2014.10.8
人生というものは・・・。
親類のおじいさんが救急で病院に運ばれた。幸い、危篤というほどの重大なことにはなっていないが、危険な状態には違いない。一応の覚悟はしてくれと告げられた。
一人暮らしの親族が遠く離れているというのは、難しい問題を多く含んでいる。
そうそう、ピクシブでせっかく入ったグループだったんだが抜けてしまった。
残念だが仕方ないね。
こちらはこの性分を直せそうもないし、向こうの求めは明白だ。
はっきりと、居られないと解かった時点で退かせてもらった。
技術だの何だのは関係なしで楽しく過ごせる場が欲しいと思ったんだけど、どうにもこの口調やらまでは直せそうにない。有体に白状すると、おべんちゃらなど言えそうにない、という事だ。
オブラートに包んだつもりでも、気に障る人には触ってしまうもんなんだなぁ、と。
気を使ったつもりだったんだけど。
これ以上は無理。(笑
TPOを弁えろという事なんだろうが、無理だった。(笑
批評を封じるというのは、こんなにも発言の幅を狭めてしまうものかと驚きだ。
何を書けばいいのか・・・、何も書けなくなったし。
よく皆、書けるよな。(笑
心にもない事など書けねーんだよ。
2チャンの掲示板で私の絵が「ヘタクソな絵だ」と言われ、庇ってくれる人が「そんな言い方はない」と怒ってくれたが、私にはそれは道理だと思えたもんだった。だって、ヘタクソをヘタクソと言って何が悪い?
ヘタクソをヘタクソと正直に言えない事のほうが、狭苦しくて嫌な空気だと思うからな。正直に言いあえる場所が欲しかったんであって、ああいう逆方向に狭苦しい場所を求めたんじゃない。
今居る場所が一番居心地が良いと再確認出来た。
多くの人は誤解している。
集団は、一人だけが最高に居心地のいい場所が理想だ。それが善良な場所とされている物の正体だ。
国でも組織でも何でも。居心地の良さ、善良さを突き詰めれば、人を傷つけないなどという事を優先した先にあるのは、そういう、たった一人が居心地のいい、狭苦しい場所なんだ。
指図するたった一人に全員が遠慮し、たった一人は指図の中で自分を優先する。自分が基準になるしかないんだから、当然そうなるんだ。家庭でも、友人関係でも、何でも。集団の持つ、それは性質の如きだ。
そもそも、私は何が書きたいんだろう。何が描きたいんだろう。
問題提起、だろうなぁ。
皆が目を背けて、忘れようとしている事を抉り出して晒している作品ほど、認めてもらっている。
皆もそういうのを読みたいのだ、と解かる。
書けるものと書けないものとがあるとして、私には夢溢れる希望の物語などは語れそうにない。
真逆なら書けるかも知れない。夢溢れ希望に満ちた既存の物語を叩き潰すストーリーなら。
得手不得手というものはあるのだし。
諸行無常。どうせ無なのだ、と。
誰かに言われた言葉が思い出される。「貴方の世界は絶望に満ちている」か。
その通りだ。だけどそれが現実だろう?
人は、放っておけばそれぞれが個人レベルで居心地の良さを追求して試行錯誤する。
宗教ってヤツは、個人レベルの試行錯誤を問答無用に否定する。最大の害悪だと思う。
ルールってものは、時々、無性にこの宗教的害悪に近付く。




