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織田信長の行動記録  作者: 楠乃小玉
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武田信玄の運営論、織田信長の運営論

時代には流れがあり、

常に進行している。

現代において、日本の害悪、時代遅れ、日本からなくすべきもの。

とされているような概念も、

戦国時代の弱肉強食の陰惨な世界を終わらせるためには必要なものであり、

当時の人々がだれも信じようとしなかった、斬新な革新であった。


現代の価値観や偏見で、過去を見ると、現実に起こったことを歪めてしまう。

「人は石垣、人は城」という言葉があるとおり、武田信玄は有能な人材を集めることによって

国家を発展させることを目指しました。


これに対して織田信長は

「組織に貢献してくれるのは優秀な者よりも能力は並の上だが、忠実な者の方だ」

と言っています。

つまり、有能な人間よりも誠実で善良な人材を求めました。


これは、現代日本企業における突出した人間はいないが、平均以上の人間が沢山いる。

という社会構造そのものです。

これは現代では悪いことで、突出した有能な人間が数名いて、あとは無能でもいい、

という価値観がより優位的です。

また、日本の土建屋の談合体質。

話し合って仕事を分け合う体質。

これも織田信長が保護した座の精神を受け継いでいます。

切り取り勝手で実力主義だった世界に、みんなで少しずつ仕事をわけあって、

争いをしないという気風を導入したのが織田信長です。

このように、現代では時代遅れ、日本の組織の害悪、

こういう習慣を変えなければならない!

と言われているものの多くは織田信長によって導入されたものです。

それまでの日本は戦国時代でまさに実力主義の世界、弱肉強食の世界ですからね。

それに対して織田信長の目指した世界は、花王の麒麟が示すように平和な世界。

争いのない世界。

争って、競争して自分の有能さを示すよりも、みんなで仲良く、話し合って利益を分け合うという

構造を作り出したことが、当時としては画期的であり、斬新でした。

有能、革新というと、どうしても現代の価値観で素晴らしとされていることを

織田信長がしたと思われがちですが、

今の日本人にとっては、当たり前で、ありきたりで見慣れていて、

撃ち捨てるべきと思われているものこそ、織田信長が日本に残したシステムだったりします。


武田信玄が「有能な人間を集めることによって組織が強化する」

と考えていたのに対して、

織田信長は人材に対してよりドライな考え方をしていました。

つまり、自国の武士がヤル気があったり有能であるという

武将の内的要因よりも、

道路を作ったり、堤防を強化したりして、環境を整備すれば、

組織内部の人間が凡庸であっても、より大きな利益が得られるという考え方をしていました。

現代日本人が「ドキドキしない」「つまらない」「時代遅れ」と思って

否定する土建政治、談合、競争よりも協調性、などという考え方こそ、

当時の日本ではだれも顧みず、それを導入しようとした織田信長を「うつけ」と嘲笑し、

そして、それは、当時としては、だれもが顧みようとしなかった斬新なアイデアであったのです。

だって、戦国時代は究極の実力主義の世界であり、何か欲しいものがあれば、弱いものから

略奪してくればいいというのが当時の考え方だったからです。

だから、戦国大名も兵隊や武士に「乱取り」略奪を容認しました。

これに対して、信長は秩序を重視し、略奪を禁止し、京都で女性の傘の中を覗き込んで、

おちょくっただけの兵士でさえ切り殺しました。

俗にいう一銭切りという秩序を重視した世の中です。

弱い者から略奪できるだけの力をもったものでも、略奪ができない、

有能でも利益を手に入れられない。無能な同僚と平等に分け合う。

自分には才能が満ち溢れていると確信し、自分には家柄もなく、

組織もないのに織田信長が登用してくれたのは「自分には才能が充ち溢れているからだ」

と成り上がりものの明智光秀が思い込んでいたとしても無理からぬことです。

そして、実際、明智光秀は当時の常識に従って、寺社から所領を横領しまくりました。

そして、それは織田信長の激怒を生みました。

「なんで?みんなやってることじゃん」と明智光秀は思ったでしょう。

当時は実力主義の社会。社会的にも強い者は悪い事をしても「まああいつには実力があるから、有能だから」と容認される空気がありました。

悪という名前がカッコいいとされた時代です。悪左衛門とかいう名前は、むしろ

称賛の意味でつかわれました。

そういう時代に横領、略奪を禁じられ、利益は無能で、真面目だけが取り柄の社員とわけわけ。

戦国時代の気風にどっぷりつかった有能な武将たちにとっては屈辱的なことだったでしょう。

反対に、真面目だけど、実力いまいちの武将たちにとっては、

こんなありがたいことはありませんでした。


そうした、

ウソをつかないこと、誠実で善であること、見苦しい生き方をしない美学、

が武芸に秀でていること、強いことより尊いという「武士道」という価値観が

生まれてきたのです。

「武士道」という文化は織田信長の提唱した「武辺道」から生まれたものです。

それは、かつて朝倉宗滴が提唱した戦国時代の常識

「武将というものは犬と言われようと、畜生と言われようと、 勝つことこそが最も大事である」

という価値観を破壊し、真面目手あり、誠実であり、嘘をつかなければ、

武芸がほどほどであっても、栄達できる道を日本に作ったのです。

そして、人々は争いを捨て、和解に進んでいきます。

それが、織田信長の作った斬新さであり、戦国時代の常識を覆す革新だったのです。



武田信玄ら戦国時代の武将たちは「有能な人材」を求めた。

それは、組織をより優れたものにし、大きな利益を得るためには、

「個々の人材の内的才能と内的努力」によってなされると考えていたからだ。

よって、武士にとって最も尊ばれることは有能なことであった。


しかし、織田信長が人材に求めたのは「嘘をつかないこと、善良であること、自分の理想を持ち、生き方に美学をもっていること」

であった。

それが、後の「武士道」という考え方につながる。

織田信長はそれは部下に強要するのではなく、

道路を作って利便性を向上し、堤を作って民衆の安全を確保し、

民を裕福にすることによって、民にそうした精神を植え付けた。


つまり、それまで戦国大名が家臣の内的要因「窮地でも最後まで忠義を尽くして死ぬ」

「個人の努力で勉強して強くなる」など個人の精神と資質に頼って

人材を収集していたことに対して、


織田信長は土木工事によって家臣の生活環境を改善し、

外的要因によって家臣の精神を改善しようとした。

内的要因を信じず、ある程度まともな人間であれば、

外的要因を改善することによって人間の内面は変わると考えていた。

ある意味、戦国のロマンのないドライな考え方。

よって、戦国時代の一騎打ちなど顧みず、

鉄砲によって自動的に相手を殺すことに躊躇はなかった。


これは、平時の官僚の道徳であり、織田信長の支配下でこの考え方が広がることによって、

織田信長の統治する所領の中では、治安が安定化していった。

それこそ、織田信長が成し遂げた戦国時代の改革であり、斬新な革新であった。



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