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第七十二・五話 門出

第五章 調香師との出会い カントス編 番外 になります。

ネタバレはありません。

本編で語られなかった空白の時間を書いていますので、本編と合わせてぜひお楽しみください♪

(今回の第七十二・五話は、七十三話の前日譚。カントスのお話です。)

 ミュシャに半ば強制的に連行される形で、ティエンダ商店を後にしたマリアを見送って、メックは

「うわ!」

 と声を上げた。

 メックの振り返った目と鼻の先に、カントスが立っていたからである。


「ど、どうしたんですか……。ぶつかるところでしたよ」

 メックがため息をつくも、カントスは全く気にも留めていない様子で、メックの手を握る。

「メックくん! マリアさんに会うには、どうすればいいだろうか?!」

「え?」

 カントスの口から出た言葉に、メックは目を見開いた。


 カントスはどうやら、マリアの調香の腕に相当()れ込んでいるらしい。聞いてもいないのに、同じく調香師であったマリアの祖母のことについてまでカントスは饒舌(じょうぜつ)にしゃべる。メックは再びため息をつき、カントスの話をやんわりと遮った。

「お気持ちはわかりましたから……」

 カントスには申し訳ないが、他に客も待っている。メックも、いつまでもカントスの相手ばかりはしていられないのである。


「マリアさんのお店に行くのが、一番てっとり早いと思いますよ」

 ブルンキュラの花束を丁寧にラッピングして、カントスへと手渡す。

「今から住所を書きますから……」

 待っていてください、とメックが言い終わる前に、カントスは店の外へと歩き出していた。


「カントスさん!?」

「ありがとう、メックくん! 私はしばらく留守にする! また会おう!」

 どうやら、すぐにでもマリアの後を追わなければ、ということらしい。彼にとっては、住所を聞く時間よりも、マリアを追いかける準備をする時間のほうが貴重なようだった。

「気を付けて!」

 カントスを追いかけて、店先でなんとかメックはその背中に手を振る。カントスの後姿は、とても楽しそうだった。


 ティエンダ商店を出たカントスは、銀行に立ち寄ると、これでもか、と有り金を引き出してカバンに詰め込む。旅の資金は潤沢(じゅんたく)である方がいい、というのは、古い友人からのアドバイスであり、何度か王宮画家として城下町へ出向いたカントス自身の経験則であった。

 とにかく、北の町では手に入らないようなものがゴロゴロとそこら中で売り買いされていたりするので、ありとあらゆる物事に興味を示すカントスには、金が必要なのだ。


 続いて、旅に必要なものは、とカントスは近くのカバン屋へ入ると、旅行用の大きなトランクケースを購入した。

 それから、何着か新しい洋服を買い、帽子を買い、ついでに絵の具と筆をいくつか見繕い、調香用の瓶を数個手に入れる。花屋によって、花を買い、生活用品は、最低限のものをそろえた。


 教会へ戻るころには、カントスの両手にはいっぱいの荷物であふれていたが、カントスの足取りは軽かった。

「ミス・マリアの店は、どんなところだろうか!」

 マリアの調香師としての手腕は、カントスの耳にも入っている。街の広場の方だというから、きっと様々な植物も手に入るだろう。マリアの祖母も素晴らしい調香師だったということは知っているので、おそらくそういった調香のレシピも数多くあるに違いない。


 そんなことばかりが気になって、肝心(かんじん)の宿の予約や、絵を描くためのキャンバスをかばんに入れることなどすっかり忘れてしまったカントスは、鼻歌交じりに買ったばかりの荷物をトランクへと詰め込んでいく。

「早くお会いして、ゆっくりと話をしたいものだ」

 カントスは意気揚々とパンパンになったトランクを締め、満足げにうなずいた。


 翌日。

 雲一つない晴天が広がっていた。あたたかな光が、ステンドグラスをすり抜けて、七色に変化する。


 カントスは、昨日買ってきたスイートピーの花束を祭壇(さいだん)()えた。

「少しばかり留守にするよ。見守っていてくれるかい?」

 それは、カントスを育ててくれた親のような存在であり――カントスが唯一愛すると(ちか)った女性への祈りであった。


「心が、こんなにもドキドキしているのは久しぶりだ」

 無論、恋ではないがね。

 カントスが付け加えるも、返事はない。彼が愛した女性は、もう、ここにはいないのだから。

 だが、カントスはふっと微笑んで、それからゆっくりと両手を組む。


「いってきます、シスター」

 カントスの穏やかな声は、静まり返った教会に優しく響く。

 チラチラと反射するステンドグラスの光が、スイートピーの花束を色鮮やかに輝かせた。


 カントスは、教会の扉をゆっくりと押し開けて、まばゆい光に、その琥珀色(こはくいろ)の瞳を細めた。

「いい、天気だな」

 まるで、祝福されているかのようである。


 カントスは教会の扉を閉めると、マリアのもとへと足を踏み出した。

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