対峙
私が、実力で青崎所長に勝てないのは分かっていた。あの人が前線を退いてからかなりの年月が経つけれど、その実力が衰えているとは微塵も思えない。
それでも勝たなければいけないからと、会話の中に見出した勝機。私に立ちはだかられたことで生まれた、確かな動揺は、あの人がまだ使命以外の全てを捨てきれていないことの証だった。
「所長から貰ったモノが、優しさが、嘘だなんて───認めません!」
「だから、なんだ!」
ギィィィン!と、私の目の前でまた火花が瞬く。防戦一方の青崎所長に、防御をかなぐり捨てた私。対照的な戦闘態勢で、私達は切り結ぶ。
互角に戦いが進められているのは、所長が私を切れないからだけじゃない。所長の片足が義足というハンデは、日常生活では問題なくとも、戦闘時だと顕著に表れる。
「───ああ、認めるさ。不本意だが、認めるしかない。多少、情が移ったとな。だが、それでもだ。私だって、ここまで来て諦められるわけがない」
交差した刀身の向こうで、青崎所長の顔が苦し気に歪む。
「この程度で諦められるのなら、私は……!」
魔力が感情に呼応して、青崎所長の身体能力が強引に引き上がる。抑えきれない力の差を、こちらも強引に受け流す。しかし全てを流しきることは出来ず、吹き飛ばさながら一度後退することになった。
仕込んでおいた符を使い、空中で体勢を持ち直す。追撃を警戒した視界の先では、青崎所長が呻きながら片手で自分の顔を抑えているところだった。
「こんなバケモノに、ならなくてよかったのに……」
「青崎所長……」
けれどそんな姿もすぐに仕舞い込み、再び私に切っ先を向ける。私も呼吸を整えて、いつもより慎重に構えを取った。
「貴女の怒りも、悲しみも、捨て去るには大きすぎるのだと、私には分かります。ですが妄執は、きっとどこかで断ち切られなければならないんです」
「……いつからかお前は、あれだけ渇望していた復讐の想いを見せなくなったな」
「所長が、私の復讐心を否定したことはありませんでしたよね」
「私にも、お前が抱えていた感情がよく分かっていたからな。否定できるようなモノじゃないと思っていた」
「未だに、吸血鬼に対する憎しみを捨てたわけではありません」
「だが、今のお前は憎しみに憑りつかれているわけではないんだろう?緋彩とも、いつの間にか仲良くなっていたしな」
思えば、ここ最近の青崎所長は忙しくしていて、あまり話せる機会が無かった。まるですべてが起こってしまう前のように、私達は言葉を交わす。
「結局、緋彩とはそこまで多く話すことは無かったな。ああいうなよなよしたタイプは、お前は苦手だと思っていたが」
「少し話せば、あの子は精神性が幼いだけだと分かりましたから。もし妹が居れば、あんな感じだったのでしょうか」
「そうか。妹か……」
青崎所長の持つ刀の切っ先が、僅かに揺れる。その目は私を通じて、別の何かを見ているように思った。
「お前と私で違うところがあるとしたら、きっと、時間なんだろうな。私は、この感情に憑りつかれた時間があまりにも長すぎた」
「終わったことのように、話さないでください……」
「いや、終わったことさ。お前と私とでは、生きている時間が違うんだ」
青崎所長が、重々しい溜息を付く。
「『所長』としての時間が長引くたびに、過去の怒りが、悲しみが、薄れていったよ。それでも、忘れるわけにはいかない。私の姉様は、一番大切だった人は、もう過去にしかいない」
「……こうやって話せたとしても、青崎所長の想いは、変わらないままなんですね」
「ああ。一番恐れていることが、忘れてしまうことである限り……私には、激情を燃やし続けるための燃料が必要なんだ。だから、刀香───お前を切る」
誰よりも大きいのに、誰よりも不安定に揺らぐ魔力が、青崎所長を覆いつくしていく。
「迷いごと未来を断ち切り、私は過去に向かおう」
どうしてだろうか。青崎所長の意思を変えられないと分かった後でも、私の心は驚くほど凪いでいた。
この時の私の心中を正確に形容するのは、きっと難しいと思う。だから、青崎所長の想いに答えるように、私も、自分の想いを以て言葉にした。
「なら私は───貴女の過去を断ち切り、私達の未来を切り開いて見せます」
その言葉を合図に、私達は同時に踏み出す。
空気を震わせて、瞬きの間に彼我の距離はゼロになる。そして向かい合っていた時に取っていた距離の丁度中心点で、私達はぶつかり合った。
「私と同じ速度を出すか!だが、力は私が圧倒的に上だ!」
ぶつかり合った刀身を、青崎所長に力尽くでカチ上げられる。私の胴ががら空きになり、そこに、青崎所長が、必要最低限の動きで一閃を振り抜こうとしている動きが見えた。
私はその一切合切を無視して、跳ね上げられた身体の軸の勢いそのままに身体を捻じり、青崎所長の脇腹に向かって薙ぎ払うように蹴りを繰り出した。
「ぐっ!」
「っっっ!」
ゴッっという鈍い音と共に、私の蹴りが青崎所長の脇腹に抉りこまれる。それと同時に青崎所長の斬撃も私の胴へと滑り込み───僅かに皮膚に食い込んだところで止まった。
鮮血が空気を駆け、振り抜いた斬撃の軌跡を紅く染める。先ほどは越えられなかった筈の一線を、完全ではないとはいえ、青崎所長は一歩踏み越えた。
「つ、ぎだ!」
「っっぁぁああ!」
蹴りの衝撃で立ち位置を入れ替えるように、互いに身を翻して斬撃を放つ。縦同士でぶつかった斬撃は滑るように鍔に向かう。青崎所長の魔力強化を受けた刀は私の斬撃を鍔で受け止めたが、私の刀の鍔はそのまま断ち切られてしまう。
刃が目前に迫る。鋭い痛みが額から頬にまで走り、視界の左半分が紅色に染まった。それすらも意に介さず、動きの止まった青崎所長の利き手の甲を、強引に捻じ込んだ刃で切り裂く。
突然狭くなった視界に、頭がぐらつく。それでも必死に思考回路を魔力で回して、残った視界で次を見据える。
切羽詰まったような青崎所長の顔が見えた。それに対して想いを馳せる暇も無く、刃が翻り、次の斬撃が繰り出されようとする。しかし手を負傷したからか、その動きは私より僅かに遅い。
それに気付いた青崎所長が、攻撃の手を中断して守りに回る。再び刃と刃がぶつかり合い、青い魔力の奔流が爆発したかのように広がった。
不利な体勢で刀身を重ねた青崎所長の必死の形相と、視線をぶつけ合う。きっと私も同じ顔をしているだろう。瞳の奥で、互いの魔力が炎のように燃え上がる。
「お前さえ居なければ、私は迷わずに済んだのに!」
「貴女が居てくれたから、私は真っ直ぐでいられました!」
「だからもう、倒れろ!」
「だからもう、倒れて!」
声が重なり、拮抗した力は臨界点に達して弾けた。激しい火花と甲高い金属音が瞬き、あと一歩で相手に届くほどの距離まで後退する。
そうして互いに全力で踏み込み───私は片足を僅かに踏み外した。
「っっっ!」
先の攻防で潰された、半分の視界。それのせいで、致命的なタイミングで空間把握を取り損ねる。
迫る青崎所長の刃から、確かな殺意を感じた。世界が限界までスローに感じられ、私が振りかざした斬撃は、明らかに青崎所長の斬撃と撃ち合える威力を持っていない。
走馬灯が流れる。そうして互いの斬撃がぶつかり合い─────
ザンッと、切り裂かれる音が鳴った。




