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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
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まやかしの戦

 ここまで来ると、流石に富士山がでかい。

いつみても富士山は綺麗だな。五合めで食べた富士山カレーが懐かしい…ああ、カレーが食べたくなってきた…。

「左兵衛さま」

「なんだい、春庵さん」

「皆様お揃いでございます」

俺たちは阿野荘の根古屋という所にいる。

春庵さんは色んな所にセーフハウスの様な物を持っている。表向きは廻船問屋だったり桶屋だったり様々だ。当然屋号も桔梗屋ではなく、手代の名前を使ったりしているそうだ。

自分の手代たちが諸国を回る時に使うそうだが、土地の領主に届出もされているし、実際に人を置いて商売もしているから、誰にも怪しまれない。

春庵さん自身は此処に来るのは初めてらしい。

今此処に居るのは俺と春庵さん、植村八郎、大草善四郎、木下藤吉郎、あと春庵さんの手代の東屋清兵衛。


 「殿、そろそろ何をするのかお教えくだされ」

八郎が口火を切った。

春庵さんを除けば、序列順でいけば八郎が一番上になる。当然最初に口を開かなければならない。

年はまだ若いが最近はガキ大将という面持ちから、いっぱしの武将の様な風格を漂わせてきている。

うん、いいぞいいぞ。

善四郎は少し不安げに、藤吉郎は目を輝かせながらも神妙、といった不思議な佇まいだ。

「まやかしの戦をする、それだけだ」

「…そのまやかしの中身を訊いているのでござりまする」

「八郎どの、まやかしの戦でござりまするぞ。まやかしはまやかし、中身などござらんのでは」

藤吉郎が茶々をいれる。

「中身は無くともやり方はあろうが新参者。俺はそれを訊いて居るのだ」

「ああ、成程」

「成程などと、上から物を申すな新参」

「それがしは木下藤吉郎にござりまする、新参という名ではござりませぬ」

「ぐぬぬ、言わせておけば…殿、早ようお教えくだされ」

…武将の様な風格、というのは取り消そう…。

「八郎、先ずは銭の戦だ」

「銭…。銭とは金の事にござりまするか」

「そうだよ。伊豆で米を買い占めるんだ」

伊豆は国の大半が山で耕地面積が狭い。だからもともと米は高いんだが、それを更に高値で買う。


 北条の領地は、その成立基盤が脆弱だったために年貢を下げる必要があった。

伊豆はもともと堀越公方が統治していた。堀越公方は室町将軍の親戚筋だから、伊豆の人々もある一定の尊敬の念を持ってその統治に服していた。

それを伊勢新九郎が取ったのだ。

今川家の武将としての行動ではない。初期こそ今川家から兵力を借りているが、伊豆から相模へと領国が増えるにつれて今川家と伊勢家、いわゆる北条家は国境策定で揉め続けてきている。揉めていると言うことは今川家の風下には立たないと言うことだ。

となると今川家を後ろ楯と頼むことは出来ない。堀越公方という一定の権威を追い出し、そうではなかったにせよ無位無官の地下人と言われた人が統治をするのだから、百姓の徴散を防ぎつつ伊豆の人心を急速に掴むには何かを犠牲にするしかなかった。

税金だ。

伊勢新九郎を盛り立ててくれれば本領安堵は勿論の事、年貢もお安くしますよ、という訳だ。

恐ろしく安い。大抵の国は五公五民か、四公六民だが、北条領は高いときで三公七民、今は二公八民。十の取高のうち、二割しか納めなくていいのだ。百姓達は潤っている。

米を売る余裕はあるが、もともと物成りは悪いので売り惜しみが発生する。自然と米は高値で取引される。

買った商人は儲けを出す為に更に高く売るのだが、伊豆の米は他国では売れない。

他国は伊豆より安く流通しているので買い手がつかないのだ。

と言うことは、伊豆における自国米の流通はないに等しい。

米を買う必要のある人は他国米を買うからだ。

百姓達も安く売ればいいのだが、売り惜しみの心理が働く上に物々交換で事足りる為、銭というものへの執着が薄いのだ。


 「されど、銭を使わなくてもよいのなら、百姓たちも売らぬのではござりませぬか。余った米とは云え、持って居っても損はせぬ」

いい質問だ善四郎くん。

「そうだな。では物の見方を変えてみるか。北条の年貢はどれだけだ」

「二公八民と先ほど殿が」

「そうだ。その取り分で北条家は潤うと思うか。武具は揃えねばならんし、兵糧も貯めねばならんのだぞ」

「あ」

「だから北条家は伊豆の余った米を買い上げている。触れを出して安値でな。百姓たちも、安値で買われても文句はないんだ。商人たちが買わないからな」

「何故商人は買わぬので」

質問した善四郎も、他の二人もきょとんとしている。

本当に分からないようだ。

藤吉郎くんは分かると思ったけどなあ。

「百姓たちは商人には従わないからだ。米の値段は百姓たちの言い値に近いものになる。当然高値で買わされる訳だ。高いとなれば、商人達だって買わないだろう」

「確かにそうでござる」

藤吉郎が深く頷いている…分かってきたかな。

「お触れで安値であっても百姓たちは困らぬ。商人が買わない米が銭になるのでござりますからな」

「そうだ。百姓たちも銭が無くても困らないとは云え、有って困る事もないだろ。年貢は安い上に余ったものは買い上げる。北条さまは、いやはや名君でござる、となるわけだ」

「されど、金持ちとは云えぬ北条家は、米を買い上げる事で益々の貧しくなるのでは…あ痛っ」

善四郎がまだ分からぬといった風だ。小突くんじゃない、八郎。

「買い上げた米の大半は他国に売るんだよ善四郎。甲斐とか京とかにな。安値で買いたたいた米を駿河とか尾張とかと同じ値で売って儲けてるんだ。最近は駿東も静かだから、大半売っても兵糧は貯まる。相模の米も余った分は同じように売ってるんだ。よく出来た仕組みだろ。俺たちがその仕組みに横槍を入れるんだ」

「それでまやかしの戦にござりまするか…それで春庵どのを…。いやはや何とも」


 三人とも腕を組んで唸っている。三人は春庵さんが着いてきたのが不思議だったらしい。

藤吉郎が口を開く。

「この策は春庵どのが」

「いえ、左兵衛さまの策にございます。商人であるわたくしからも文句のつけようが…あ、一点ございます」

「何でござりまするか。何処にも文句のつけようが無いと思われるが」

春庵さんが俺の方を向く。

言いたい事は分かります、はい。

「薄々分かってはございますが…米の買い付けの金策は」

「神様仏様春庵様、出世払いで」

「宜しゅうございますよ、されど先に教えて下されても…。否となったらどうするおつもりだったのか、やれやれ」

「先に教えたら春庵さんが考えたと思われるだろ、こいつらに。無い知恵搾って考えたんだ、俺にだって見栄はある」

「否となっていたら、見栄もへったくれもございませんよ」

う…。何も言い返せない。

そこの三人ため息はやめろ!清兵衛も笑いを堪えるんじゃない!

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