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第百五十六・五話 兄弟の駆け引き

第九章 思い出の香り編 番外 になります。

ネタバレはありません。

本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪

(今回の第百五十六・五話は、第百五十六話と第百五十七話の間のお話になります。)

 論文を片手に(こま)をトン、と置いたアーサーは、目の前にいる弟シャルルへチラリと視線を向けた。

「旅支度はすんだのか」

「まだ先のことだし、それに、旅といっても長旅じゃない。一応、宿も予約はしたけど……」

 シャルルも新聞を片手に(こま)を動かす。

「多分、夜には戻ってくるよ」


 どうしても、マリアの見つけた田園風景の写真が気になっていたシャルルは、いくつかの伝手(つて)と、そして自らの持つ権限を使って、その場所を突き止めた。おそらく、母親の生まれ故郷である。

 そして、父親と母親が初めて出会った場所――。

 何か記憶を取り戻す手掛かりになるのでは、とその村へ行くことを決めたシャルルだったが。


「まさか、マリアさんと、デートすらしてないとは」

 シャルルの(こま)をとって、アーサーが自らの(こま)を置く。

「上の空だな」

 シャルルは、自分よりも頭の出来の良い兄には取り(つくろ)っても無駄か、と笑う。

「ずいぶんと久しぶりだからね」

 チェスのことか。それとも、マリアとのことか。

 シャルルの曖昧(あいまい)な物言いに、アーサーもふっと笑みを浮かべた。


「それに、僕は遊び人じゃないからね。好きでもない相手に好意を持たせるほど優しくもないし……デートなんて、いつぶりかな」

 仕返し、とばかりにシャルルが(こま)を動かせば、アーサーは、ふむ、としばしその盤面に視線を止めた。

 お互い片手間のゲームだが、だからといって手を抜くことはない。

「楽しそうで何よりだ」

「兄さんは、大変みたいだね」

 (うわさ)は聞いてるよ、とシャルルに微笑まれ、アーサーはため息をついた。


 誰のせいで、と言葉を飲み込んで、(こま)を動かす。

 序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように。

 チェスの常套句(じょうとうく)だ。今は中盤、互いに相手の様子を(うかが)いつつ、決め手を探す。


 シャルルもまた、アーサーと同じく先のことを考えて(こま)を動かした。

「まだ、どうこうしようとは思ってないけどね」

 女性から好奇の目を向けられることの多いシャルルだが、マリアからはそういった雰囲気は感じない。だからこそ、シャルルも時間をかけてゆっくりとマリアとの距離を縮めたいのだ。焦っても良いことはない。


「第一歩、というわけか」

「小さな一歩だよ」

「だが、それを大きな軍にするのが、騎士団長様の仕事か……」

 いつの間にやら、まずい盤面になってきた、とアーサーは論文を置いてチェスの(こま)をもてあそぶ。チラリとシャルルを見やれば、彼もまた新聞を綺麗にたたんでいた。


 弟の恋路を見守る日がくるとは、とアーサーは思わず笑みを浮かべる。

「とはいえ、今回は母さんの記憶が戻ることが優先だからな」

 簡単には負けられない、とアーサーは(こま)を動かした。

「もちろん。マリアちゃんは仕事だと思ってるだろうしね」

 アーサーの(こま)をとって、シャルルは笑う。

「なるほど」


 だからこそ、シャルルはマリアが好きなのだろう、とアーサーも負けじとシャルルの(こま)をとった。

 ゲームも終盤。ここからは出来る限りミスなく、冷静に局面を読む。

「どうにもやきもきするな」

 恋愛ごととなると、場数を踏んでこなかったアーサーには、今のシャルルのやり口はじれったい。

「うぅん……こういうのは時間をかけてじっくり攻めるものなんだよ」

 シャルルはいよいよ真剣な瞳で、盤面を眺めた。

「男なら、男らしく」

「兄さんらしくないよ」

 シャルルが粘りの一手、とばかりに(こま)を動かせばアーサーは残っていた酒を飲み干した。


 決して酒に強くないのに、どうして酒が好きなのだろうか。

 シャルルはそんな兄を見ながら苦笑する。

「チェックだ」

 それでも、チェスの腕は叶わないのだから、シャルルは肩をすくめた。


「わかったよ、僕の負けだ。今日は寝よう」

 アーサーに肩を貸して、シャルルはアーサーを部屋へと連れていく。

「おやすみ、兄さん」

「……頑張れよ」

 酔っているのか、それとも本心なのか。

 アーサーはふっとシャルルに笑みを向けると、部屋の扉をバタン、と閉めた。


 新聞やら論文やらを片付けに戻り、シャルルはチェス盤を見つめる。

「こうすれば……チェックメイト、だけどね」

 相手のいない盤上で、シャルルはいくつか(こま)を動かす。


「現実は、ゲームのようにうまくはいかないな」

 まだまだ先は長そうだ、とシャルルは苦笑して、眠りにつくのだった。

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