第百十一・五話 二人の特等席
第七章 収穫祭編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第百十一・五話は、第百十一話のディアーナとエトワール視点のお話になります。)
エトワールは緊張の面持ちで、目の前に座るディアーナを見つめた。ディアーナも、どこか緊張しているようで、いつもならいろいろとエトワールを気遣って話をしてくれるのだが、どうにも言葉数が少ない。
二人きり、というのは初めてのことではないが、
「懐かしいわね、昔、夫からここでプロポーズを受けたのよ」
先ほどそう王妃に言われたせいか、妙に甘ったるい空気が流れていていたたまれなかった。
そんな空気を作り出した王妃も、そしてその夫である国王も、
「後は若い二人で楽しんでね」
と、固まるディアーナとエトワールを二人きりにして、王城へと消えて行ってしまった。
収穫祭の最後に上がる花火を見れる特等席は、まだお酒も飲めないような年齢の二人には早すぎるのではないか、と思うほどおしゃれな雰囲気のただよう宿の一室。
この、宿の一室、という空間も良くない、とエトワールは自らのふとももを握った。
もちろん、いかがわしい宿などではない。れっきとした、王の別荘としてもともと使われていたほどの邸宅を改造したもので、王城が良く見えると、貴族たちに評判のいい宿である。
だが、当然宿なので、食事をとるためのテーブル以外にも、浴室や寝室がついている。
ディアーナはもちろん、エトワールも、こんなところで手を出すような人間ではないが、いささか二人には早すぎる、と二人は緊張を隠せなかった。
「お、お仕事の方はどうなの?」
ディアーナがおずおずと口を開く。花火が上がるまでの間に、と運ばれてきた料理を一口、エトワールは味もわからないままに飲み込んで
「お気遣いありがとうございます。おかげ様で、大きな事件もなく……」
と何気ないふりを装って笑う。
「収穫祭の時期は、忙しいのでしょう?」
ごめんなさいね、無理を言ったかしら、とディアーナは苦笑したが、エトワールはぶんぶんと首を振った。
「いえ! そんなことは!」
通常、収穫祭などの祭りごとがある時期というのは、騎士団の警備も増え、巡回の仕事も忙しくなる。だが、今日ばかりは特別だ、とケイがエトワールの仕事を奪った。
エトワールとしても、王女という身分は関係なく、婚約者であるディアーナと過ごせる時間が増えるのは嬉しかったし、その言葉に甘えたまでのことだ。その分、普段の働きで返せばいい。
「ディアーナ王女も、お忙しかったのでは?」
婚約者が決まってからは、本格的に王族の跡継ぎとしての教育が始まったと聞いている。それまでのマリアから受けていたような調香のレッスンなどは終わったようだが、朝から晩まで勉強や芸事に励んでいる、というのはエトワールも知っていることだ。
「今日は、お休みをしてもいいと……両親が」
そう答えるディアーナの笑みが、嬉しそうに見えたのは、エトワールの見間違いではないだろう。
エトワール自身、騎士団の仕事と、王族の勉強を両立させているが、それもしばらくすれば終わりを迎える。正式な婚礼を迎える前には、騎士団の仕事をやめ、王城へ入ることになる。
そうなれば、今までは多少目をつぶってきていただいていたような、エトワールの所作や不足している知識のあれこれについても、厳しく言われることとなるだろう。
エトワール自身は、中級貴族の出で、決して躾がなっていないわけではない。騎士団にトップで入団するほどの知識と武術の才を持つが、それでは王族には足りないのである。
現に、政治に関してエトワールはほとんど無知であったし、国益のことも分からない。
音を上げるつもりはさらさらないが、不安も募るというものだ。
「エトワール?」
「す、すみません」
これからのことを考えて陰りのさしたエトワールに、ディアーナが首をかしげる。
「何かあったの?」
「いえ……その、将来のことを、考えておりました」
「将来?」
「ディアーナ王女を、幸せにできる男にならなくては、と」
エトワールの言葉こそ、プロポーズに他ならないが、本人にその自覚はないようである。ディアーナの顔がかぁっと赤く染まっていく様子を見つめて、
「でぃ、ディアーナ王女!? どこか、お体の具合が」
と慌てふためくエトワールに、ディアーナはぶんぶんと首を振った。
「だ、大丈夫よ! その……なんでもないわ!」
夕暮れの赤が、ディアーナの白い肌に反射して頬を染めたのかもしれない。
エトワールがそう思うほどに、美しい夕暮れが迫っていた。黄金に雲を染め上げたかと思えば、次の瞬間には、橙に、そして真っ赤に色づいていく空。
「もうすぐね」
ディアーナは熱を冷ますように、城下町を見つめる。
にぎやかな喧騒が、眼下に広がっている。人々が、楽しそうに酒を酌み交わし、露店で遊び、食事をとり、帰路につく。
夕日に染まる町に、皆同じように照らされながら。
「綺麗ですね……」
まだ花火も上がっていないのに、エトワールはそんな町を見て思う。
空に輝いた一番星を見つけて、ディアーナも同じようにうなずいた。
「えぇ、本当に」
幸せだわ、とディアーナが呟いた言葉は風にさらわれて、エトワールには届かなかったが、ディアーナの瞳を見れば、言葉など必要はなかった。
「ディアーナ王女……」
「どうしたの? もうそろそろ、花火が……」
濃紺に染まる空をバックに、エトワールが花束を差し出す。大輪のバラが咲き誇り、ディアーナの瞳と同じ、ブルーのリボンがかけられていた。
一体どこにこんなものを隠し持っていたのだろう、気づかなかった、とディアーナはパチパチと瞬きを繰り返す。
「さすがに、九百九十九本は、集められませんでしたので」
エトワールは照れたように笑う。だが、その手に余るほどのバラの花束に、数など関係ない、とディアーナは息を飲んだ。
「マリアさんにお聞きして……数にも、意味があるそうでして……」
言いかけたエトワールの口元を、咄嗟にディアーナが人差し指で制する。
エトワールは驚きのあまり息を飲んだ。
「こ、こんなところで、他の女性の名前なんて聞きたくないわ」
バラのように真っ赤に染まった頬が、エトワールの瞳に映る。
たまらなく愛おしい、その女性を――その女性が愛するこの国を、必ず幸せにしよう。
エトワールは誓う。
ヒュルルル……
花火の音が静かな夜空いっぱいに響きわたった。
ディアーナは、はしたないとか、王女だから、とかそんな自分の心の中の制止をすべて振り切って、エトワールを抱きしめる。
「ディアーナ王女!?」
「今日だけよ!」
エトワールの耳元で聞こえるディアーナの精一杯の強がりが、エトワールには心地よかった。
二人の熱は離れ、二度目の花火が打ちあがる。
「き、綺麗ね!」
「え、えぇ……本当に」
二人は、その後、どんな花火が上がったのか、何発打ち上げられたのか、あまり記憶に残らなかった。
ただ、花火の煙の香りと、秋の始まりを告げる風の匂い、そして、バラの香りが、二人を包む。
それ以来、二人はその香りを嗅ぐたびに、この夜のことを思い出して、頬を赤らめたのだった。




