◆5◆ ファーストクライシス
「びっくりしたー。お父さん呼びに来たら御影さんがいるんだもん」
「わ……私も……」
やっとの思いで出た言葉はそれだけだった。
何で? 何でこんなとこに氷堂さんがいるの?
いや、何でって、お父さんが経営している古本屋さんなのは分かった。それくらいは分かった。
分かったんだけど、何でこんな最悪のタイミングで出くわすのーっ!
あぁぁぁ……私の趣味がっ趣味がバレてしまう……!
一回綺麗に袋に入れてくれたのに、もう一度出してまじまじと見てるしっ!
絶対変態だと思われてる!
「はい、四百十円のお釣りね」
「あ……はい。どうも……」
「大丈夫、誰にも言わないよ? 」
私が途惑いと疑いの目を向けると、氷堂さんは一瞬下を向いて笑った。
そんなにおかしい? いや、おかしいよね。頭おかしい奴だと思われたよね。
「ち、違うの! これ、頼まれ物で……」
「へぇ? 御影さんが読むんじゃないの? 」
「いや、あのぅ……いとこのお兄ちゃんに頼まれて……」
「そうなの? 」
「そ、そうなの……」
今度は笑いをこらえきれないといった感じで、吹き出しながら下を向いた。
……バレてる? これ完全にバレてる感じだよね? いとこのお兄ちゃんがぁなんて、古典的な嘘の定番だよね。
変態だと思われたあげく、バレバレの嘘までついて、完全に引かれたよね……。
「いいよ、今更隠さなくたって。私、知ってたもん」
「な、何で? 」
「気付いてなかった? 私の視線」
「それは……気付いてたっていうか、本郷くんのこと見てるよねって言われた時に知ったっていうか……」
「あぁそうそう、だからさ、私気付いてたんだってば。こっちの気があるんだってこと」
氷堂さんは私のお宝を人差し指でつつきながら続けた。
「そんなに恥ずかしいこと? 同性愛もセクマイも、今時珍しいことじゃないと思うけど? 」
「ひょ、氷堂さんみたいに、美人だから何でも許されるキャラじゃないもん……」
「許す許さないとか分かんないけど、御影さんはかわいいと思うけどなぁ」
動揺で顔は熱いのに、手は緊張で冷たかったままだった。ついでに手汗も酷い。
氷堂さんはその手に一枚ずつお釣りを載せ、数えながら渡してきた。
そういう余裕な態度は、本物の美人さんだから様になる。
私なんか……。
「気を引きたいとかモテたいとか思ったことない人には分かんないよ! 私は氷堂さんみたいに顔もスタイルもよくないし、欠点だらけだし、変態だし……。そういうコンプレックス抱えてるけど、好きな男の子には好きになってもらいたいなとか思うんだもん! 」
「変態? 」
「へ、変態じゃないけど……! でも、こんな本買ってて変態だと思ったでしょ? 」
違うんだけど、変態なんかじゃないと思ってるけど、百合本は芸術作品だから、美しい物見て何が悪いのって思うけど……。
だけど偏見の目があるのは分かってる。だから言い出せないんじゃん。隠しちゃうんじゃん。
氷堂さんはきっとすぐに否定してくるんだと思ったけど、少し考えているような顔をしながらレジを閉めた。
「……ううん? 変態だなんて思ってないよ? 」
「嘘! 一瞬黙ってたじゃない! 」
「あー、ちょっとね。でも変態だなんて思ってないのは本当」
「でも、でも、おかしいとか変わってるとか、気持ち悪いとかは思ってるでしょ? 」
「だからさ、そんな偏見あったら、こんな風に接してないと思わない? 」
自分でもしつこいとは思ってるが、頭の中から吹き出てくる言葉を伝えるのに必死だった。どこかの外国人みたいに身振り手振りで、成り立ちもしないジェスチャーを繰り広げていた。
氷堂さんの言葉は呆れているようにも聞こえたが、私の耳をすり抜けて、心の中に問いかけられている気分にもなった。
「それは……まぁ……。じゃあ新種の珍獣だとかも思ってない? 」
「そんなに質問されるなら全部答えるけど、私の質問にも答えてもらうよ? 」
「いや……それはちょっと……。内容にもよる、かな? 」
「あらら? 他にも知られたくない秘密があるように聞こえるなぁ」
一瞬、他に何もないかと自問自答して「うん、ない! 」と、自分に言い聞かせる。
確認の間、多分三秒程は動きが止まっていたと思うけど、すぐに口は次の疑問を投げかけていた。
「で、でも、氷堂さんは色々気付いてたんでしょ? 私が本郷くんのこと好きだとか、その……下着のこととか……。見てたんでしょ? 知ってるんでしょ? 」
「……うん? 本郷くん? 」
垂れ目の上のおでこにハテナが見えた。
これだけ私のことを観察しておいて、今更しらばっくれるつもりなら、こっちだって問い詰めてやるー!
「言ってたじゃない、宇未ちゃんに嫉妬してるんでしょって」
「えっと、御影さんが好きなのって、本郷くんだったの? 」
「え? もしかして鎌掛けてただけで、気付いてなかったとか言わないよね? 」
「鎌掛けてないし、本郷くんのこと見てたのを知ってたのも事実だけど……。それって、本郷くんに真崎さんを取られた嫉妬じゃなかったんだね」
「嫉妬って言ったらそうなのかもしれないけど、どちらかというと……」
「御影さんは真崎さんのことが好きなんだと思ってた」
「は……? 」
「違うの? 」
時が止まる。あれだけじたばたしていた私の手振りも止まる。
傍から見たら、二人とも豆鉄砲を食らった顔だったと思う。
「ち、ち、違うよ! 宇未ちゃんは友達だもん! 」
「あー、ごめんごめん。勘違いだったみたいだね。てっきりこっち側だと思ってた」
またお宝を指でつんつんしながら「こっち」と私の視線を促す。
「こ、こっちって……何で? 」
「何ていうか、雰囲気的なものだから、これっていう確証はなかったんだけど……でも私のカンは外れてなかったみたい。結局こっちに興味があるんでしょ? 」
「違うってばぁ! 百合本集めは趣味っていうか、二次元が好きなの! 二次元だから美しいの! でも実際は男の子に意識されたいなーとか思って髪切ったり、女の子らしく振る舞ってみたり……。これでも努力してるんだからね! 」
「ふぅん……。御影さんはそのままでも充分魅力的なのになー。男の子にモテなきゃ意味がないの? 」
「小学生の時は女の子たちにキャッキャされてたこともあったけど、それって何か、自分が女の子である実感みたいなのが沸かなくて嫌だったんだもん。私は男の子じゃないもんって思って……」
「ふぅん……」
「な、何っ? さっきから意味深な言い方してるけど、私が嘘ついてるとでも思ってるの? 」
「まぁ嘘ではないんだろうけど、ちょっと腑に落ちないなぁって……」
カウンター越しの氷堂さんは、お釣りを握りしめる私の右手を勢いよく引き寄せた。あまりの一瞬の出来事にバランスを崩した私は、とっさに左手をカウンターに着き、なんとか体勢を整えようと必死だった。
「ちょ……っ! 氷堂さん? やめてよ! 何すんのっ? 」
「試したいなぁって……」
私の抵抗と問いかけにも応じようとせず、その顔に怪しげな微笑みを浮かべた氷堂さんが近付いて来る。
ち、近い! よくある壁ドンって押し付けられるやつだけど、引き寄せられて私から……みたいになってるこの状態、何て言うの? 何て言う体勢なの?
そうじゃなくて!
右手首は固定され、振りほどこうにも左手で支えなければこのままごっつんこになってしまう!
自分の体重を支えるのをなんとか保てているのに対し、片手が自由な氷堂さんが私の頬に触れてきた。
綺麗な肌、綺麗な目、綺麗なくちび……るっ?
どう考えてもこの状態、マンガだとこのままファーストキスになってしまう展開じゃないっ!
ダメダメダメ! 見惚れてる場合じゃない!
「ま、待って待って待って氷堂さん! 」
「菜々香って呼んでってば、こねこちゃんみたいな湖渡子ちゃん……」
頬に当てられた手が耳たぶをなぞり、首筋を這って行く……。そのしなやかさにぞくっとして鳥肌が立った。
その目も、手つきも、まるで美しい魔女が魅了の魔法をかけているかのようだった。
それが私のファーストクライシスだった。




