第百九十九・五話 ハラルドとエトワール
第十二章 開花祭編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第百九十九・五話は、第百九十九話の後のお話になります。)
すっかり遅くなってしまったな、と暗闇に包まれる森を歩く。もう馬車もなく、街灯の少ないこの辺りの道は、良い大人でも心もとない。
「い、いくらアイラさんのためとはいえ……もう少し早めに切り上げるべきだったかな」
古いものや、珍しいものが好きなハラルドとはいえ、幽霊やおばけの類は苦手だ。そんなものはいるはずがない、とは思っていても、ついつい考えてしまう。
村までの道のりはこんなに長かっただろうか、とハラルドは先の見えない暗がりを行く。時折、風に揺れてガサガサと音を立てる枝葉が、ハラルドの鼓動を速めた。いつもよりも少しだけ早足で歩きながら、明るい話題を考えよう、と思考を巡らせる。
例えば、先ほどのマリアとのやり取りとか。
アイラと出会った時のこととか。
ハラルドとアイラが出会ったのは、もう半年も前のことである。
ハラルドの一目ぼれだった。待ち合わせのカフェに現れたアイラは、凛と美しく、今までに見合いをしてきた女性のように気取ってもいなかった。
話せば、彼女が博識であることもすぐに分かったし、ハラルドの話にも真剣に耳を傾けてくれる姿勢が素敵だ、と思ったものである。
その日、アイラはどこか落ち込んでいたような雰囲気もあって、ハラルドは、二度目はないだろうな、と思った。別れ際、アイラから
「今度は、いつにしますか?」
と声をかけられて、数秒もの間フリーズしてしまったくらいには驚いたものだ。
当然、二度目のことなど考えてもみなかったハラルドは慌てふためき、
「明日にでも!」
そう答えてしまった。
恥ずかしいことを思い出した、とハラルドは火照った頬を冷ます。だが、おかげでいくらか恐怖心も消えた、とハラルドはそれからのことを思い返した。
二度目のデートを終え、三度目の約束を自然と取り付け、その後、何度かの食事やデートを繰り返した。クレプス・コーロの舞台を見た時にはもうすっかり打ち解けていて、その日の夜、ハラルドは決心したのだ。
――アイラさんに、プロポーズしよう。
まだ、出会って半年。結婚なんて早い。もっと、お互いを知ってからの方がいい。そんなことは分かっていたものの、今度の開花祭を逃しては、もう二度とそのチャンスが手に入らないような気がして、ハラルドはその日の夜から、アイラへの贈り物を考え始めた。
そうして、行きついたのが、アイラの知人が営んでいるという、パルフ・メリエという店だった。
「マリアさんも、良い人そうでよかったな」
調香師、といえば香水を作る人のことである。香水は嗜好品だし、ハラルドのようなおしゃれに無頓着な人間からすれば、未知の世界だ。怖い女性や、貴族みたいな人が出てきたらどうしようか、と散々覚悟を決めてきたが……。
実際は、まったくそんなことはなく、むしろ優しそうな、穏やかな女性で、ハラルドも胸をなでおろしたのだった。
それにしても、自分に香水など作れるのだろうか。アイラが喜ぶと聞いて、つい引き受けてしまったが、今から気が気でない。図書館にでもよって、香水の勉強でもしようか、とも思うが、アイラにばれてはせっかくのサプライズも意味がなくなってしまう。
どうせなら、とびきり驚かせたい。
(僕だって、やればできるんだ)
ハラルドは一人こぶしを握り締めて、頑張ろう、と不安になった気持ちを無理やりに押し上げた。
ちょうどそのころ、村の明かりが見えてきて、ハラルドはホッと胸をなでおろす。人々の生活する気配に、ハラルドの心も自然と明るくなった。
村を抜けたところで、馬車が止まっているのが見え、ハラルドは慌てて駆け出す。どうやら、ハラルドのために馬車を待たせてくれていたらしい。
馬車の扉が開き、中から人が降りてくる。ハラルドはその人物に大きく手を振った。
「エトワールくん!」
「ハラルドさん、こんばんは。すみません、遅くなってしまって」
「いや、こちらこそ」
むしろ、ハラルドの方が彼を待たせてしまった、とペコペコと頭を下げれば、エトワールも慌てて首を振った。
「本当に助かったよ」
「いえ、いつもお世話になっていますから。これくらいのことなら、いつでも」
次期国王だというのに、エトワールの腰の低さにはハラルドも驚きを隠せない。昔から、気遣いのできる人間だったが、ここ最近はより磨きがかかっている気がする、とハラルドはエトワールを見つめた。
二人は、小さいころからの知り合いである。家が近くで、親同士の仲が良かったせいか、二人も自然と仲良くなった。ハラルドは普通の一般家庭。エトワールは中流貴族の出で、その暮らしには天と地ほどの差があるようにも思えたが、エトワールの一家はそういった出自には頓着がないのか、気にすることはなかった。
エトワールはハラルドを実の兄のように慕い、ハラルドもまた、エトワールのことは実の弟のように思っている。
別々の道を歩んだが、その関係性はこうして今も続いていたのだった。
「それにしても、騎士団の仕事と王城での勉強を両立させるだなんて……エトワールくんは本当にすごいよ。僕には無理だな」
「そんなことないですよ。どちらも、中途半端になっている気がして、最近は心苦しいこともあります」
エトワールも、ハラルドの穏やかな雰囲気にはいつも助けられているのだ。ハラルドといると、自分をよく見せようとしたり、取り繕ったりしなくても良い。
「そうだ。今、ちょうどこの王国の歴史について、勉強しなおしているところなんです。ハラルドさんに教えてもらいたいことがあって」
エトワールの言葉に、ハラルドは滅相もない、と首を振る。だが、ハラルドこそ、あの国立博物館の学芸員。ただ優秀なだけでは勤められないような場所で働いている人物だ。
エトワールは、シャルルさながらの爽やかな笑みを浮かべ
「ぜひ、また僕にも色々とご指導ください」
と、ハラルドに頭を下げた。
あまりしつこく言っても、ハラルドは謙遜するばかりである、ということはすでにエトワールも心得ている。約束を一方的に取り付けて、
「そういえば、今日はどうしてこちらに?」
と話を切り替えた。断るタイミングを逃したハラルドは、苦笑を浮かべる。
「そ、その……村の先にある、お店に用事があって……」
急に弱々しい声になったのは、自分には不相応な場所だと思っているからだろう。
「パルフ・メリエですね。どなたかに、香りのプレゼントを?」
「今、付き合っている彼女に……」
「それはいいですね。あそこの香りは、僕も好きです。ディアーナ王女も」
そうだった、とハラルドはまさに隣に座る人物の、その妻となる王女ディアーナがマリアを専属の調香師として雇っていることを思い出す。
「なんだか、もしかして……とんでもない人に調香を依頼してしまったかも」
ハラルドの呟きに、余計なことを言ってしまった、と今度はエトワールが苦笑した。
「大丈夫ですよ。マリアさんは、人を選んだりしませんし、本当に素晴らしい調香師ですから」
エトワールの言葉に、ハラルドは頭を抱える。
「ぼ、僕……大丈夫かな……」
エトワールはそんなハラルドの背を優しくなでて、これではどちらが兄か分からないな、と笑った。
ハラルドのくせ毛がふわふわと揺れるのを見つめながら、エトワールも、マリアの香りに思いを馳せる。
「きっと、うまくいきますよ」
自分がそうであったように、ハラルドの恋も叶えてしまうのだろう。
マリアの作った香りには、そういう不思議な力がある、とエトワールは思う。
エトワールの言葉に、ハラルドはそっと顔を上げた。
「……うまく、いくかな?」
「僕が立証済みですから。歴史に名を刻む、貴重な体験ができるかもしれませんよ」
エトワールが笑えば、ハラルドは眉を下げて
「それは……少し、いいかも」
と笑った。




