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第七十六・五話 カントスと秘密の朝

第五章 調香師との出会い カントス編 番外 になります。

ネタバレはありません。

本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪

(今回の第七十六・五話は、七十六話と七十七話の間のお話になります。)

 カントスは雨上がりの森を堪能(たんのう)していた。

 普段暮らしている教会のあたりも森になっているが、ここはそんな見慣れた森とは少し違う。マリアやマリアの祖母の手が入っているのか、季節を(いろど)る花々が植えられていたり、穏やかな川の音が聞こえていたり、あまり北の方では見ることのない木々が当たり前のように生えていたりする。


 雨露(あめつゆ)木漏(こも)れ日に反射して、キラキラと輝く。夏の日差しに、草木は一層色濃く青々と生い茂る。

「素晴らしい朝だな」

 チチチ、とどこからか聞こえる鳥の鳴き声に、カントスはふっと微笑んだ。


 カントスのブルーベージュの髪色も、琥珀色(こはくいろ)の瞳も、静かな森にはない色彩。だが、見事に調和している。今の彼を見るものがあれば、どこか神聖さを(まと)う彼の姿に息をのんだことだろう。

 彼は、好青年なのだ。口さえ開かなければ――。


 カントスは、このあたりでいいか、と開けた草地に腰を下ろす。まだ雨粒の残る草原は、おろしたての服を()らすが、当の本人は微塵(みじん)も気にしていない。

 マリアが気づけば、苦笑するかもしれないが、今は夏。パルフ・メリエへ戻るまでの道のりで、日差しが服を乾かすだろう。


 瞳を閉じれば、木々の隙間を()う風の音、木々の枝が揺れる音、草花がこすれあう音、鳥の声、とたくさんの音が聞こえる。

 新鮮な空気、緑の混じる夏の香り、湿り気を帯びた土の香り、木の深く、穏やかな香りがカントスの鼻を抜けていく。

 夏特有の、肌を刺すような日差しも、木々に(さえぎ)られて柔らかな木漏(こも)れ日に姿を変える。カントスの体はじんわりとあたたかく熱を帯びていく。


 昨日、マリアからもらったばかりの木のキャンバスが乾いたら、この風景を絵にしよう。

 そんなことを考えているカントスの髪を生ぬるい風が揺らす。それが妙にくすぐったくて、カントスはクスクスと一人肩を揺らした。

 マリアの祖母か、シスターか。どちらかが、僕をからかっているな、などと現実離れしたことを考えてしまうのは、数奇な人生を歩んだ芸術家肌のカントスだからだろう。


「ふふ、わかっているよ。そろそろ、マリアさんが探しにくる、といいたいんだろう?」

 そろそろ朝食の時間だ、と空腹が知らせている。マリアは少しだけお寝坊さんで、カントスが目を覚ます時間にはまだ、夢の中。だからこそ、カントスはそんな彼女を起こさないようにそっと身支度をして、早朝の森をこれでもか、と楽しんでいるのである。

 だが、そろそろマリアも朝食を作り始めているころ。帰らなければ、とカントスは腰を上げる。


 マリアの朝食は絶品で、カントスにとってはこれ以上ないごちそうであった。

「今日は一体なんだろうな……。ふむ、先日のベーグルも絶品だったが……パンケーキなども良いな」

 一人ぶつぶつと食べたいものを並べながら、来た道を戻る。そんなカントスの独り言にこたえるのは鳥たちで、カントスは、

「わかっているよ。あとで、君たちにも持ってこよう!」

 と片手をあげて答えた。


 ◇◇◇


 カントスは、いつも朝食のパンを少しだけ残す。そして、それを

「これは、いただいてもいいかな?」

 と大切そうに袋へ入れて、部屋へ戻っていく。マリアはそれが不思議だった。パンが嫌い、というわけではなさそうである。先日のベーグルに至っては、二つもおかわりをした上に、三つ目のおかわりに手を伸ばして、四分の一ほどをそうやって持って帰ったのだ。


「お菓子がわり、かしら?」

 マリアはいつもそう思うが、詮索(せんさく)するのもなんだか、と思い、直接本人に聞くことはなかった。パルフ・メリエの店番をしているマリアに、お菓子をねだるのも申し訳ない、と思っているカントスなりの気遣いかもしれない、と(なか)ば失礼なことを考えた。


 店を開け、客を待つ間に裏庭の花に水をやりながら、今朝のパンを詰めた袋を持って森の方へと歩いて行ったカントスの後姿を見送る。

「少しだけ……」

 ついていってみようかしら、とマリアの心に好奇心が芽生える。そんなことをするくらいなら、直接本人に聞いた方がいい、ということはわかってはいるものの、マリアの心に芽生えたドキドキを止めることはできなかった。


 カントスがあまり森の奥へ行くようなら、早めに引き返そう。お客様が来てしまうかもしれないし、とマリアは自分に言い訳代わりの制約を付け足して、カントスの後を追う。カントスは後姿でもわかるくらい上機嫌で、その足取りはステップを踏むようである。

 後ろからついてきているマリアには気づいていないのか、ふんふん、と鼻歌まで聞こえる始末であった。


 カントスの鼻歌にまじって、チチチ、と鳥の鳴き声。そういえば、最近この森にやけに鳥が増えた気が、とマリアはそんなことを思う。

 前を歩いていたカントスは、開けた草地で立ち止まると、手に持っていたパンの袋を開く。

「さ、おいで」

 カントスの穏やかな声と共に、どこからともなく鳥の羽音。彼の手元に集まる小鳥たち。

 マリアは、その光景に思わず足を止めた。


 太陽のような、琥珀色(こはくいろ)の瞳がマリアの方へと移る。

(あっ……)

 カントスは、いたずらが見つかってしまった子供のように笑った。

「勝手に餌付(えづ)けなんて、怒られるかな? それとも、見逃してくれるだろうか」

 ブルーベージュのくせ毛が、カントスの肩口でふわふわと揺れる。光に透けて、それがちらりと反射した。


「今度からは、私も誘ってくださいね」

 カントスの突拍子もない行動には、いつも驚かされてばかり。

 マリアが笑うと、カントスは声を上げて笑う。

 鳥たちは、二人の声に驚いたのか、バサバサと青空へと飛び立っていった。

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