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戦国異聞  作者: 椎根津彦
抱卵の章
112/116

鳴海落城

 「新どの、もうどうにもなりません。敵の数が多すぎます」

「されどお蓉、このままでは岡崎勢が鳴海の湊に入ってしまうぞ」

「仕方ありません、これくらいは鳴海の殿が何とかなさるでしょう、一旦退きます」





 中洲曲輪側の今川勢の攻撃は止んでいた。同じ様に上陸した岡崎勢も今は静かになっていた。

「町家百姓に手は出さぬ故、城を明け渡せだと」

「使いの鳥居彦右衛門という者はそう申して居りまする。我等を退かせる為の罠ではありませぬか」

駆け込んで来た岩室八朗兵衛が息を切らせながら、軍使として鳥居彦右衛門が来ている、という事態を知らせて来た。罠は罠だが、逃れられる様な物じゃない。


 城の後ろを取られた、という事態は、鳴海城兵の心を揺さぶるのに効果抜群だった。しかも夜中だ。オトナ達も流石に表には出さないものの胆が冷えてるだろう。俺だってビックリしている、今にも吐きそうだ。

朝比奈勢は、鳴海に上陸した岡崎勢と示し合わせたかの様に攻撃をかけてきた。しかも攻め手を変えてきた。虎口ではなく川岸曲輪の上流側に総懸かりで寄せてきたんだ。水野党から出撃の催促があったが、準備して夜襲をかけて来た相手に取り付いても、効果はない。月明かりがあるとは云え、夜間の銃撃は難しい。水野党を射つ恐れがある。水野藤四郎も覚悟の上で催促してきたんだろうが、無駄死にさせる訳にはいかない。


 「…町家百姓に限らず、退く我等に手を出さぬと云うのなら、城を明け渡すと使者に伝えよ」

「と、殿、よろしいのでござりまするか」

「良いも悪いもない。既に川岸曲輪は破られた。水野党も無駄死させる訳にはいかない、それに我等の兵達は水野党を除けば鳴海の者達ばかりなんだぞ。村や町家が焼かれたら、士気は保てない」

岡崎勢の上陸した船着場、要するに城の西側は兵達の長屋や町家が建ち並んでいる。総構があるだけで、それ以外は何の防御施設もない。既に岡崎勢は総構の内側にいるから、それも意味をなさない。

東側はチート級の堅さ、西は住宅街で防御力ゼロ。城の西大手曲輪も、兵達の収容率を上げる為に広くしただけの空地の様な状態のままだった。今は使者が居るので岡崎勢も朝比奈勢も攻撃を停止しているが、攻撃が再開された場合、落城は目に見えていた。

「…はっ、使者にそう伝えまする」

「信正、使者に一刻待たれよ、とも伝えてくれ」

「はっ」




 「敵が逃れるままにさせるとは、ご連枝どのも甘うござりまするな。父上、勢いは我等にありまする、このまま攻め続けた方がよいのではござりませぬか」

「そのご連枝どのが策を講じねば、こうも簡単に鳴海城は落ちなかったであろう。言葉を慎め左京亮」

息子を窘めた朝比奈太郎は、松平元信からの使者、石川助十郎に向き直って深々と頭を下げた。

「ご連枝どのに伝えよ。ご助勢忝のう存ずると。朝比奈太郎、この通りじゃ」

「ははっ、お言葉必ず伝えまする」

「しかして、ご連枝どのは城に入られた後はどうするつもりなのじゃ」

「我が主は城には入らず、このまま常滑に戻ると申されておりました。それがしは危急と思うて常滑を飛び出した所存、城攻めの将は朝比奈どの、一緒に城に入るなど畏れ多いと」

「それはならぬ、左京亮に云うた通りご連枝どのの助勢無くば城は落ちなかったのじゃ。確かに城攻めは儂じゃが、ご連枝どのは今川一門として城の受け取りに立ち会うてはくれぬだろうか」

「…はっ、ではこれより立ちもどってその旨、主に伝えまする」





 「鳴海が落ちた、とな」

笠寺を進発した織田信広率いる三千五百は、田楽狭間で行軍の足を止め、鳴海城を出た佐々内蔵助の報告を受けていた。

「はっ。岡崎勢が上陸した西大手側は守り難き縄張。その岡崎勢と呼応し東大手の朝比奈勢が川岸曲輪を落とすに至り、岡崎勢から使者が参りましてござりまする。城を明け渡せば町家百姓には手を出さぬ、と…」

「ふむ」

「我が主はそれに加え、退き口にて我が方に手を出さぬなら城を明け渡す、と。今頃寄手と城の受け渡しの真っ最中でござりまする。我等には、先に行んで水野党と共に信広様に合力せよと…」

「あ奴、まさか腹でも切る気ではあるまいな」

「死んで詫びるより生きて務めを果たせと常々申されて居りまする、まさかその様な事は」

「ならばよいがのう…ヌシ等は勘十郎に与力せよ。水野どのにはワシの所じゃと伝えよ。夜も明ける。我等はこのまま鳴海に相対す故、朝餉を済ませた後合力せよ」

「はっ」




 夜が明けた。内蔵助達はちゃんと合流しただろうか。戻ったら怒られるかなあ…。

まさか岡崎勢が海を渡って中入り仕掛けてくるなんて思わねえよ普通…。

俺みたいな小者の軍勢ならともかく、二千も渡海させるなんて師崎水軍も中々やるじゃねえか。しかし、元信は中入りが成功すると思ってやったんだろうか……あ。大草善四郎だな、あいつから鳴海城の縄張を聞き出したに違いない。城普請は東側で手一杯だったからな。西は尾張側だから堅く守る必要はないし、そもそも西側まで普請する金も余裕もなかった…。

岡崎勢があのまま西側から攻めて来てたら、多分死んでたな…。しかしだ、撤兵させるのに俺が残らなきゃいけないとして、オトナ達が誰一人として退きたがらないのは何故なんだ!信広に合流させるって言っても指揮官は必要なんだよ?般若介も小平太も突っ込んで死ぬとか言うし、皆主は左兵衛さまのみでござるとか言って死ぬ気満々だし…。元々城が落とされるのは計画の内って言ってんのに全く…。水野藤四郎なんかめちゃくちゃ青い顔してたしなあ…まあ、奴の場合は俺の部下ではない上に死んだら本当のただ働き、骨折り損だから、気持ちはわかるけど…。

夜が明けて四日目か。

せめて予定通り保たせたかった…日数以外は予定通りの落城。死ぬ気なんて更々ないけど、俺はどうなるんだろう…。


 「殿、そう気落ち召さるな。生きて居れば如何とでもなる、と常々仰られているではござりませぬか」

黙れ藤吉郎。

「そうでござる。今川勢に囲まれて酒盛りなど、中々出来る物ではありませぬぞ」

黙れ般若介。

「…引き渡す品目でござりまする。お目通しを」

…これは黙れと云うわけにはいかないか。

「…信正。兵糧はともかく、金蔵がほぼ空の様だが」

「城普請の費用、人足の賃金、内蔵助どのに持たせた手金庫に預けた分、差し引くとこうなりましてござりまする」

「本当にウチは貧乏だねえ…」

「家の維持には金がかかるものでござりますれば」


 俺達はオトナ曲輪に待機させられ、というか軟禁されている。

城を引き渡すに当たって、俺と共に残ったのは蜂屋般若介、平井信正、木下藤吉郎の三人だ。般若介は腕が立つし護衛役、藤吉郎は機転が利く。信正は鳴海の家計を一切任せていたからその後処理。

中々そうはならないけど、戦争中と言っても平和裡に事が進むのであれば、それに越した事はない。岡崎勢がこちらの要求を呑んでくれた以上、筋は通さなければならない。





 「面を上げられよ」

上座に座る松平元信が口を開く。向かって右脇に侍るのは朝比奈太郎だった。元信はともかく、朝比奈太郎には顔を見せづらい…。

「そ、そなたは…ご連枝どの、これは」

朝比奈太郎の疑念の声に取り合わず、元信は言葉を続ける。

「勝敗は兵家の常と申しまする。大人しゅう降って下さって、此方としても有り難き事にござる。して大和どの、この後は如何なされるおつもりか」

「…はっ、言い難き事ながら、城を退散した後は織田勢に合力したく存じまする。許されましょうや」

「ふむ…朝比奈どの、どうかのう」

「…城から退いてもらうのが約定でござりますれば、それを果たして貰うた上はご存分に…と」

「ふむ…ときに大和どの、今川家に草鞋を脱ぐ気はござらぬか」

「は…」

「朝比奈どの、お疑いの通り、鳥居の一門と偽って館様に目通りしたのがこの大和左兵衛どのじゃ」

「やはりそうでござるか。あまりにも瓜二つ故、ちと驚きましてござる。ご連枝どのは知って居られたのか」

「後から彦右衛門に聞きました。あの頃はそれがしも人質だった故、胸にしまって居ったと」

「それは分かりまするが…不審でござるな」

「小国の常と思われませ。立場を変えてご覧なされませ、それがしを質に取られた三河のオトナ達が何をどう考えるか」

「ふむ…」

「織田方の大和どのも居られる故、この際はっきり申しておきまするが、それがしは織田に付く気は毛頭ござらぬ。今川一門としての責は果たす所存」

「ほう」

「しかしながら、織田の為とは云え三河の為を思うて動いて居った大和どのを殺すには忍びない」

元信の言を聞いた朝比奈太郎は大きく息を吐く。

「…分かり申した。では大和どの、それがしの存念を申し上げる…ここでそなたの首を取るのが今川家の為とそれがしは思うて居る。が、ご連枝どのはそなたに借りを返したい様じゃ。故にここはご連枝どのに従い申すが、もし今川家に降るというなら、雪斎どのにお伝えしようと思うが如何に」


 進退極まるとはこの事かい…。今川に投降…。雪斎はもうじき死ぬだろう。武田は今川と織田と同盟中。桶狭間は起きるか起きないかわからない。この先一体どうなるんだよ…。

「今川に降るとなれば、それがしの組下共はどうなりましょうや」

「無論、皆召し抱え申すが」

「それがしは元々織田の譜代ではござらぬ故どうとでもなりまするが、組下共はそうではござりませぬ、四半刻ほど暇を頂けると有難いのでござるが…」

「ふむ、さもあろう。では一旦下がられよ」



 「今川に降ったとあっては末代までの恥にござるっ。降る位ならば首をはねられた方がマシ、父祖重代の譜代として、承服致しかねまする」

「まあ落ち着け般若介。俺だけ降ってもいいんだ、お前達は戻ってもいいんだ」

「殿は織田を見限るのでござるか。それも承服致しかねまするな」

「それがしも元は今川侍でござる故、どの面下げて戻ったか…と元の主に叱られまする、叱られるだけで済めばよいが」

藤吉郎も…まあこうなるよな。

「分かった分かった。今川には降らんよ」

「まことで」

「おう、まことだ。俺が降ったら、織田の内情は筒抜けだ。大殿に限らずお前達も死なせたくないし、五郎…いや、監物どのにも大恩があるしな。皆いつでも出立出来る様に支度しておいてくれ」

「して今後の見通しは」

「そう焦るな藤吉郎、道中で考えてみるよ。まあ四日…五日は稼いだ。目論見通り六日とはならなかったが、何とかなるだろうさ」


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[一言] とんでもねえ、待ってましたとも!
[一言] 待ってました!
[一言] 更新、ありがとうございます。
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