鳴海城の戦(後)
「ようやった、藤吉郎」
「有り難きお言葉でござる。されど土橋を切れなんだのは残念でござった」
「そこまでしてしもうては今川勢に悪いわい、わはは」
川岸曲輪と中洲曲輪の間にある土橋を突き崩せなくて残念がっている藤吉郎を、小平太が笑いながら慰めた。
「この後は」
「そうさな、作兵衛どのと内蔵助どのに合力せねば。我等の隊はどれ程残って居るかの」
「五十人程でござる」
「…よう五十人も生き残ったもんじゃ。我等も早う虎口の奥に引っこまねば、此処も今川勢で埋め付くされるぞ」
「…この仕掛けはまことに役に立つのでござりましょうか」
「内枡と云うそうじゃ。儂等もこの様な縄張は初めて見るのよ…城の作事と縄張は全て殿自らやって居った故、大丈夫じゃろうて。まあ、その殿も城の縄張は不得手と云うて居ったが…」
「…はあ」
「はあではない、早う戻るぞ」
まだ矢倉門がくすぶっている中洲曲輪には、続々と今川勢が集まっていた。頷く朝比奈紀伊守を見て、安倍大蔵が声を張る。
「これより本番ぞ。よいかっ」
オオっと喚声が上がる。
「では参るぞ、掛かれっ」
十人ほどが杉の一本丸太に取り付く。これで大手門を突き破る算段である。丸太組の周りを、矢盾を抱えた足軽達が取り囲む。
「此処まで大手に近付けば、鉄砲は向けられまい」
安倍大蔵が見るところ、川岸曲輪の狭間は全て正面の扇川と中洲曲輪を射つ様になっており、大手門側には鉄砲を向ける事が出来ない様だった。
「織部、行くか」
「おうとも。よし、突けっ」
丸太組が駆け出した。
どおん、どおんと五度程突くと門の閂が壊れる音がする。
「それ突けっ」
観音開きの大手門が勢いよく開く。
「掛かれ、掛かれっ」
「父上、先手が大手門を破った様にござりまする。兵を流れ込ませれば我等の勝ちじゃ」
「よしっ…岡部どの、任せたぞ」
「はっ。一番乗りは譲りましたが、本丸は我等の手で落として見せまする。では」
岡部父子は手勢を引き連れて駆け出した。
大手門を破った安倍大蔵と菅沼織部正の手勢が続々と川岸曲輪の中に雪崩込む。が、彼等が見たのは待ち受ける織田勢ではなく、三方を高い塀に囲まれたシンとした空間だった。
「何だ此処は」
「大蔵、奥にまた門が」
「何だと」
おい、丸太を、と大蔵が叫ぼうとすると、三方の塀の内側からゴトゴトと音が聞こえてきた。音の正体は狭間の蓋を外す音だった。
三方の塀の狭間という狭間から銃身が覗いている。
「これは…いかん退けっ」
次の瞬間、とんでもない轟音が辺りに響いた。間を空けずに再び轟音が鳴り響く。あまりの音の大きさに、大手内に続こうとしていた今川勢どころか、川岸曲輪の織田勢の手も止まっている。紀伊守自身も、茫然と立ち尽くていた。
「い、今の音は何じゃ。鉄砲…なのか」
静かになった城内から呻き声が聞こえてくる。大手門の周りは白煙に包まれていた。その白煙の中、門の外に這い出て来たのは安倍大蔵だった。
「す、全てやられ…も、申した」
それだけ云うと、安倍大蔵は動かなくなった。岡部父子も命からがら逃げ出した様だった。
再び川岸曲輪の織田勢が鉄砲を放ち出した。続いて扇川を渡ろうとする今川勢が退いていく。
「退くなっ。集まれっ」
紀伊守は立ち尽くしたままだった。
…とんでもない発砲音だったな。自分で造ったとは云え、とんでもない…。
城の入り口の事を虎口と言う。虎口にも色々あって、城外からまっすぐ入れる物は平入りと言うし、虎口の内側や外側、要するに門の内側や外側が凸凹状になっている物を枡形虎口と言う。虎口の外に構造物がある場合は、そこは馬出と呼ばれる。当然そこは出撃口になる場所だし、一番激しく攻められる訳だから、造りは厳重になる。鳴海城の場合は中洲曲輪が馬出という訳だ。
現在の東大手門の辺りは、中洲曲輪を造る前は横矢掛けが出来る程度の単純な構造の虎口だった物を、外から見ると川岸曲輪の外壁と一直線の一見単純な平入り虎口に見える様にして、大手門を抜けると正方形の枡の様なスペースがある物に造り変えた。
塀の内側にあるから内枡虎口、外に飛び出ていれば外枡虎口という訳だ。外枡虎口の場合はそこが出撃口を兼ねる事が多いから、鳴海城の東側は馬出と虎口が連続している事になる。
こういう風に曲輪内外に馬出と虎口が連続して続く構造の城は、この年代にはまだあまり無い。
内枡の三方の壁は、内側は二段になっていて、一つの壁で上下合わせて五十の狭間を設けている。だから、内枡に灰って来た敵は、一度に合計百五十挺の鉄砲に撃たれる事になる…。とんでもねえ。大量虐殺だよ。
済まんな内蔵助、作兵衛。俺も初めてだけど、お前達も初めてだろう、こんなに簡単に敵を倒すのは。
「く、内蔵助どの…あ、呆気無うござるな」
「そ、そうだな…。されどまた寄手は続くだろうよ。此処を落とさねば尾張に入れぬのだからな」
「左様でござりまする。次の仕度をせねば」
「よし、作兵衛。今の内に休めと皆に伝えい」
「はっ」
川岸曲輪に向けて矢が大量に降り注ぐ。矢が飛ぶ先は曲輪の狭間だった。鉄砲を射たせない為だ。
「大蔵は大事ないか」
「弾を食ろうて気を失っただけでござった。大事ありませぬ」
「ふむ。岡部どの等は此処に居て下されよ。次は我等が行く故、あの曲輪の落とし方を考えて下され。でないと、叔父上達の手勢が城に取り着く頃には味方は皆居なくなるぞ」
中洲曲輪には後続が続々と到着していた。中洲曲輪に入ってしまえば、外程には矢弾に身を晒さずに済む。
「紀伊守どのは小田原に行かれた事はござりまするか」
「小田原?小田原城の事を云うて居るのか」
紀伊守はきょとんとした。何故今、北条の小田原の話なのか。左京進は言葉を続ける。
「はい。小田原城は目の前の鳴海城の様な仕掛けが多ござる。そして小田原城が落ちた事はありませぬ」
「鳴海城は小田原城の如き物、と岡部どのは申すのか」
「それがしは小田原城に入った事がござりまするが、似て居るのでござる。鳴海城はなりこそ小さいが最早それがしが城代をして居った頃の繋ぎの城ではござらんぞ」
「されど落とさねばならぬ。故に貴殿に頼むのだ。昔の事とは云え、あの城の中を知って居るのは貴殿しか居らぬ。頼む」
「…承知した」
今川勢の、三度目の攻撃が開始された。
「矢盾前へ」
朝比奈紀伊守、岡部五郎兵衛、雪辱を誓う安倍大蔵、合わせて三百の軍勢が途切れる事無く虎口へ向かって行く。
「兎に角、矢盾でござる。盾が無うては」
安倍大蔵は余程恐ろしいのだろう、盾、盾と取り憑かれたかの様にもごもご繰り返している。
「ええい、しゃんと為されよ。兵共が見て居る」
本陣では朝比奈太郎が立ったまま指図をしていた。「左京亮、先手の後まで本陣を進ませよ」
「…落ち着きなされませ、先手はどの様に」
「落ち着いておるわ。総懸かりと云うた筈じゃ。先手は本陣に合力させよ」
「はっ」
今川勢の第四波の攻撃を食い止めた。敵は第二波、三波と同じ様に内枡にやって来た。多分内部の構造の確認の為の攻撃だろう。
敵はどういう風に内枡を攻略するつもりなんだろうか。純粋に城好きとして興味があるんだよ…なんて言ってる時じゃない。
多分千近くは減らしたんじゃないだろうか…。
これから今川勢は、というより朝比奈勢はこれからどうするつもりだろう。
このチートじみた城は、後詰なしでは落ちない。攻城戦において、攻める方は城方の三倍の兵力がいる、なんてよく言われているけど、三倍あれば勝てる訳じゃない。最低限三倍は必要と言う事なんだよなあ。朝比奈勢だけでは二倍強、岡崎勢を足してやっと四倍。四倍居ても、火力に差がありすぎる…せめて八千はいないと厳しいだろうなあ…八千もいれば半日で落とされるだろう。
ああ、双眼鏡が欲しい、敵の本陣に動きがある。
…先手と本陣が合流したのか…。今日はこれで終りだろうな。
時間も夕刻、朝比奈勢の本陣では軍議が始まっていた。軍議に参加している諸将の顔は暗い。
「皆、今日の城攻め大儀であった。この朝比奈太郎、皆の働きに感服してござる」
その言葉に息子の左京亮までが朝比奈太郎を睨み返した。
「…お言葉忝無うござるが、馬鹿正直に虎口を攻め続けてもどうにもなりませぬ。先手が加わってもこの有り様、明日からの戦、父上は如何にお考えか」
「烏賊も蛸も無い。同じ様に城を攻めるまでじゃ」
「それでは犬死でござるっ」
安倍大蔵が脇差に手をかけて立ち上がった。周りの者が慌てて押さえ付ける。
「安倍どの、儂の言い様が悪かった。皆、此れをご覧なされよ」
朝比奈太郎は懐から一通の手紙を取り出した。全員に手紙が見える様、床几板の上に広げる。
「皆読まれたか。小憎たらしい事ではあるが、我等の苦境を案じて居った様でござるな、ご連枝どのは」
やっと二日目が終わる。それ程被害も無いし味方が勝っているから、城内はすごく落ち着いている。内枡虎口の威力と、敵が岡崎勢ではない、というのが大きいらしい。皆に聞くと、只では死なぬ、という輩が多いそうだ。確かに先年戦った本多忠高も強かったししつこかった。そんなのが二千も現れたらと思うと、ゾッとする。
信正がササッと俺の側に来て耳打ちした。
「常滑の荒尾小太郎どのが参っておりまする。火急との事」
言い終わらぬ内に居間に荒尾小太郎が招かれた。
「お久しゅうござりまする」
「久しいな。息災か」
「はっ…それより、一大事にござりまする。岡崎勢が海を渡りこの鳴海城の背を衝こうとして居りまする」
「何だと」
荒尾小太郎の話によると、岡崎勢が海を渡って織田勢に合流したい、と師崎の陣代を説得したという。流言を逆手に取られたようだ。
「佐治どのは反対せなんだのか」
「朝比奈勢に横鎗かけても今川の本隊と挟み撃ちされる、ならば海を渡って鳴海城を助けたいと…筋は通って居りまする、今までの経緯や、岡崎勢を織田の援軍と信じ切って居る師崎陣代の前では佐治どのも反対できず…」
「ふうむ、それで」
「これは一大事、大和どのへ伝えねばと、佐治どのの命により岡崎勢に先んじて小早で参った次第にござりまする」
「という事は既に渡海の支度をして居るのか」
「いえ、もう一刻もすれば鳴海湊に現れまする」
なんとまあ、元信という奴は…。




