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戦国異聞  作者: 椎根津彦
飛翔の章
63/116

意地

 犬山に使いしていた吉兵衛が戻って来た。

溜まりには織田勘十郎、平手五郎右衛門、毛利吉兵衛の他は誰もいない。

「兄者は何と言うておった」

「はっ。勘十郎さまにおかれましては、急ぎ末森の信光さまの陣へ行け、との事でござりまする。大殿、信時さまのお二人が百騎程連れて、すでに末森に向かっておられまする」

「百騎。…監物、危のうはないか」

「何か存念あっての事でござりましょう。吉兵衛から又聞きなさるより、言われた通り急がれた方がよいかと」

「うむ。では、あとは頼む」

勘十郎は小走りで溜りから出て行った。


 吉兵衛は、勘十郎が完全に居なくなった事を確認すると、ホッと息を吐いた。

「勘十郎さまは如何でござりまするか」

「おう。近頃は本では無く、もっぱら兵法と調練ばかりよ。大分逞しくなられたわ」

信長と和解した勘十郎は、これからは兄の役に立つ人物にならねば、と厳しく自らを鍛えていた。

末森に居た頃は全て柴田権六や佐久間大学にに任せきりであったから、自ら鑓をふるい兵を指揮するなど稀なことであったのだ。


 兄のようにやってみよう。

城を出て町人、地下人、足軽小者と交わり、生の声を聞く事にやっきになった。

礼儀を身に付け、学問を修め、高所から断じても、実を知らねば話になるまい。

そう気付いたのである。

元々の素養は充分にある。末森に居た頃の勘十郎とは別人になりつつあった。


 「確かに別人の様でござりまする。で、若、大殿は兵を引かせよとの事にござりまするぞ」

「ふむ。されど兵を引いては残るのは大殿の連れる百騎のみになるが…まあ、何か考えあっての事であろう」

「どうなさるので」

「命には従わねばならぬ、当たり前じゃ。信広さまに使いを出せ。信光さまの方は…大殿自ら言うであろう」









 中嶋屋敷に戻って来た。…使者って大変だな。二度とやらんぞ。

今川義元に会うとか、何の死亡フラグだよ。

「おお、お戻りなされたか、先ほど駿府から使者が参って、出陣差し許す旨と、岡崎譜代で政務をみよ、と…駿府館に何を言うたのじゃ」

鳥居忠吉が破顔して俺を出迎えてくれた。

「いや、代官もこれからやりづらかろうし、岡崎衆で気張りまする、と申したまでで…って、もう使者が来たのでござるか」


 即答は出来ないとか言いながら、決定が早いねえ。俺が竹千代と会っている間に雪斎禅師と話し合いでもしたのだろうが、もう通知しているとは…。

松平家にとって、三河の政治の決定権が岡崎衆に移ったのはいい事だ。代官はお飾り、とまではいかなくとも決裁だけを行う存在になる。

安全保障税たる今川家への軍役はこれまで通り、年貢についても今川家への上納分はこれまで通り。

元々の状況が悪い。これ以上にはならない。

だけど、これでよかったのか、とも思う。三河の自治権を勝ち得たとしても、竹千代を人質にされている以上、状況は変わらない。

ああ、堂々巡りだ。

~尾張統一戦の間、今川に手を出させない為に三河を混乱させる~

元々これが最初の目的だったのだ。これで充分時間は稼げただろう。今川としても三河を見極めるのに再び時間をかけなきゃいけないだろうし、しばらくは尾張にちょっかいを出す暇は無くなるはずだ。


「…でござるが、聞いておるか」

「え、ああ」

考えることで頭が一杯で何も聞いてなかった。

「疲れておるな、今日はもう休まれよ」

鳥居忠吉だけでなく、中嶋清延も心配そうに俺を見ている。

「いや、大丈夫でござる。春庵さん、例の件は」

「信正どのが戻っておりまする。乾どのと八郎どの、般若介どの、内蔵助どのは本証寺に」

春庵はすでに出発の支度を済ませていた。蜂屋般若介、佐々内蔵助も本証寺で準備万端らしい。


 「よし。では鳥居どの、中嶋どの。これでお別れでござる。お世話になり申した」

鳥居忠吉と中嶋清延はびっくりした様に俺の顔を覗き込む。

「もう行きなさるので」

「尾張に戻るのか」

「はい。元々ここまでやるつもりは無かったのでござる。前にも言うた通り、本家に従わぬ松平の分家、一向一揆の力を借り、西三河を乱すだけが目的でござったゆえ」

「ほほう」

鳥居忠吉が目を細めた。

「我等の大殿は竹千代さまに悪い気持ちは持って居りませぬ。今川はともかく、竹千代さまが継がれる松平家とは戦おうとは思うておられぬ筈でござる」

俺がそう言うと鳥居忠吉は目を丸くした。

まあそうだろうな。今までずっと戦っていたのだから。

「お主はそれを信長どのに訊いたのか」

「訊いてはおりませぬ。ただ、知って居るのでござりまする」

「…ふむ」

「敵同士ではあるが、敵ではござらぬ。であるが故、ここまでやり申した」

「判った。では次会う時は敵同士でござるな」

「まあ、そういう塩梅で」

鳥居忠吉はぽんぽん、と俺の肩を叩いてくれた。何だか、嬉しかった。








 到着した信長を、織田信光は自ら出迎えた。

「やあ大殿。注文通りのんびりやって居るが、これでよいのか」

「ようござる。が叔父御、このままで良い訳でもない」

「左様」

「叔父御、陣を退いてくれぬか」

ワシでは力不足とでもいうのか、とでも言いたそうに信光は信長を軽く睨んだ。その視線の意味を察したのか、信長が笑いながら口を開く。

「いや叔父御、そうではない」

「では何故」


 信長は大きく息を吐いた。

「佐渡めは降らぬ。意地よ。彼奴は勘十郎に継がせとうて叛いた。が、勘十郎は動かなかった。あげく行く当てもも無くなり犬山信清の下に付いた。一人相撲よ。こう思ったであろうな、我は何をしたかったのだろうか、と」

信光は黙って聞いている。

「弾正忠の家を想えばこその謀反じゃ。優れた者が継がねば家は滅びる。彼奴にしてみれば跡継ぎは俺でも良かったのかも知れん。されど、彼奴の目には勘十郎のほうが優れて見えた」

「それは」

それは、という信光の声を手で制して信長は続ける。

「勘十郎が俺に劣るとは思わん。が、死んだ親父が跡継ぎを間違えるとも思えん。いきなり死んだが、耄碌はしておらなんだからな。されど死ぬ間際まで勘十郎を可愛がって居ったし、あの様子なら勘十郎が跡継ぎでもおかしゅうは無かった」

「…確かに兄者は勘十郎どのを可愛がって居った。されど跡継ぎには若、つまり大殿が選ばれた」

先代信秀の事を思い出したのか、信光が懐かしそうな目をした。


 信長も一瞬だが遠い目をした。

「叔父御」

「なんじゃ」

「これから俺はオトナであろうと一族であろうと、遠慮せん事に決めた」

「なんじゃい、藪から棒に」

「何事も腹を据えてかかる」

当たり前の事ではないかと信光は思ったが、信長の真意を測りかねたので、そうか、とだけ短く返事をした。

「うむ。間もなく日暮れじゃ、このまま夜を待つ。では叔父御、陣払いの支度を」







 辺りはすっかり暗い。末森城の中も要所要所には煌々と明かりが灯してあるが、その他はすごく暗い。

林佐渡が、今井修理亮の盃に酒を注いでいる。

「殿自らこれは忝う。ところで、外に動きがござりまする。清洲勢は陣払いをする様で」

「その様じゃな」

「であれば、明日には城を出られまする」

城を出られる、という修理亮の言葉に、林佐渡の盃を運ぶ手が止まる。

「城は出ぬ」


 今度は修理亮の手が止まる番だった。

「何故でござりまするか」

止めた手を再び動かし盃を一気にあおると、林佐渡は、ふう、と一息ついた。

「出てどうする」

「出て、出て…あ」

修理亮は間の抜けた顔をした。考えてみると、城を出ても彼等には行く所が無い。

次期当主に、と望みをかけた織田勘十郎は動かず、とりあえず主と頼んだ犬山信清は既に討たれた。

この城に籠もった時は一千、犬山信清の敗残を入れて千二百。

千二百というが、今はもう八百ほどしか居ないだろう。前田利久を討ち取ったものの、その後は散々だった。大手、搦手を破られなかったのが不思議なくらいだった。


 林佐渡の手は止まらない。大徳利はすっかり空である。

「頼る者ももう居らぬ。囲みを解いてくれるなら、各々で逃げる、いや降るがよかろう。三郎様も降る者には悪いようにはせぬであろう」

「…殿はどうなさるおつもりか」

判っている、判っていたが修理亮は訊かずにはいられなかった。

「弾正忠家にはもう戻れぬ。伊勢守家についたとて、それがしを理由に三郎様は上四郡に攻め入るであろう。そうなるのが判っておる故、伊勢守家もそれがしを容れはすまい」

そう言って寂しく笑う林佐渡を見て、修理亮は泣いた。

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