第百五十・五話 ガールフレンド?
第九章 思い出の香り編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第百五十・五話は、第百五十一話の前のお話になります。)
「ねぇ、聞いたわよ! 先生」
診察室に入るなり、患者からキラキラとした瞳を向けられたアーサーは、ついにきたか、と思わずこめかみのあたりを抑えた。
「あなた、ガールフレンドが出来たんですって!?」
否定をするのも面倒だが、肯定は出来ない。シャルルに殺される、とアーサーはため息をつく。
「お元気そうですね。その調子なら、診察はしなくても問題なさそうですが」
「やだ、ちょっと! ちゃんと診察していただけます?」
「では、口を開けて」
アーサーに促されるまま、あー、と患者が口を開けば、当然それ以上話は出来ない。
「腫れもひいてますし、本当に問題ありませんよ」
お大事に、と手早く会話を切ろうとすれば、患者は
「まだ大事なお話があるでしょう?」
とアーサーに食いかかる。
「他の患者さんもお待たせしてますから。すみませんが、この辺で」
「えぇ~!」
シャルルほどではないにしろ、母親譲りの美貌を持つアーサーである。爽やかな作り笑いを浮かべて、お大事に、と再度頭を下げれば、患者はなんだかんだと言いつつも、診察室を出ていった。
無論、それで終わるはずもなく。アーサーはその日、何度か同じ質問を受け、診察が終わるころにはぐったりと疲れ切っていた。
普段のアーサーであれば、診察の後もしばらくは研究や論文、勉強と余念がない。だが、今日はどうしたものかな、と思案する。
早く帰れば、それこそ隣でそわそわとしている看護師が、やっぱりあの噂は本当だったのだ、と騒ぎ立てそうだし、そうなれば病院内でさえ居心地が悪い。
弟のものだ、といってやれば収まるのかもしれないが、その噂が巡りめぐって本人たちのもとへ届いてしまっても厄介だ、と頭を抱えた。
少なくとも、シャルルはマリアへの気持ちを伝えていないし、マリアの気持ちも分からないのだから。
悩んでいるアーサーの診察室を、トントン、とノックする音。
「はい」
もう診察の時間は過ぎている。おそらく、同僚か、はたまた――
「アーサー! まだいたのか!」
最悪な方を引いたな、とアーサーは再びため息をついた。
目の前にドカッと座る大柄の男に、アーサーは悩むくらいなら早く帰ればよかった、と心底思う。到底見た目には医者とは思えないほどの男は、この病院の院長で、世話好きな性格だからか、優秀なアーサーを気に入っているのか……とにかく、やたらとアーサーに目をかけている。
アーサーが独身だと知れば、まだ物心もついたばかりの自分の娘を、嫁にしないかと持ち掛ける始末だ。
「どういったご用でしょうか……」
聞きたくもないが、聞かなければこの男はいつまでも居座り続ける。隣にいた看護師も、チャンスとばかりに院長の隣に並び、アーサーはますます顔をしかめた。
「アーサーにも、ガールフレンドが出来たと聞いてな!」
直球勝負。看護師も、さすがに院長に嘘はつかないだろう、とアーサーへ期待の目を向けている。
アーサーは、はぁ、と深いため息をついて
「そういうのじゃないですよ」
と正直に口を割る。看護師は、喜びとも落胆ともつかぬ表情を浮かべ、院長に至っては
「いや、恥ずかしがらなくていい! 皆、アーサーにガールフレンドが出来たとその話で持ち切りだからな。あ、それともなんだ、俺が娘を嫁に、と言っているから、申し訳ないと思っているのか?」
全くの見当違いな言葉を並べたてた。
本人が否定しているというのに、どうして周囲の噂を信じるのだろうか、と呆れつつ、アーサーも面倒になってきた、と曖昧に濁す。
「いえ、そういうわけでは」
「前から不思議だったんだ! 君のような男が、なぜ結婚できないのだろうか、と。だが、ようやく分かった。君が素晴らしいからこそ、それに見合う女性でなければな!」
アーサーは、結婚できないのではなくて『しない』のだ。だが、それを訂正すれば、余計に話が長くなる。
「まぁ! とにかく、おめでとう! 俺は嬉しい! さ、今日はもう早く帰って休め! ガールフレンドも、君を待っているぞ」
アーサーがどうしたものか、と思案しているうちに、院長は言いたいことを言ってすっきりしたのか、アーサーの肩をバンバンとたたく。
(どうやら、満足したか……)
アーサーは、もう一つため息をついて、院長を見送る看護師に
「それじゃ、お言葉に甘えて帰ることにする。すまないが、片づけを頼む」
と、もうどうにでもなれ、と白衣を脱いで、荷物をまとめた。診察室を出るアーサーの背中に看護師の声がかかる。
「奥さんとごゆっくり!」
気をきかせたつもりかもしれないが、ガールフレンドですらない。
アーサーは、今のは聞かなかったことにしよう、と足早に病院を出た。
帰り道、アーサーは明日からのことを考えて、今日何度目かのため息をついた。きっと、明日にはいよいよ本格的に、ガールフレンドが出来たらしい、とあちらこちらで騒がれるに違いない。
考えれば考えるほど憂鬱になるな、とアーサーは路面電車の外を見つめる。
(夕食のことでも、考えるか)
頭を切り替え、寒くなってきたから、何かあたたかいものがいいな、と料理を思い浮かべる。お手伝いさんの料理もうまいが、マリアの作る家庭的な料理もまた違ったうまさがある、とアーサーは、マリアの手料理を思い出す。
(ポトフもいいが……豆のスープもうまそうだ。魚よりは……肉か……)
確かに、家に帰ってうまい料理があるというだけでも、結婚の価値はあるだろうか。いや、しかし……。いつの間にか、アーサーはそんなことを考えている自分に驚いて、シャルルに触発されたかな、と苦笑する。
シャルルこそ、なぜ結婚しないのか、兄からしても不思議なのだ。自分以上に引く手あまたであろうと思うが、シャルルもシャルルなりに、色々と考えているのかもしれない。
(マリアさんなら、良い妻になるだろうがな……)
兄としては、弟の恋を応援したいところだし、マリアのような義妹が出来るならそれこそ万々歳である。
(だが……)
どうにも、マリアにはそんな気配がなく。だからこそ、シャルルもマリアを気に入っているのかもしれない、と思うと、アーサーはただただ人間という生物の不可解さに驚くばかりである。
「脳の研究も、再開するか……」
アーサーは、自分には仕事だけで十分だな、と呟いて、家路につくのだった。




