第六十二話 少し先の未来×あるべき場所
これは少し未来の話である。
無事に譲位した元【善良帝】――今や、ただのリュードリックの一家はセイディーノと言う、小さな港町の領主となっていた。
潮風が軽やかに吹き抜ける、見晴らしの良い丘の上に小ぢんまりとした館があって、彼とママエナと幼い娘達、後は護衛数名と召使い数人だけがそこに暮らしていた。
今までの皇帝としての生活に比べるまでも無い質素な日々だったが、「一々毒味をしなくて良いなんて何て幸せなんだろう」「暗殺に怯えずに眠れるなんて何年ぶりか」と夫婦は抱き合って安堵していた。
その夕食のメニューは豪華だった。
料理好きのママエナが、リュードリックが今朝早くに釣ってきた大きな魚を見事に料理したのだった。
魚の切り身に甘辛い秘伝のタレをかけて焼いた自慢の一品、魚の身をすりおろして中に詰め、こんがりと焼いたパイ、魚の骨から取ったスープには根菜がひしめいていて、クツクツと湯気を立てている。
さっと茹でた魚の身をスライスして、家庭菜園で収穫したばかりの野菜の上に贅沢に散りばめた上にスパイスを少し加えたドレッシングを振りかけた。
山羊のミルクを温めて少し砂糖を入れた飲み物は薄く膜を張っているし、デザートはセイディーノで買ってきた乳製品に甘いジャムをかけたものだ。
「とうしゃまー!かあしゃまー!おなかすいたの!」
「ええ、みんな揃ったらごちそうさまをしましょうね」
ママエナが下の娘が食べやすいように小さな匙を握らせ、エプロンをかけた所で、リュードリックが上の娘の車椅子を押してやって来た。
「さあ、ベリサ。ご飯にしよう」
「……うん」
和やかな食事の時に、上の娘はぽつりと呟いた。
「ごめんね……」
「どうしたの、ベリサ?」
「わたし、いちども『おとうさん』ってよばなかった……だれよりもきずつけたんだ」
ママエナが一瞬だけ悲しそうな顔をする。
「親は、大体いつも損な生き物だ。でも、損であるから幸せなんだよ」
リュードリックがベリサの頭を撫でてやると、彼女はぽろぽろと泣いた。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね……」
「おねえちゃん、はやくたべようよ!」
下の娘が我慢できなくなって言う。
「かあしゃまのごはん、つめたくなっちゃう!」
「……うん、そうだね。そうだった」
――もしも。
もう、『仮定』の話になってしまったが――異母兄があのような乱行をせず、生まれてすぐに母親に魔の森に棄てられず、【乱詛帝】に利用されなければ、この子は――。
ほろ苦い思いを抱きつつも、リュードリックは彼女の前の皿にうんと大きな切り身とたっぷりのサラダを取り分けてやったのだった。
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「殿下を害し申し上げてでも安全な場所にお連れすべきだった!」
【太極殿】の天井に空いた大穴を見上げて【礼範】は男泣きに泣いて嘆くし、【賢梟】に至っては、居たたまれなさそうな皇太子を弁論で徹底的に詰めている。
「殿下の御身に危険が及ぶ事を我らが甘んじて看過するとお思いか!」
「いや……その。あれは、私が空けた穴だ」
「では!この様な危険があるとご存じで、何故我らをお供させて下さなかったのかのをご説明を!」
皇太子は面倒そうに身を引くが、その分を【賢梟】が詰め寄ってくるのだ。
「それは、色々とあってだな……大体、【閃翔】が呼ばれてもいないのに来たのだから、まあ、見逃せ」
【閃翔】は顔を険しくした。
「【太極殿】にこの通り大穴が空いた故、すわ御身の一大事と思ったのです」
「しかしだ、私の命令に背いたのだから、」
とうとう悲壮な顔をした【賢梟】が狂犬のように言葉尻に食らいつく。
「命令違反をさせた殿下がお悪うございます!」
「あ、あのですねー」
そこに怖々と顔を出したのは【睡虎】であった。
「お取り込み中に本当に恐縮なんですがー、ホーロロ国境地帯からー、そのー……」
助かった!とばかりの皇太子は身を乗り出した。
「待っていたのだ!それで勝ったのか、負けたのか?」
「勿論ですよー、将軍はマーロウスントの『公国もどき』の二十一万の軍勢相手に五万の軍勢でバッチリ勝ったそうですー。で、戦後処理についてのご相談があるそうなんですー」
「うむ、すぐに対応しよう」
逃げたのですかと不満げな目つきで見上げてくる臣下をなだめつつ、ヴァンドリックはそそくさと立ち去ったのだった。
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オレ達の周りで変わった事と言えば、アルドリックが【帝国第一学院】からいなくなってとても平和になった事だ。
でも、相変わらず特待生達は律儀にテオの介助をしてくれる。
「そこまで僕に義理立てする必要も、何より利が一つも無いぞ」
ってテオが言っても、
「いえ。殿下が僕達の献身に依存なさらない限り、どうかやらせて下さい」
彼らは笑って答えるのだった。
「お人好しが過ぎるぞ……」
「平民を庇って足蹴にされる程ではありませんから」
「……言うな。流石に不敬だ」
そんなやり取りをしつつ、今日もテオと彼らは講義室で講師がやって来るのを待っている。
「でも、本当に嬉しかったんです。そのお人好しの御方に、僕達は一番助けて欲しい時に助けて頂けたのですから」
「まあ……貴方もだったのね……」
ユルルアちゃんが微笑んだ。
特待生も恥ずかしそうに微笑んで、
「ですので、もうしばらくだけ」
「……勝手にしたまえ」
ええ、と彼らが頷いた時、丁度講師がやって来たのだった。
【神の血】事件が解決したことで、ゲイブンも【よろず屋アウルガ】に戻り、これで一旦は世の中が落ち着いたに見えた――。
しかし、オレ達の知らない所で、既に次の事件は幕を開けていたのだった。
――1st Chapter END




