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2015.04.22

 もう四月も残すところ一週間チョイですね。

 なぁんて言ってみる。


 締切が間に合いそうにない。ミライショウセツ大賞、一獲千金をテーマにした部門賞はもう諦めよう。その先を読まないと宣言されたんじゃ、とうてい選考に残れるとは思えない。まぁ、まだ六月〆の分があることだし、最終のそっちに賭けよう。どうせ一攫千金というテーマは主題に掛かってくるテーゼの一つ、本題を隠すためのレトリックの一つ、仕掛けの一つに過ぎないことだし、元々無理があったからな。(笑


『「知の技法」入門』小林康夫/大澤真幸著


 対談集。いや、これまた、哲学系の話題をやってる本で、実を言うと触りたくない分野だ。なぜかって、それで以前、大ゲンカして絶縁した人が居て、未だに苦恨を残しているからだよ。そして未だに私は持論を曲げるつもりがなく、哲学をわざわざ勉強する必要はない、という考えに変化がないからだ。事情があって、この本は読まざるを得ないんだけども・・・。


一般知識、教養の一環として要点だけ押えておけば、詳細までやる必要がないのが哲学だと思っている。


では、今まで哲学的思考で考えていたモノをどうするのだ、という問いに対しては、現在では科学が取って代わっているからそっちで代用できる、と言い切る。

哲学にしろ、学問全般にしろ、それは本来の目的で言えば、「なぜなの?」を説明する為の方法論でしかないからで、それは絶対的に一つの論法でなければならないという事にはならない。

斟酌ない言い方をすれば、現代の世界を解説するに、もう哲学では間に合わないだろう、という意見なのだ。


まず第一に「説得力」の問題。解説なのだから、もっとも重要なのは成立の背景やら歴史などではなく、説得力があるかどうかだ。それで言えば、現在もっとも力を持っているのは、科学の分野だ。

ようするに、時代遅れだ、と言いたいのだ。

かつての神学と同じように、哲学も表舞台から消える時期にきたのではないのか、と言いたいのだ。


その事は、哲学最前線の人ともなればちゃんと理解しているようで、哲学は今後どのように展開してゆくべきか、という命題も本書には投げかけられていた。このままでは消えてしまうかも、と。


この本を読んで思ったのは、まずサルトルの問題だ。彼はなぜ隠蔽されてしまったのか。

これは完全に穿った見方、ただの推論だが、たぶん彼が分岐点だったからじゃないかなと思う。つまり、彼から先の人々は、盛大に間違いの道を突き進んでしまった人々なので、それを無意識に糊塗しようとしているんじゃないかなぁと、そう思う。

サルトルから先の、構造主義だのポストモダンだの、専門どころか触ったことさえないので生意気な事を言っていると自身でも思うけれども、どうにも、この辺の概略というのを聞くだに「バブルじゃねぇの?」という疑いが拭えない。実態から乖離して、卓上論が極まってしまったかのようにしか感じないわけだ。まったくの門外漢が偉そうに言って申し訳ないが。


哲学では主体というものが問題にされるようだが、これだって科学に変換して翻訳する事が出来るんじゃないかと思うんだ。物質を議論するのが科学であり、意識を議論するのが哲学だ、と書かれてあるが、そもそも科学の方では「意識も物質界の現象」という認識に近付いている気がするぞ。

ちょうど、薪を燃やせば熱量という目に見えない現象になるように、脳内のシナプスが伝達する電波が意識の正体である、てのは誰もが知ることになったじゃないか。あとは、この意識電波がどのように指令というデータを生成するのか、という辺りで、それをDNAやら物理法則やらに求め始めている。

んで、目下のところこの種の問題の根本にあるのは、熱量がどこからきてどこへ消えるのか、というのとまったく同じ問題だと思う。木を燃やせば熱量が生まれる、それは言えば簡単だが、じゃあそれ以前と以後はどうなってんの?という問題は解決されていないんじゃないかと思う。少なくとも一般教養にまでは浸透していない。木を燃やせば、質量が減る、減った分がエネルギーだ、・・・じゃその減った分そのものはどこへ消えたんだ、という問題。物質世界では総量が変化することを限りなく嫌がる。


脳内シナプスを介してあっちこっちと行き交っている意識電波だが、これは最終でどうなるのか。存在が消えてしまう、というのは物理学的には拙くないか? 変化する、は容認するが、消える、は容認できないんだが。科学の分野も、この辺りに差し掛かると知識が曖昧になっているので、むにゃむにゃむにゃ・・という感じなんだけども。(笑


そもそも「我思う、ゆえに我在り」という言葉の解釈にしても、私は最初から時間概念を放り込んでいたから、この本に書かれてあるようなごく当たり前の感覚が持てない。つまり、この言葉によって意識の存在が証明される、という事がだ。

考えている自分はどうしたって否定のしようがない、という意味らしいが、そうだろうか。我が存在するという一瞬はこの理屈で規定されるが、それが同一のままで連続するという証明にはならないだろ。


哲学というのは、ぐだぐだぐだぐだと考えだしたらキリがないのでそろそろ止める。

また喧嘩になるのも嫌なんだ。

「そうね、そういう考え方もあるわね、」と軽く聞き流してくれたら有難い。



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