刀香
強い、と、相対する少女に対して素直な心の声が漏れる。
スピードは、義足の私と同程度。膂力だけで言うのであれば圧倒的に私が上だ。戦闘経験も、魔力操作も、私には到底敵わない。それらだけを実力というのであれば、刀香は弱いのだろう。
けれど、それ以上にこの少女は心が強かった。かたや切り結んでいる相手を殺す覚悟すらない私と、絶対に私を止めるという決意に満ちた、捨て身の覚悟の刀香。心の強さでは、私は彼女に到底敵わない。
しかし、『英雄の血』を凌駕することはできない。歩兵と戦車がそうであるように、存在の次元自体が違うのだ。心持ち一つで崩せるほど、この力の差は甘くない。
だから、私が一手早かった。刀香が視界不良に慣れる前に、私は決定的な一撃を繰り出すことが出来た。一瞬が何時間にも引き伸ばされたかのような感覚に陥り、ゆっくりと私の斬撃が刀香の脆弱な斬撃へと伸びていく。
そうして刀同士がぶつかるまでの、ほんの一瞬。そこで私は、まるで走馬灯のように……ずっと仕舞い込んでいた記憶を思い起こした。
そこは、かつての青崎家の屋敷の縁側だった。空には少し陰のかかった月が出ていて、空気も澄んだ綺麗な夜だったと思う。
時期は丁度、一次大規模襲撃が起きる数週間前だったろうか。あの頃の姉は、今思えば随分とやつれてきていた。異分子殲滅隊での業務もあり、それ以前と比べると姉との交流はかなり減ってしまっていた時期だ。
だからその夜は、姉としっかり二人の時間を取れた貴重な日だった。もしあの時姉の心に深入りしていれば、後の顛末も少しは変わったのだろうか。
姉は、今夜は空いているからと手土産に買ってきた饅頭を口に運んでいた。私の手にも同じものがあったが、時間が時間なので罪悪感で躊躇っていた。そんな私の姿を見て、姉はふふっと笑った。
「お前は、本当にこういうズルをするのが苦手だな。たまの夜中に饅頭を幾つか摘まむくらい、大したことではないだろうに」
「お言葉ですが姉様、ズルをするのが得意なことは美点ではありません。お父様に見つかってしまったらどうするんですか?」
「お小言を頂いて、それで終わりさ。何も悪いことなんてないだろう?」
「私にとっては、十分悪いことのように思えますが……」
いまだに手にした饅頭と睨み合いを続けている私の頭を、姉が優しく撫でた。もうそんなことをされるような年齢でもなかった筈だが、私も嫌がることはしなかった。
「ズルをするのが得意なことは美点ではない、か……確かにそうだ。だがな、利点でもない」
「ズルが得意な利点、ですか?」
「ああ。こうやってたまの休みに彩りを加えられるし、気が乗らないときにちょっとだけ心を休めたりすることが出来る。このちょっとの余裕が、大事な時もあると思うんだ。どうだ、そこまで悪くないだろう?」
「んー、ピンときません……」
「例えば私がお前の我儘を聞いたとして、ちょっとだけ何かをサボってお前と二人の時間を増やせたとする。それならどうだ?」
「それは良くないです。良くないですが……悪くないかも、しれません……あ、もしかして今日お仕事をサボったりしたんですか?」
「い、いいや。今のはあくまでたとえ話だとも、ああ」
姉の焦り方は嘘を付いている人そのものだったが、私は少し睨むだけでそれ以上は追及しなかった。そのおかげでこの時間を取れているのかと思えば、確かに悪くなかったから。それに、やろうと思えば気付かれずに嘘を付ける姉が、こういう風に私の前では緩く話してくれることも嬉しかった。
「───そうだな。もしお前が将来、副官を付けるとして、どんな奴がいい?」
「……突然ですね」
姉が、藪から棒にそんなことを口にした。隣にいる姉の顔へ目を向けると、姉は夜空に目を向けていて、どうやら遠くの月を眺めているようだった。
「私なら……能力は当然として、ただ命令だけを聞き、それだけを黙々と遂行できる者がいいですね。主人に噛みついてきそうな狂犬じみた輩なんて論外ですし、上官の命令に対して口うるさい者もありえません」
「なるほど、お前らしいな」
「部下とは、そうあるべきでしょう」
「そうだな。特に、異分子殲滅隊のような組織だと、そんな奴こそが優秀な部下だと言われているよ」
だがな、と姉は言葉を続けた。
「お前の副官は、忠誠心はあるが……口うるさくて、上官にも噛みついてくるような奴がいい。それこそ、狂犬じみた奴だ」
「……あの、真逆ではありませんか?」
「ああ、そうだな……おっと、あてつけにこんなことを言ったわけじゃないんだぞ」
私が投げつけた懐疑の瞳を、姉は睨みと受け取ったらしく、すぐに言葉を付け足した。
「お前は頑固で、ズルをするのが苦手だ。だから、副官はお前のやることにケチを付けられる奴が良い。お前は優秀だからこそ、お前がもし何かを間違えた時、周りは苦労するだろう?そういう時、率先して反対する奴が傍にいると、きっと止めてくれる」
「姉様がそういうなら、そうなのかもしれませんが……」
「珍しく不服そうだな?」
「姉様の意見も分かりますが、絶対に不便じゃないですか。それに私が間違ったとして、きっと姉様が最初に止めるでしょう?」
姉は、肯定も否定もしなかった。ただ優しく微笑んで、私を見た。
「納得できないなら、それはそれでいいんだ。ただ、心の隅にでも私の言葉を残しておいて欲しい。そういう選択肢もあるんだと、な」
なんだか上手く言いくるめられた気がして、ほんの少しの反骨心が湧く。そして返事の代わりに、ずっと持っていた饅頭を齧って見せた。
そうか、と目の前の少女───刀香を見た。
私が、彼女を自分の副官に選んだ理由。最初は、自分でもただの気まぐれかと思っていた。同情心と憐みがあり、優秀だったから。それだけだと思っていた。
けど、違う。ずっと心の片隅に残っていた姉の言葉を、私はしっかりと覚えていた。姉が残してくれていたモノは、『英雄の血』だけではなかった。
刀香。
姉が私に残してくれた───私の新しい、大切なモノ。
私はずっと、自分が孤独なのだと思っていた。しかし、それは違った。刀香の言う通り、私は、また何かを失うのが恐ろしくて仕方なかったんだ。だから、気付かないふりをしていた。新しく手に入れた大切なモノの数々を、全て嘘だと思い込んだ。
その嘘で、私はきっと多くの大切なモノを捨てて来たんだろう。大切なモノを失うのが怖いからと、大切なモノを沢山切り捨てて来た。そして、今も正にそうしようとしている。
身体はもう、止まらない。けれど後悔するにはまだ、遅くはない。
こんなにギリギリまで、こんなに大事なことに気付けなかった自分に苦笑する。そして───
全ての魔力強化が、一瞬にして解ける。
刃同士がぶつかって、本来勝つはずだった私の刀が紙のように切断された。
当然それだけで刀香の斬撃の威力が止まる筈も無く。
私の無防備な上体は、斜めに切り裂かれた。




