第百二十八・五話 本当の強さ
第八章 西の国編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第百二十八・五話は、第百二十八話の後のお話になります。)
トーレスは、ひとまずマリアの店、パルフ・メリエへと戻ることになった。シャルルが、騎士団の寮を手配しよう、と言ってくれたが、マリアがそれを拒んだのだ。シャルルはもちろんのこと、トーレスまで驚いたような表情をマリアへ向ける。
「トーレスさんには、香りづくりでまだ協力していただかなくてはいけませんから」
マリアには、調香のことしか頭になかった。
シャルルと別れ、街の広場で馬車を待つ。
トーレスは、街の広場に出た露店の数々や、どこからか香る焼きたてのパンの香り、人々の笑い声を楽しんでいた。
マリアも、隣でどこか吹っ切れたような、清々しい表情のトーレスを見つめて微笑む。
「良かったですね」
何が、とは言わずとも、トーレスはふん、と顔を背けた。
トーレスは、視線を何度かさまよわせて口を開く。
「そ、その……」
マリアがきょとんとトーレスを見つめれば、トーレスはさまよわせていた視線を広場の方へ向けた。
「た、助かった」
「え?」
トーレスは、先の一言をかき消すように大きな声で、頼んではないがな、と付け加える。マリアがクスクスと肩を揺らせば、二人の前に馬車が止まった。
馬車に揺られている間、トーレスは自国のことを思い返していた。両親や、兄弟のことも。
――血族破棄。
西の国との関係が切れるなら、なんだっていい。むしろ、すべての縁を切ってやる、と思っていたが、いざ心に決めると考えてしまう。
王族の三人目の子供として生まれ、物心ついたころには一人だった。両親も兄たちも、トーレスのことになど興味はなかったが、だからこそ何をしても咎められることはなかった。
社交界、というものが迫ってきたある日、両親はトーレスに仕事を与え、監視役をつけた。その時は、ついに両親が認めてくれたと思ったものである。努力をすれば、兄たちの隣に、両親の隣に並べるものだと思っていた。
だが、努力は実を結ばない。
両親は、対外的な――世間からの目を気にしていたのだ、と社交界に出てトーレスは気づいた。周囲の貴族たちには自慢の息子だと笑みを浮かべ、社交界でトーレスが粗相でもすれば王城へ戻って、トーレスを怒鳴りつけた。
そんな日々が続き、トーレスはある仕事を命じられる。
貧民街で、罪のない人々から税金を巻き上げ、金を搾り取るように、とのことだった。
そのころには、トーレスも憎悪の念にかられており、身内や貴族が行っている悪事を調べ上げることに専念していた。いつか、復讐を果たすためである。
仕事は仕事。トーレスは、一度自らの足で現地へ赴いた方が早い、と手始めにスラム街を訪れた。表向きは繫華街だが、一歩裏道にそれれば、トーレスも知らない世界。
なんだこれは、とトーレスは思い、同時に、その惨めな街に自らを重ねて安堵した。路上で生活をしている人間を見れば、自分はまだ恵まれている、とも思ったし、そんな人間でも生きている、と分かれば、自分はまだ大丈夫だ、とも思えた。
国民たちが、国は間違っている、と示している。
トーレスはそれを肌に感じ、まさに自らの同士と呼べる存在が国民であることに気づいた。
トーレスは、繁華街から税収を引き上げる話だけはもみ消した。しばらくの間、それと引き換えに幽閉されることとなったが……それでも悔いはなかった。
だが、現実は甘くない。
自らも同じ場所へ落ちることは怖く、今まで享受してきた甘い蜜を今更手放すことも出来ずに、トーレスは自分自身を欺き続けた。自らの可愛さ故、身内や貴族の悪事を外へさらすことも出来ず、ただただくすぶっていた。
自らが、両親たちと同じく腐っていると気づいたのは、ディアーナとの会食の場だ。
地位や名誉を……自らの身を顧みず、ディアーナを思い行動した騎士団の青年――エトワールの行動に、己の不甲斐なさを恥じた。
ディアーナとの婚約を破談にされ、エトワールが彼女の心を射止めたときき、トーレスはいてもたってもいられなくなった。
(もう、俺は迷わない)
国を捨て、この王族の血を捨てて……失うものがなくなって初めて、トーレスは一人の人間としてようやく生きていける。
トーレスは、ふ、と美しく輝くヘーゼルアイを柔らかに細めた。
「マリア」
隣にいる女性の名を呼べば、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか?」
先ほどまで、難しい顔をして悩んでいたのに、今はどこか晴れやかだな、とマリアはそんなトーレスを見つめる。
「この国を、どう思う」
「良い国ですよ。トーレスさんも、きっと気に入ると思います」
マリアは、逡巡する間もなく答えた。その美しい笑みに、トーレスもつられて笑う。
失うものなど何もない。
それが、これほどまでに自分を強くするとは知らなかったな、とトーレスは窓の外に差し込んだ木漏れ日を見つめた。




