。
ヴィーラがすっと自然な動きでドアの脇に控える。私もベットの縁で身体を起こすと、こんこんとノックが鳴った。
「やあ、ヴィーラ。我が家のお姫様は起きているかな」
「まだ起きていらっしゃいますよ」
「お父様。それにお母様も。どうしたの?」
部屋に訪れたお父様は、もうとっくに外が真っ暗なのにも関わらず外出用の装いのままだった。傍のお母様の顔色が少し暗く見えるのもあって、不安が胸にせまる。
「今日の件について、何となくだけれど、あまり時間がないような気がしてね。今すぐにでも調査を始めることになったんだ。少なくとも今夜から明日くらいまでは家を空けることになりそうだから、それを伝えに来た」
「そんな!こんな時間からは危ないわ、お父様」
「警備隊のみんなに付いて貰うから、その心配はないよ。とはいえ、また君を不安にさせてしまうね」
私は思わず立ち上がって駆け出すと、お父様の胸の中に飛び込んだ。ぎゅっと腕に力を籠めると、お父様のぬくもりが伝わってくる。
「お父様、私、悔しい。こういう時に、自分も付いて行くって胸を張って言えないのが」
「……そうか。僕の娘は本当に賢くて優しい子だね。けど僕は、その賢さと優しさが、君自身を傷付けることにならないかと心配でならないんだよ」
「私もよ、お父様。お父様のそういう格好いい所がたまに裏目に出てしまうんじゃないかって、怖いの」
お父様の手が、私を慰めるように優しく背中をぽんぽんと叩いた。するとお母様も、お父様を後ろからぎゅっと抱擁する。
「貴方のそういうところに何度も助けられてきた身としては、今回のことにもダメとは言えない。けれど、貴方の無事が何よりも大切な人達がここで帰りを待っていることを、忘れないでね」
「ああ、勿論、安全第一で行ってくるよ。だから君たちも、安心して待っていて欲しい」
最後にぎゅっと強く抱きしめると、私は身体を放した。そしてお父様の顔を見上げると、出来るだけ元気そうな表情で言う。
「いってらっしゃい、お父様」
「無事で帰ってきて、貴方」
「うん、分かった。少し行ってくるよ。ヴィーラも、お姫様のことを頼んだよ」
「承知しました……どうか、ご無事で」
ヴィーラが深々と頭を下げると、お父様は頷いてから、私達に背を向けた。
そうして出かけて行ったお父様が帰ってこないまま、一週間が過ぎた。




