第八十八・五話 シーバックソン
第六章 調香師との出会い クリスティ編 番外 になります。
ネタバレはありません。
本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪
(今回の第八十八・五話は、第八十八話の補足的なお話になります。)
クリスティの中庭で、マリアは
「あら?」
と声を上げた。
剪定はされているようだが、背の高い細い木々には、どこかで見たことのあるような小さな黄色の実がついていた。
つい最近みたような記憶があるが、パルフ・メリエ周辺の森には生えていない。
(図鑑で見た?)
マリアがうーん、と首をかしげると、水の入ったグラスを片手にクリスティが戻ってきた。
「どうしたの?」
クリスティの声に、マリアは振り返る。差し出されたグラスを受け取って、マリアは頭を下げる。
「この木……見たことがあるような気がするんですけど……」
正確には、木、というより実の方に覚えがあるのだが、マリアには思い出せなかった。
「あら、これを知ってるなんて、珍しいわね」
クリスティは柔らかに瞳を細める。
「これはね、シーバックソンよ」
クリスティの口から出た言葉に、水を飲んでいたマリアは顔を上げる。
(カントスさんが、以前教えてくれた……!)
絵をかいて見せてくれた。色は、黄色だと言っていた。マリアは、その時のことを思い出して、なるほど、とうなずいた。
「東の国の方でもともと栽培されていたのよ。でも、寒い地域じゃないと育たないのか、なかなかうまく育たなくてね。東都で購入して、北の町で教師をしていた時に育てていたの.
教師をやめて、この街に移った時に一緒に植え替えてもらったのだけど、無事に実がついてよかったわ。果実に栄養があって……」
クリスティはそこまで言って、
「ごめんなさい、私ばっかり」
と口元を抑えた。
マリアはぶんぶんと首を振る。クリスティの話は、勉強になるし、面白いのだ。
「もっと聞きたいです!」
マリアがずい、とクリスティの方へ体を寄せると、クリスティは、まぁ、と目を細めた。
「そんなことを言ってくれたのは……カントス以来だわ」
どこか懐かしそうにシーバックソンを見つめるクリスティのエメラルドグリーンの瞳が、美しかった。
「そうだ! もしよかったら、少し食べてみる?」
「食べられるんですか!?」
マリアがキラキラと目を輝かせると、クリスティはクスクスと肩を揺らして笑う。少しはしたなかった、とマリアも自らの行動に頬を染める。
「ここは、北の町よりあったかいから、もう熟れすぎちゃってて、あんまりおいしくないかもしれないけど」
クリスティの茶目っ気たっぷりなウィンクに、マリアは大丈夫です、と笑った。
びっしりと枝についた黄色や橙の小さな実がかわいらしかった。
クリスティは、手近な枝を一本丁寧に切り落として、ついている実を丁寧にプチプチと取った。
「ちょっと待っていてね」
クリスティはそういうと、水の入ったボトルをとって、収穫したばかりのその実を丁寧に水洗いする。
「はい、どうぞ」
マリアの手にコロン、と転がされた黄色の実が、カントスの琥珀色の瞳を思い出させた。
「綺麗ですね……」
マリアが呟くと、クリスティは穏やかに微笑んだ。
「味は、とっても個性的よ」
マリアは、えい、と口にその実を放り込む。
「中に種が一つ入っているから、気を付けてね」
クリスティに言われ、マリアはもごもごと口を動かした。
そっと噛みしめると、じゅくり、と果汁がマリアの口の中で広がる。小さいながら、とろりとした実の感触が心地よい。
マイルドな渋みと、強烈な酸味。ワインビネガーみたい、とマリアは味わう。遅れて、太陽のような、独特の香りが鼻に抜けていき、それが少しだけ甘味を運んだ。
確かに、個性的。マリアはクリスティの言葉に納得する。
好んでたくさん食べたい、というような味ではないかもしれないが、クリスティのことだ。これを薬として使うのだろう。
「どう?」
クリスティに尋ねられ、マリアは苦笑する。
「個性的なお味でした」
マリアの答えに、クリスティは「そうでしょう」と笑って、マリアに水を差しだした。
「胃腸薬としても使えるし、火傷や凍傷なんかにも効くのよ。それに、美容なんかにもいいみたい」
ジュースにすれば、もう少し飲みやすいのよ、と付け加えて、クリスティは残った実を空になったグラスへ入れた。
マリアにはそれが、宝箱に、大切な宝物をしまうみたいに見えた。




