第十一話 ゲイブン人生初の恋×残酷で無慈悲な現実
ゲイブンは、【よろず屋アウルガ】で寝起きしている。
諸事情があって身寄りが無く、独り立ち出来るまでロウの世話になっているのだった。
何やかんやあって昼間に時間の余裕が出来たので、働き者のゲイブンはロウに聞いてみた。
「ロウさーん、かくかくしかじかって訳で。おいら『シャドウの兄貴』が勉強している昼間のやる事が無くなっちゃったんですけれど、楽に稼げるお仕事とかありませんかねー?」
馬鹿か、とロウは呆れた様子で言う。
「そんな仕事があったら、俺がもうやっている」
「ええー!?ロウさんは楽なお仕事をするって言うより、稼いだお金を全部持って【大遊郭】か【乾坤一擲】に楽しく遊びに行くのがお仕事なんですぜ!」
馬鹿を言うな、とゲイブンをしこたま小突いてから、ふと、ロウは考え込む。
「……待てよ。そう言えば、マダムが……」
「ロウさーん?」
不思議そうな顔をするゲイブンの方をロウは向いて、
「ゲイブン、実は【大遊郭】の楼主の一人が下働きを探しているんだ」
「えっ!?おいらはロウさんと違ってだらしなーい女好きじゃないんですぜ!」
「喧しいぞゲイブン!」
ロウは徹底的にゲイブンを小突いて黙らせた。
「……下働きと言っても掃除や食事作り、娼婦の身の回りの世話が主だ。下心で娼婦にちょっかいを出そうものなら容赦なく【番人】達にしばき倒されるぞ。それでも良ければ紹介してやるが」
ゲイブンは涙目になって、しばし小突かれた所を撫でていたが――。
「おいらに出来るか分からないけれど、一度お試しに行きたいですぜ!」
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【大遊郭】の中には大小様々な娼館がひしめき合っている。
絶対的な不文律が幾つか存在しているが、中でも「固有魔法を持たない未成年に手を出したら私刑のち死刑」と言うのは代表的なものだった。
本来ならば子供のゲイブンは入り口で【番人】に追い返される所だったが、顔の広いロウが事情を説明して、初めて【大遊郭】の中に足を踏み入れたのだった。
ぱちくり……。
ぱちくり……。
ゲイブンは中に広がる毒々しい世界に円らな目を何度も瞬かせる。
「ろ、ロウさーん……」
純朴な彼は――怯えが大部分、好奇心がほんの僅かに含まれた声を出し、ロウの背後に隠れながらあちこちを見やった。
脂ぎった顔の男と手を組んで恋人のように歩いている、露出度の高い格好の女。
何処からともなく怪しい旋律の音楽が流れてくる。
軒下でお酌をしながら戯れている、複数の女と一人の大金持ちらしき身なりの男。
――ぎゃっ!ヘンタイですぜ!
ゲイブンは内心で小さな悲鳴を上げた。
その大金持ちらしき男が女の乳を堂々と触ったからである。
かと思えば、娼館の入り口で手足を絡みつかせながら何度も接吻をしている男女がいる。
咄嗟に顔を背けた先の小窓から見えるのは――着替えている最中の女達!
ついに耐えきれなくなって、ゲイブンは顔を真っ赤にして下を向いてしまった。
彼の生まれ育った田舎の農村は、家畜を――特に優秀な軍馬を育てては生計を立てていた。
小さな頃からその世話をしていたから、彼も『繁殖』について知識はそれなりにある。
けれども、ここまで情欲と愛欲が露骨に絡み合ったモノを目の当たりにした事は無かった。
「ロウさーん……ロウさーん……!」
心細くなってロウの名前を何度か呼ぶと、
「まあ、最初は誰だって怖いものさ」
「お、おいら、とっても帰りたくなってきたんですぜ……」
「そうか。ここは色欲で燃える火炎地獄の中だ、抜け出すなら早い方が良い。帰るか?」
へい、と頭を縦に何度も振ったゲイブンの時が止まった。
「あら、ロウさんじゃない!」
一人の若い娼婦がロウに近付いてきたのだ。
「フェーアか。この時間に娼館の外に出てくるなんて珍しいな」
ロウとは旧知の仲らしい。
気安い態度で、彼女は軽く溜息をついた。
「マダムのお使いよ。急な病気で下男が辞めてしまったのは知っているでしょ?長年働いてくれていたお爺ちゃんだったの。その代わりが務まる下働きが、中々見つからなくて……ロウさんの方でも、まだ見つからないのかしら?」
それを聞いて、ロウは酷く申し訳無さそうに、
「ああ、それなんだが――」
「はい!」
ゲイブンはロウの背中から勢いよく飛び出て、手を上げた。
「おいら!おいらですぜ!ゲイブンって言うんですぜ!」
「ゲイブン?」
面食らったロウを放っておいて、ゲイブンは目をキラキラさせながら言った。
「やっぱりおいら、ここで下働きしますぜ!」
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――数日後。
ロウの行きつけの高級娼館【至福と奈落】の楼主マダム・カルカは、金細工の施された煙管を加えてゆっくりと一服すると、気だるそうに目の前のロウに話しかけた。
「おい、よろず屋のロウ。何てヤツを紹介してくれたんだい……」
「ゲイブンが不始末でもやらかしたのか、マダム!?」
ロウは驚愕する。
ゲイブンは確かに世間知らずな所はあるが、不始末をしでかすような少年では無かったからだ。
ゆるやかに紫煙をくゆらせながら、マダム・カルカは首を横に振った。
「逆だよ、とても良く働く。常に朗らかで無邪気で、なのに細かい気遣いも出来てね。ウチの子達からも大好評さ。『ブンちゃんブンちゃん、子犬が尻尾をブンブン振っているみたいに可愛いからブンちゃん』ってね……」
ロウはどうにも嫌な予感がした。
そう。
ゲイブンには、世間知らずな所がある。
かつて暮らしていた田舎の村では、真っ当な家族や親戚、村人達に正しく可愛がられて――伸びやかに育っているからだ。
「で、だ。……どうもフェーアに惚れ込んでいるらしいんだよ」
「――馬鹿小僧ッ!」
それきりロウはしばらく絶句した。
ただの平民の小僧が高級娼婦に惚れ込むなんて、それこそ地獄へ真っ逆さまと同義だからだ。
一呼吸すると、杖を握りながら彼は椅子を立った。
「すぐに連れ帰る。二度とここには来させない。マダム、本当に済まない事をした」
「そうしてくれ。フェーアに二度と残酷な夢を見させる訳にゃいかない。叶う夢なら見たって良いけれど、あの子の夢だけは絶対に叶いやしないんだ……」
その時足音が駈けてきて、娼婦の一人が青ざめた顔を覗かせる。
「マダム!『フェーアを出せ』ってアイツらが!また裏口に!」
「……すぐに行くよ」
マダムが煙管を置いて立ち上がった時、ロウは言った。
「女だけだと舐められる可能性がある。俺も顔を出すよ、マダム」




