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第八十二・五話 マリアと秘密の夜

第五章 調香師との出会い カントス編 番外 になります。

ネタバレはありません。

本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪

(今回の第八十二・五話は、八十三話の前日譚になります。)

 カントスは、絵も、香りも素晴らしいものを作り出した。別れの時間が近づいている、ということをマリアも感じている。

「今日こそ、完成させなくちゃ」

 マリアはよし、と手をにぎりしめた。


 絵と香りを完成させたカントスは満足したのか、今日は早めの就寝である。今頃はもう夢の中だろう。マリアは、カントスを起こさないようにそっと調香部屋の扉を開けた。


 少し緊張しているのは、カントスがいなくなる前に完成させられるだろうか、という不安と、カントスに喜んでもらえるだろうか、という心配のせい。

 マリアは、一つ深呼吸をして、大丈夫、とつぶやく。

「カントスさんに教えていただいたことを、無駄にしないためにも」

 いつものように、机の前に腰かけると、マリアは、よし、と一つ目の瓶を手にした。


 どんな香りがするのだろうか、と期待して、それが良い意味で裏切られるから、人々はうっとりと目を細めてしまう。

 思わず、たっぷりと息を吸い込んでしまう。


 夜の香り。それを聞けば、誰もが穏やかで、静かで、落ち着いた香りを思い浮かべるはず。マリアだって、そうだ。最初に考えた香りは、そういうものだった。だが、ナイトクイーンの香りには、それでは釣り合わない。

 もっと、新鮮で、華やかで、夢のような……。


 柔らかな月の光のようだ、とナイトクイーンの香りを称したカントスの声がマリアの脳裏によぎる。

「月……」

 マリアが窓の外を見上げると、キラキラと輝く無数の星が空を(いろど)る。煌々(こうこう)と夜空を照らす月を引き立てるかのよう。

 その瞬間、マリアの頭には新しいアイデアが浮かび、

「あ!」

 と思わず声を上げた。


 マリアは、レモンの精油を手に取る。星をイメージさせる色合いに、(さわ)やかに鼻を抜ける香りは、ナイトクイーンの華やかで甘い香りを引き立てるのにもよさそうである。ポタポタとそれを数滴たらし、続いてナイトクイーンを加える。

 上品な甘い香りと、その香りに混ざる軽やかなレモンの香り。

「いい感じ……」

 マリアは高鳴る鼓動を落ち着かせ、次の精油瓶を手に取った。


 甘さに深みを与えるムスク。夜の深い時間を表している。

「ここに、フランキンセンスを……」

 夜の終わりを告げる、すっきりとした香りを加えれば、余韻(よいん)までたっぷりと楽しむことができるだろう。

 マリアはゆっくりとそれらの香りを確認しながら、少しずつ分量を変えていく。

 夜が()けていくことにも気づかずに、マリアは調香に集中した。


 マリアがふと目を覚ましたのは、薄明(はくめい)の空が窓の外へ見えたころである。

「ね、寝ちゃった!」

 ガバリ、と顔を上げて、時計を確認すると、どうやらマリアが夢の世界へといざなわれていたのはほんの十五分くらいのことだったようである。マリアは、ほっと安堵して、作ったばかりの香りを確認した。


 まさに、夜の香り、というにふさわしい香り。だが、何かが足りない、とマリアは思う。トップノートのレモンが、少し軽すぎるだろうか。ナイトクイーンとのつなぎになるような、甘酸っぱい香りがあれば、もっとうまく混ざり合うような気がするのだ。


「トップノートに、爽やかな……アップルに近い香りが……」

 カモミールか、柑橘系の何かが、とマリアは精油瓶を見回す。カモミールでは、ハーブの香りが強すぎるかもしれない。どちらかといえば朝のイメージである。


 刻一刻と迫る新しい朝。

 マリアは焦る気持ちをなんとか抑えて、深呼吸を一つ。少しだが、眠ったおかげで頭も先ほどよりは回る気がする。

「甘みと、爽やかさ……。みずみずしくて、後に残らないような……」

 夜の訪れを告げる、そんな香りにマリアは思いを巡らせ、端の方に並んだ瓶に目を止めた。


「ペアー……」

 洋ナシの香り。マリアの頭の中に星が瞬く。パチン、と何かに弾かれたように立ち上がり、その精油瓶に手を伸ばす。

「これだ!」

 マリアは瓶のフタを開けて、ふわりと漂う甘く、けれどさっぱりとした香りに目を輝かせた。


 夜が明けていく。

 窓の外の薄明を見つめて、マリアは、瓶のフタをしっかりと閉めた。

「できた……」

 日がゆっくりと昇る。

 空に、無数の光の筋が描かれ、夜の香りを閉じ込めた瓶をキラキラと輝かせた。


 マリアは気づけば調香部屋を飛び出していた。

 カントスに早く、届けなくては。


 まだ起こすには早い時間だということなど、すっかりマリアの頭から抜けていた。しばらく、カントスと一緒に過ごしていたせいで、彼のマイペースなところが、マリアにも映ったようだった。

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