11 『聖杯』
― 神風雷 ―
剣を真っすぐ海のほうへ向けた。
バチンッ ザアアアァァアアアア
雨雲を引き寄せて、雷を落とす。
ゴオオオオオ
雷が次々に落ちていった。
「うわぁあああああ」
「船が沈むぞ!!!」
外に出てきた人間たちの悲鳴が上がっていた。
遥か南から来た戦艦が荒れ狂う波に呑まれていく。
海の死者を導く神、レヴィアタンが紫のローブに身を包んで隣に並んだ。
「サマエル、そろそろ連れて行くぞ。いいか?」
「あぁ、後は任せた」
レヴィアタンに言って、翼を広げる。
「あ・・・・悪魔の大陸だ・・・・」
人間の声がするほうに視線を向ける。
「人を寄せ付けない悪魔の大陸・・・・俺には悪魔が見える・・・悪魔が・・・・」
「ラフニール!!」
海に呑まれる直前、『悪魔の大陸』と言った人間と目が合った気がした。
レヴィアタンが死の鎌を持って、海上に降りていった。
鎌で肉体と魂を切り離した後は、魂を天界へ導いていた。
人間は自分の思う正義ではない神を悪魔や邪神と呼ぶらしい。
俺の姿も、奴らには悪魔に見えるんだろうな。
「別に助けを呼んだ覚えはないが?」
「見学だよ、見学。回復魔法を使った後のサマエルがぶっ倒れてないかってね」
カマエルが茶化しながら崖に座っていた。
「これくらいなんてことはない」
手をひらひら振った。
「俺は破壊するのは得意だからな」
「はは、相変わらず桁違いの力を使うよね」
次々沈んでいく戦艦を見ながら言う。
「力が無いと、この平和ボケした大陸の奴らを守れないんだよ」
「まぁ、戦艦で来た人間たちもこの大陸沈むって知らないから、資源欲しさに必死だね」
カマエルが他人事のように話す。
「でも、それが命持つ者の儚さだ。美しさでもある」
「確かにな」
普段、寿命を持たない神にとって、人間の魂はどんな魂でも美しく感じる。
罪を犯して、死にゆく魂であっても、な。
「電子世界のほうはどうなった?」
「あれからリリスに似た少女は現れていないよ」
声を低くする。
「魔法少女モデル、アンドロイド"101"以外現れないし、俺やリシテア、他の神々が聞いても何も答えない。状況は何一つ変わってないよ」
「そうか」
「唯一、"101"が口を滑らせたのはサマエルがいる時だね」
剣を消す。
雨風が強まり、波の音が激しくなっていた。
「なぜかはわからないけど」
カマエルが何かを言おうとして、止めた。
言いたいことはわかる。
未来にいるリリスが関わっているのではないか、と。
「・・・・・・・」
「まぁ、そのうち行くよ。リシテアのことも心配だしな」
「リシテアが落ち込んでいるから、リシテア王国全体が暗いんだ。エリンにたまに来てもらってる。女神同士のほうが話が合うだろうからさ」
カマエルが岩を滑り降りるようにして飛んだ。
「じゃ、俺も仕事してくるよ。まだ、神の力を手に入れたい云々の奴らが出てきてるから。懲りないよな」
「俺はリリスたちのところに戻る。何かあったら呼んでくれ」
「了解」
カマエルが剣を出して、空高く上がっていった。
森を抜けて湖の近くに降りていく。
雲は突き抜けるように晴れていて、ペムペムが日向で腹を出して寝ていた。
「平和な奴だな・・・」
『ぐごぉおおお。ぐふぉ』
近づいても目を覚まさなかった。
家のドアを開ける。
「わー、サマエル!」
リリスが慌ててテーブルの上に覆いかぶさった。
「・・・・何やってるんだ?」
「えーっと、勉強」
「じゃないだろ。ったく、変なことしようとしてるんじゃないだろうな?」
「おわっ」
リリスを持ち上げてテーブルを確認する。
地図・・・『聖杯』・・・・?
「『聖杯』ってなんだ?」
「メイリアが持ってきたの。ルーリア家がギルドに出した最高額の懸賞金をかけたクエストなんだって。離して・・・」
「ルーリア家は・・・聖職者がいたか。名家にしてはあまり宝には興味がないと思ってたけどな」
リリスを降ろす。スカートを直していた。
地図の上のほうには、クエスト内容が書かれている。
特に目立ったところはない。
東にある洞窟に現れた『聖杯』を持ってくること。
「どうしてこれを?」
「『聖杯』は純潔な乙女の前に現れる。『聖杯』に選ばれた者には、『聖杯』に水が湧き出る。飲んだ者には、世界を変える特別な力が与えられる・・・」
「特別な力?」
「ルーリア家に仕える巫女が出した予言なんだって」
「へぇ・・・・」
特別な力を与える『聖杯』なんか、聞いたことが無いな。
迷信に近いものだとは思うが・・・。
「そういえば、マリアは?」
「使い魔の黒猫とカラスと、リシテア王国が見える場所に行ってるの。もちろん、遠くから見るだけ、空気を感じるだけ、って。夕方には帰って来るよ」
「そうか・・・」
「マリア、ずっとリシテア王国のこと心配してたから。ねぇ、サマエル」
リリスが手を握り締めてきた。
「ん?」
「サマエル、大好き・・・って、2人きりになったら言おうと思ってたの。最近言ってなかったから」
腰に手を回して背伸びをする。
唇を重ねてきた。
「駄目だ」
両腕を持って、リリスから体を離す。
「どうして?」
「俺は特定の人間を愛せない。魔神だからだ。平等でなければいけない」
大きな瞳に吸い込まれそうになる。
「だから、前みたいなことはできない。そもそも、やってる最中にマリアたちが戻ってきたらどうするんだよ」
リリスに背を向けてソファーに座って、本を取る。
「そ・・・そうだよね」
「そうだ。わかったら、リリスも本でも読むといい。ここにある本は、街の図書室には無い本ばかりだ。リリスも興味を持つ・・・」
「なんて、引き下がると思った?」
「!!」
リリスが本を取ってテーブルに置いた。
頬を膨らませている。
「サマエル」
首に手を回して、正面から抱きついてきた。
「私、サマエルが好きなの」
「何度も聞いた」
「サマエルのためなら、どうなってもいいくらい・・・大好き」
「・・・何度も聞いたよ」
「でも、サマエルはわかってないと思うの。私がどんなにサマエルが大好きか」
リリスがもう一度、唇を押し付けてきた。
「何度でも言うよ。大好き。お願い、私の前からいなくならないで」
「いなくならないって・・・」
顔を真っ赤にして、微かに涙を浮かべるリリスは可愛かった。
「いつか、サマエルがいなくなってしまいそうで怖いの」
「いなくならないって言ってるだろ?」
リリスを抱き上げて、少し突き放すように降ろした。
リリスの体は羽根のように軽くて、小さく、ガラスのように脆かった。
「でも、神じゃなくなったら、リリスを守れない」
「サマエル・・・」
「俺を誘惑するな」
頬についた髪を、耳にかけてやる。
きっと、俺は抜け出せないくらいに、リリスを愛してしまったのだと思う。
神が特定の人を愛してしまえば、何かが崩れていく。
本を持ち直して、リリスから視線を逸らす。
「サマエル」
「なんだ?」
「大好き。いつか、私がサマエルを守れるようになるからね」
リリスが目を細めてほほ笑む。
「リリス・・・『聖杯』を手に入れればどうにかなると思ってるんだろ? そもそも、純潔な乙女しか現れない『聖杯』なら、リリスの前に現れないからな」
「はっ・・・そうだった。どうしよう!」
両手で頬を覆っていた。
「マリアとメイリアは大丈夫だよね?」
「さぁな」
「笑い事じゃないってば。でも、こんなこと聞けないし。サマエル、笑い過ぎだってば」
急に焦るリリスに、思わず笑いが止まらなくなってしまった。
この時は、まだ魔神がたった一人の人間を愛する罪の重さを分かっていなかった。
愛の罪は血のように地面にしみ込み、続いていく。
世界の理を変えてしまうくらいに。




